自己決定権

今日は、学生の頃から関わっている、NPO法人京都自死・自殺相談センターの総会だった。

懇親会のさいに、盛り上がったのが、自己決定権について。酔ってるから、あまり上手にまとめれる自信ないけど、この自己決定権も、元をたどれば神との契約に基づくキリスト教的な世界観によるものだそう。そもそも我々の人間社会に権利なんてあったわけじゃなく、いつかの時代にそういった価値観によって、制度として整えたに過ぎない。

仏教的な価値観によれば、権利を主張したり、その権利を管理したりするような存在は立ち現れるはずもなく、もっとグラデーションのある、曖昧な社会になるはず。そういった在りようが国家として機能するか、そこに所属する人たちが幸せになるのか?!どうかは議論するべきだが、仏教的な価値観を大切にすると、良くも悪くも混沌とした社会が形成されそう。

さらに一方で、権利というフレームワークを主張せずとも、自己決定権としか言い表せないような出来事があり、それを権利として可視化させているだけでしかないので、権利という文脈にとらわれすぎても、重要な視点を見逃してしまう危険性もある。

多角的な視点で眺めることが大切だけど、自死・自殺が社会的な仕組みの問題だということが浸透してきた今の時代だからこそ、自死・自殺と自己決定権という問いと、その議論を発信する必要があるように思う。飲み会の席ではなくて、公の場で議論したい。

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