真田忍者研究会

真田昌幸公ー出浦昌相殿にお仕えした吾妻衆五十久一族の末裔です。 幼い頃、祖母や四阿山の…

真田忍者研究会

真田昌幸公ー出浦昌相殿にお仕えした吾妻衆五十久一族の末裔です。 幼い頃、祖母や四阿山の修験法印にうけた教えや、成長して学んだ太極拳や色々のこと、日々の田舎暮らしの中から感じたことなどを書き綴って参ります。

最近の記事

真田忍びの足跡

乳白色の朝、八ヶ岳を出立。 シン・真田忍軍(仮)育成と言う特殊忍務のため、吾妻渓谷・横谷砦のある雁ヶ沢にて地元の有志達に棒術(諏訪神流)を講ずる。 明日は剣術の基本と九字結手印等を伝授する予定。 帰途足を伸ばして、十二代?前の吾妻・伊与久一党が、本貫の地の総社、雷電神社を勧請したと伝わる石祠を拝しに中之条町の蟻川岳へ。 電柵の中は手つかずの原生林と急登。数年前にはここで男性が熊さんに襲われて重傷………と言うことで、懐には鎧徹しを忍ばせての登山。 喘ぎながら肩に着けば

    • 武者は花のように

      旅から帰ると嬉しき便りが。 倉岡邱人先生は書家にして明暗尺八練達の人。 風雅を愛し、尚武を尊み、度々義侠を行う。 私にすれば酒飲みの師にして、錬誠館道場の篇額を刻みだして下さった大恩の方だ。 今は故郷の熊本益城に隠棲して、白髪長眉まさに仙人のような様子で暮らしておられる。 この度の便りは端午の節句の祝い。 男という文字が、二枚の便箋のなか実に二十箇所も記されていたのが師らしくて良かった。 手紙には、昨今の男の男らしさの廃れ行くを、さむらいの居ない世を嘆くともなく嘆き

      • 十洲三島鶴の乾坤

        昔むかし、武当山の三豊道士は拳法上乗の功に想いを馳せつつ山中を逍遥していた。 すると足下の叢に毒蛇が現れ、三豊に向かい鎌首を擡げて今にも襲い掛からんとする。 ……と、天空より突然一羽の鶴が舞来たり、瞬く間に捩る蛇身を長い脚で掴み、嘴を以て蛇の頭を突いて彼方へと飛び去ってしまった。 その見事な去来に妙趣を感じた三豊は、更に工夫を重ね、「内功」を裡に含み外に鶴蛇相斗の意を表した新たな武芸を拓いたという。 これが所謂武当派と言われる太極拳の創始「神話」である。現行の武術史学では

        • 中居屋重兵衛

          今回も「㊙忍務」のため東吾妻へ。 まだまだ雪に覆われる白樺高原と湯の丸高原を越えて、師匠の故郷がある嬬恋、長野原を通り、横谷砦のある吾妻峡雁ヶ沢へ。 そうそう、いつも横目で見るだけで通り過ぎてた「中居屋重兵衛顕彰碑」にも立ち寄れました😊 中居屋重兵衛は横浜開港時を代表する商人として、上州では加部安左衛門と並ぶ分限者であり、また真田流の火術を中心に各流の長所をまなび近代の火薬製法を確立させた異能の人でしたが、時の幕府から桜田門外の変に使われた銃を水戸浪士に渡した張本との嫌

        真田忍びの足跡

          明鏡止水 再び

          再びNHKの人気番組「明鏡止水」に出演させて頂きました。 オリンピックイヤーということもあり、今シリーズの副題は「武の五輪」❗ 岡田准一さん、ケンドーコバヤシさんの名MCは健在👍 今回は光栄にも、乃木坂46の秋元真夏さんに「受け」を取って頂きました🙏 また共演下さった先生方の凄いこと………… 陸上オリンピアンの為末大先生、本当のナンバ歩き伝導者の矢野龍彦先生、春風館の新陰流剣師・赤羽師範御夫妻………今回も凄い方々の胸をお借りする事が出来ました。 小拙は甲陽兵法中の

          明鏡止水 再び

          「摩訶不思議アドベンチャー🔮」

          私ども甲陽吾妻流は「御館武田信玄公は東海の龍王である。」という信仰?というか信念?を持って参りました。 正しく言うなら「信玄公は薨じて後、龍界の王となった。」となりましょうか。 私の号「松風」は、その龍王の起す風を待つ(待つ=松)意味で付けられたと聞きました。 そんな言い伝えは他には有るのでしょうか? ふつうは謙信公が「越後の龍」それに対しての「甲斐の虎」なのですが……… しかし御館様、勝頼様二代の朱印は「丸に龍」(ドラゴンボール😆✨)なのですね。(勝頼様は獅子の朱

          「摩訶不思議アドベンチャー🔮」

          踵は標準器

          脚を傷めてよくよく判ったのが踵の大切さということ。 踵の真ん中が膝裏やつま先に合っていない状況で、長年だましだまし動かしていたので鼠径部が外側に引っ張られ、激痛が走り歩くのも嫌になった。 修験者がこんなことで何としようか、と無理をして山歩きを再開すると却って痛みが増してしまう。 これはアイデンティティにも関わる事だったので、垂れ流しにしないで秘めていたが、なかなかに辛いものだった。 ここのところ旧知の友人より良い整体を受け、また頑固を辞めて妻にも頭を下げて毎日施術しても

          『修身』

          いまは離婚が多すぎるね 夫婦が夫婦でいる、って言うのが 努力目標でなくなっちゃったから それは当たり前なのよね 我儘は男の罪………って言う歌がありました 亭主関白って言うのもあったよね? それは今考えたら時代よね 以前は空気のようなものでした いまはそれを誰も支持しない たった二十年でなにもかも変わりました 時節時節、時には神も勝てません  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 今はリベンジの時代ですね われら男性諸君は、大いなる女性性と、大自然の顕れたる女

          Samurai Wisdom

          NHKワールドジャパンの海外向け番組「Samurai Wisdom」に、真田忍者末裔ということで出演させて頂きました。 畏れ多いことに、松代真田家十四代の真田幸俊様を始め、武田・真田氏研究の第一人者である歴史家の平山優先生、和式銃の権威である澤田平先生等、素晴らしい方々と同じ番組に出させて頂くという名誉に預かり、只只恐縮しております。 先日ひょんなことから私の十四代前の伊与久采女が、この番組でも詳しく紹介される真田信幸様の御馬廻衆であったことが判明しましたが、番組内では昌

          真田の御馬廻衆

          三月おついたち 駒ヶ嶽の社に参拝し、寳前に神酒を捧げる。 同行の仲間と暫しの歓談。 風が杉木立の雪を飛ばしてキラキラと✨ あなめでたや うれしや🤲 最近「伊与久」の家について、加速度的に色々解けてきました。 武田家が歴史の表から消え、織田家も本能寺で消えた 運命の天正十年間………わが祖、伊与久采女、伊与久孫五郎は真田の若殿、信幸公の近習を勤めていたのだと言います。 それも真田を代表する忍び名人・割田下総や、武勇無双の佐藤軍兵衛(折田軍兵衛)と共に御馬廻衆として影

          真田の御馬廻衆

          文武

          「文武」と言うことばが好きだ。 文が武を育て、武が文を育て、人格が形成されると共に、知識が叡智へと育ってゆく。 松代真田には「文武学校」があり、藩士には文のみ武のみと偏ることなく、それらを包括する教育が行われた。 その心に倣い、私の道場も「錬誠館文武道場」と名づけている。 私の書はガタガタだが、師の法印は山中で焚き火をした後の消炭を清水に溶かし、生木の枝の先を石で砕いてハケ状にし、河原の石に見事な経文を書いたものだ。 書と言うものは、元はこうしたものだった、と相変わ

          動画

          いちど内容修正のため公開中止になっていましたが、先ほど再アップされていましたので、ふたたびご案内させて頂きま〜す🫡  https://youtu.be/kj_-3jGWOdU?si=UPq6fyWIBVGyhA4m

          書評『揺腕法』

          今話題の「謎の老師」の本『揺腕法』拝読致しました❗ 著者の小用茂夫老師は、私の継承する姜氏門武術の、我が国に於ける大先達であり、日本の刀法や柔術も修められた知る人ぞ知る達人、私も密かに敬慕し目標にさせて頂いている素晴らしい先生です。 先ず一読して吃驚したのは、老師の修業時代に直面された悩みが、レベルこそ天と地の差がありますが、小拙の修業中の悩みと同じであったこと。 私も幼少期の黒岩法印から始まり、特に青年期に出逢った蟷螂拳の根本一巳老師が余りにも闊達で素晴らしい動きをさ

          書評『揺腕法』

          ジモラブ

          山梨のケーブルテレビ11チャンネル「ジモラブ」 河野アナによる人気コーナー「ジモラブミステリー」にて「韮崎に出没するナゾの忍者」と言うことで出演した回を、やっと見れました🥷 番組から感じられる地元愛と、スタッフさんの「信玄公贔屓」で出演をお受けしましたが、実際観てみると想像以上にきちんと押さえる所を押さえてくれていて、メッセージ性を感じさせる内容になっており、内心ほっとしました。《一点「(誤)日本忍者協会」➡「(正)日本忍者協議会」が気になりますね。ここ、今から直るかな〜

          ゴールデン・カムイ

          曾祖父の紋三郎は、ナゾの男だった。 上州の江湖渡世人の気風を持った、明治人の良く言えば気宇壮大な、悪く言えば無茶苦茶なお人だったらしい。 壮年の頃は不思議と金回りが良く、法曹界をはじめ実業家や政界にも多少顔が利いたらしい。 後の市川市初代市長となった「ケンカ竹」こと浮谷竹次郎氏とは莫逆の友だったらしく、北海道ゴールドラッシュの頃は二人でエトロフ島まで渡り、金山を開発したとかしなかったとか…… 浮谷家で有名なのは、兄権兵衛の孫に当たる東次郎さん。この一族はまた華麗なる方

          ゴールデン・カムイ

          馬鹿力と嗤うなかれ

          2015.5.15のfb稽古日記より。一部加筆。 このとき師は77歳。私は42歳。 子供の頃から武術に親しんで来たはずの私だったが、まさに「子供扱い」されてしまった。 悔しくて、枕を噛み千切ったことも……以下本文です。 形意拳と諏訪の体術(宮川順心流躰術)、交わる点などありえないはずなんだが・・・似ている。あまりにも似ている。これは師匠の資質なのか、遠祖に唐渡りの人がいたのであろうか・・・? もちろん外見は全くもって異なる。しかし私にはほとんど同じもののように見えてしまう。

          馬鹿力と嗤うなかれ