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正雪より奇なり

由井正雪翁は、甲陽吾妻、甲賀などの忍びの伝承に緣浅からぬ大偉人です。

今回は運命のイタズラか、予期せずに気がつけば「そこ」に居りました。

徳川時代を通じ、厳密の内に祀られてきた、翁の祠に祈りを捧げることも叶い、どこまでも摩訶不思議。

正雪様との奇縁は、神霊の臨在を感じざるを得ません😲💦

(2021年の日記)
五月の一日を東海に遊び、名湯に湯浴みせんとナビゲーションを入力。

導かれて着きしは……なんと思いも依らぬ「由比」。

目的地とは数十公里離れし土地、そして、つらつら考えるなら、我等甲陽密衆に緣浅からぬ大偉人、正雪翁の出でし因縁の土地なり……

われ、ここに翁と先師先達の御霊のはたらき明らかなるを知りて感涙す。

翁の小祠、今も秘祀あり。

我も祠前に額着きて、繋がるくしびに魂震えるを禁ぜず。

信玄公霊夢に顕れて正雪翁生まる

甲陽の遺士雲集し、一夜の凱歌に酔う

謀略露になれど、囚科一身に負いて潔し

一個の忍辱を受肯し、一国の回天に繋ぐか

誰が彼の功を知らん哉

東海龍王、子に正雪の名有りと。

(2023年の日記)
家人が東海に遊んだ序でに、大切な方に御使いを頼んだ。

由井民部之助橘正雪様の

塚がある由比の紺屋にご挨拶。

返礼にと松葉柄の手拭いを拝受した。

松風堂の「正雪最中」は風味絶佳なれど、残念品切れのため「レモンケーキ」をと渡された。

駿河の甲斐隠し浜の松風を
遥か信濃境にて味わえるとは。

懐かしき思い出を、古き人びとと語らうような、そんな春の御三時でした。

(拾遺)
この話は、殆どしたことはなかったんです。アホとか言われるのが嫌だったからね~💦

昔々…と、言っても、今から四十年くらい前の話。

甲吾法眼黒岩永青さん(法印さん)という大正生まれの修験行者が居りました。

恐い恐いそのお方は、時折むちゃくちゃオカシナことを若い私に吹き込んだものです。

曰く「真田様が勝頼公を逃がしたのじゃ…」

曰く「かの由井正雪はわしら甲陽一党じゃ…」

曰く「八代吉宗公の砌、我等の功は成り、野に下ったのじゃ…」

曰く「忍術なんてのは所詮盗人の技。主持ちがやるから大義が出来て、後生に残ったんじゃ…」

そして、極めつけは「真田様はキリシタンに近かったんじゃ!(控えめに表現してます:笑)。」というハナシ😵

そんなこと、歴史の教科書には全く載っている筈もなく、イタイケな伊与久少年はまるっきり(異端)の日本史に染められて?イタイおじさんになってしまった訳であります🤣……。

あれから四半世紀に加えるところ10年、先祖鴻業の地、吾妻真田の郷にて、文化財同定のお手伝いをさせて頂けるようになるとは思いもよらなかったけれど、さらにトンでもないもの「クルス」を収蔵品の中に見つけてしまうとは、ニンともカンとも……💦

これを見つけたとき、僕はマメ鉄砲喰らったハトさんみたいな顔をしていたんじゃないかな。

博物館の館長さんにお話を聞けば、当時の沼田はキリシタン隆盛地域であった、という説があるんだよ、と。……ああ、あのときのハナシは本当だったの「かも」しれないなあ、と。

詳しいことは、まあイロイロありますが、これ以上は更に妖しくなり、もうほとんど角川映画かい⁉️、という話になっちゃうんで………まあ、話半分で🤭✨✨✨

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