死について考える01

京都のお寺を使って定期的に「Deathについて喋るんデス」を合言葉にDeathカフェを実施している。そのなかで死について考えたり、感じたりすることを、書きなぐっていこうと思う。

先日のとある研修で、自殺念慮のある人に「どうして死んじゃいけないの?」と聞かれたら、いかに答えればよいのか、という質問があった。

どうって言われても、その場にいないと、どんな気持ちが沸き起こってくるのか分からないから、なんともいえない。僕が心がけているのは、そのときに感じた気持ちを伝えるってこと。死んで欲しくないって思うかもしれないし、死ぬ決心を尊重するかもしれない。その場にならないと分からない。けど、これまでの経験を通して、多くの人が死にたいと生きたいの狭間で、行ったり来たりしている。だから、生きたいって気持ちが伝わってきたら、死んで欲しくないって思うだろうな。

そういえば以前に、もう強く強く死ぬ覚悟を決心している方の相談を聞くことがあった。これまで長年に渡って想像を絶するようなつらい経験をしてきて、もう楽になりたい。楽にって良いですよね、と。そのときは、生きたいって気持ちよりも、楽になりたいって気持ちを強く感じてた。もうそこしか感じとれなかった。ただ、「楽になって良いですよね」って言われて、「早く楽になってください」とも「駄目です、生きてください」とも言えなかった。僕の思い云々よりも、「これまでの経験や、いまの状況を聞いて、死んで楽になりたいって気持ちは、痛いほど感じる」と言いながら、一方で、本当にその人と一緒の気持ちになんて慣れるわけじゃないし、そんな簡単に分かった気になるのは、なんとも失礼なことだとも感じた。なんとなく、そういった気持ちも伝えた。そのあとにどんな会話をしたのか覚えていないけど、「なんか問題が解決したわけじゃなし、気持ちもすっきりしたわけじゃないけど、とりあえず、もう少し生きてみようと思います。一緒に悩んでくれる人もいるんだなと感じました」と言われて、電話が切れた。追跡するわけじゃないので、その人が、どうなったのか分かんない。

そのとき感じたのは、自死・自殺の善悪はつけられない。良いとか悪いとか、他人が言えることではないなと深いところでうなづけた。どこまでも、その人のいまのその想いを聞き受けたいなと感じる。言葉でいうほど綺麗なことでも簡単なことでもないけど。

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