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真田忍びの足跡

乳白色の朝、八ヶ岳を出立。

シン・真田忍軍(仮)育成と言う特殊忍務のため、吾妻渓谷・横谷砦のある雁ヶ沢にて地元の有志達に棒術(諏訪神流)を講ずる。

明日は剣術の基本と九字結手印等を伝授する予定。

帰途足を伸ばして、十二代?前の吾妻・伊与久一党が、本貫の地の総社、雷電神社を勧請したと伝わる石祠を拝しに中之条町の蟻川岳へ。

電柵の中は手つかずの原生林と急登。数年前にはここで男性が熊さんに襲われて重傷………と言うことで、懐には鎧徹しを忍ばせての登山。

喘ぎながら肩に着けば、そこには堂々とした祠が。
直感的にここだと思った。
ぐんまちゃんのワンカップを口切して、さっそく両部にてご祭事。蟻川の明神とわが先祖の御霊に回向す。

さらにヤセ尾根を上がりきり、山頂へ。
それにしても革靴で来る所じゃないね💦
思えば法印は、普段着でペラペラの革靴でよくぞこんなような枯葉まみれの急斜面をサッサカ歩いていたもんだ……五十を過ぎて余計にその凄さが沁みてくる。

昔、法印さんが言ってたのは、山に入るなら必要なのは鈎、山刀、絹の縄、油紙、小鍋、燧石(燧金)でだいたいそれだけで一週間は野営しながら楽に過ごせる、と。若い頃には指定された山林で、2日3日と野宿をさせられたもんです。これが後年の行脚に、本当に役に立った…

とまれ🐻さんにも遭遇せず、無事下山。先祖の加護、有り難し🙏

また、横尾の八幡山砦跡にも寄ってみた。
ここは平山優先生の名著「戦国の忍び」にも出てくる忍びの術を善くした真田旗下の地侍達の名簿「八幡山番帳」の舞台。
ここには富澤豊前の下、わが一族の左京の名も記されている。
思ったよりずっと大規模な城塁で、ここを守備するのは相当苦労しただろうな………と感慨も深く。

そしてその道をまっすぐで、中之条町の伊与久の菩提寺・清見寺さん、さらに昔一党が「五良神(鎌倉権五郎景政)」を祀ったと言われる伊勢町の「お茶不動尊」。

位置関係が繋がり、一族の版図の変遷が少し解ってきた。やはり自分の脚で歩き回らないとな~🥷


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