3カードモンテ

3枚のカードの内、アタリが1枚あり
それを混ぜて、観客にアタリを探してもらうが
いつもハズレてしまう

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こういった3カードモンテのような演目は
『ギャンブリングデモンストレーション』というジャンルに属します
こういった類の演目をするときにまず考えることは
「ギャンブルの演目をいかにマジックにするか?」
です

多くの演者がこのような演目をするときに
「マジシャンがギャンブルを行い観客を負けさせる」
という演出をしがちですが
それはあまりマジシャンとしてはふさわしくないと思います

演者がギャンブラーであるならば構いません
存分に技量を見せ、観客を騙し、優越感に浸ってください
ギャンブラーは自己満足のために技量を使う人です
観客が喜ぼうが悔しがろうが知ったことではありません

しかしマジシャンは違います
なぜならマジシャンが演技をするということは
「エンターテイメントをする」という意味であり
要するに
「観客に楽しんでもらうため」に行うからです

マジシャンが観客に種を隠し
延々と観客が負ける
こんなものを見て観客は本当に喜ぶでしょうか?

もちろん中には喜ぶ人もいると思います
卓越した技術を見ることに喜びを感じる観客はいます
しかしそれはあくまで観客の嗜好であって
マジシャンが楽しませているわけではないのです

マジシャンは
「観客が喜べるものを提供する」
のが役割です

単に腕自慢をするだけでは
未完成なのです

このことを理解したうえで
「ギャンブルという題材を扱い、いかに最終的に観客に楽しんでいただく構成にするか?」
これこそが、マジシャンによる
『ギャンブリングデモンストレーション』
の演技です

観客に楽しんでいただくための方法はいくつもあります
従来の「常に負けさせる」の逆で
「常に勝たせる」という演出でも良いでしょう

ギャンブルの形をとりながらも
ギャンブルではありえない超現象を起こすのでも良いでしょう

ギャンブルとしていったんは見せ
その次にマジックを行い、その対比を見せるのも良いと思います

ギャンブラーに挑戦するけど、常に負け続ける『架空の人』を見せて
その滑稽さを見せるのも良いでしょう

演出はそのテーマによると思います

大切なことは
「マジックはただのギャンブルとは違う」
ということを明確にはっきりと示すことなのです

私は次のようなエピソードとしてよく演じています

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マジックのトリックというものは
必ずしもマジシャンが作っているものではありません

例えば計算を駆使して相手の数字を当てるようなトリックは
いわゆる数理トリックと呼ばれ数学の知識です
磁石や鏡を使ったようなものは物理学の知識です
他にも薬品を使ったものは化学の知識ですし
心理的誘導は心理学の知識です

また、テクニックにおいてもトランプマジックの世界に大きく貢献したのは
ギャンブルのテクニックです

20世紀初期くらいの時代では
むしろマジシャンよりギャンブラーの方がカードのテクニックに長けていました

その時代のマジシャンはこぞってギャンブラーに教えを乞い
その知識を吸収していきました

日本ではちょうど戦後くらいの頃ですね
海外のギャンブラーの知識が入ってきて盛んに発展していった時期ああります

その頃の日本は一般にもギャンブルが盛んでした
飲みの帰りに路上にいるギャンブラーに
「ちょいとひと勝負していくかい?」
なんて声をかけられ、簡単なギャンブルをしていた時代がありました

実際、この時代ではトランプと言えば賭博道具として認識されていました
だからトランプには賭博税がかけられ、今よりも値段が高かったくらいです

これはそんなギャンブルとマジックがまだ混在していた頃のお話です


ある一人の若いマジシャンがいました
そのマジシャンはマジックの腕を磨きたいと思い
路上のギャンブラーにテクニックを教えてくれと乞います
しかしそのテクニックはギャンブラーにとっても飯の種です
おいそれとは教えてくれません

ギャンブラーはこう答えます
「教えることはできないな。
そこで取引といこう。こうやって路上でギャンブルをしていると勝ちっぱなしというわけにはいかない。そんなことをしていたらカモが逃げてしまうからな。
そこでだ。お前はサクラになってくれ。
つまり、最初の客の役だ。
他の客が勝っているところを見れば、客も増えるから
たまにはお前を勝たせてやる。
もちろん負けさせることもある。俺の自由自在だ。
でも、お前もマジシャンだろ?何度も間近で見てれば見破ることもできるだろう。
見破ったらお前の勝ちだあとはどうとでもすればいい。
どうだ?乗るか?」
マジシャンはそれを受け入れました

当時もっとも人気のあったのは
3カードモンテというギャンブルです
3枚のカードのうちアタリが1枚、ハズレが2枚
お客は混ぜられた3枚のうちどれがアタリかを当てるギャンブル

まぁ、実際は巧妙にテクニックを使ってハズレを引かせるようにするんですけどね

こんな感じです

(演技を見せる)

最初のうちは見当もつかなかったのですが
さすがに何百回も見ればトリックはわかってきます
最終的にはマジシャンは百発百中で当てることができるようになりました
ギャンブラーのトリックを身に付けたマジシャンはギャンブラーにお礼をいい
再びマジックの世界に戻ってきました

3カードモンテのマジックはたちまち人気になりました
ナイトショーやイベントの余興としてマジシャンは引っ張りだこになります

そして、ある日マジシャンはキッズショーでもそのマジックをしました
そこでも大盛上がり!
「えー?!なんでー?!絶対アタリだと思ったのに?!」
イベントは大成功です

そこで一人の少年が熱心にマジックを見ていました
「ねー!もう一回!もう一回!」
何度もせがまれます
そこでマジシャンは取って置きの必殺技を見せました

(それまでと同じように演じ、最後には全てのカードがハズレになってしまうクライマックスを見せる)

これには観客も大きく驚きました
マジシャンはショーの大成功を喜びます

しかし、ふと先ほどの少年を見てみると
少年は・・・泣いていました

少年は、マジシャンとの本気の勝負を楽しんでいたのです
テクニックが使われていることはわかっていたけど
少なくともアタリのあるフェアな勝負であると信じていたのです
マジシャンを・・・信じていたのです

でも、最後にそのマジシャンがやったのは
イカサマでした・・・
観客を・・・その少年を、騙していたのです
それが少年には悔しかったのです

少年の親は少年にかけよりなだめます
「まったく、この子は負けず嫌いなんだから!
マジックなんてインチキなんだから
そんなに本気にならなくても良いじゃないの!」
そう言いました

それを聞いたマジシャンはハッとしました

そうだ。これはインチキだ
単に自分の腕を見せつけて驚かせるだけのものだ

確かにこのマジックを見せて喜ぶお客様は多かった
でももしかしたら
不愉快になったお客様もいたかもしれない
実際は、お客様も大人だから目くじらをたてなかっただけかもしれない

要するに
自分のやったていたことは
お客様におだてられていただけのことだったんだ

何がマジシャンだ!何がトリックで観客を喜ばすだ!
自分のやっていたことは・・・
ただのインチキじゃないか!
こんなのはマジックじゃない!
こんなのは・・・マジシャンのやることじゃない!

その日からそのマジシャンは3カードモンテのマジックを封印しました

しかし、実際そのマジックを楽しみにしてくれたお客様がいたことも事実です
そのマジックをやらないことで残念がるお客様もいました

そこで、マジシャンはもう一度そのマジックをすることにします
ただし、マジシャンとして納得できるように新しい工夫をして・・・

それはこんな感じです
基本は変わりません。いつも通りマジシャンが一人勝ちをします
でも2つだけ変えました
1つは観客からの勝負は受けないということ
そしてもう1つ・・・終わり方を変えました

(それまでと同じように演じ、最後は全てのカードが【アタリ】になって終わるクライマックス)

このように最後は観客が勝つようにしたのです

これにより、このマジックは最後は誰もがハッピーになる形になりました

このマジックは前よりもいっそう人気が出ました

それからです
そのマジシャンは他のマジックでも常に
最後はハッピーになるようにマジックを作っていきました

マジックで一番大切なことは
錯覚による驚きでも、テクニックによる鮮やかさでもなく
お客様に喜んでいただくように思いを巡らすこと
そう思うようになったからです


さて皆さん。今日のマジックは楽しんでいただけたでしょうか?
楽しんでいただけたなら、幸いです

ーーーーー

普通にギャンブルとして演じ
それによる問題点をそもままエピソードとして語ってみました

実際、現在でもマジシャンは観客の敵になることが多い芸能です
普段は仲良くしている相手ですら
いざマジックを見せるとなると
「よし!騙されないぞ!」
と敵対されてしまうことすらあります

それはきっと今までのマジシャンが観客を騙し続けてきた結果なのでしょう

これからのマジシャンが考えていくべきことは
「マジシャンは、お客様の仲間である」
とわかっていただくよう、ふるまっていくことだと思います

⇒【マジックウォンド】

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