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“古材バンク”という構想。28年前の新聞記事から

NPO法人古材文化の会は、任意団体として「古材の提供者と利用者のネットワークを作り、古材の活用を促進する」「伝統木造建築文化と建築技術の継承と発展を図る」ことを目標にかかげ、古材バンクの会として1994年にスタートし、活動を続けてきました。2006年に名称を「古材文化の会」に改称し、設立から28年目に入りました。任意団体古材バンクの会設立の思いを28年前の新聞記事でご紹介します。(古材文化の会事務局)

古材バンクをつくる

 古いとはいえ良質な木造住宅が惜しげもなく方々で壊されている。その勢いはバブル景気のときに加速されたままで一向に衰える様子がない。壊すのは機械を用いるから、数日のうちにそれまで健全に建っていた家が、破砕され、無残な残骸(ざんがい)の山と化す。残骸はどこかへ運ばれて、焼却するか廃棄するかして無為に処分されているのが実態である。なかには不法な処分もあるはずだ。
 実は、私をふくめ木材に関係する仕事に従っている有志が集まって、古材利用をを図る組織の実現に向けての構想を練っている最中である。組織の名称はとりあえず「古材バンク」と仮称している。その発端は右のような現状に対して抱かされた危機感である。木材は地球規模的な観点からすれば、資源としての有限性が目前に迫ってきている材料である。そころで木材の材料強度は、木によって異なるが、建築用材として使われるものは、腐れや虫害に侵されていなければ、まず三、四百年は変わらないという。さて、いま壊されている家は古くて築後百年前後くらいである。ということは、まだまだ使用にたえる材料をみすみす廃棄していることになる。これは貴重な木材資源の大きな浪費といって過言でない。

古材も生きている

 それだけでない。こうした破砕廃棄は、目に見えない大事な何ものかを同時に捨てているように思われる。年を経た家屋も木材、それを古材といっているのだが、このような古材はたんに古くなっただけの木ではない。木というのは不可思議なもので、樹木として人間と共生しているだけでなく、材木となってからも生きつづけ人との歴史を刻み込んでいく。材木もまた生きているのである。そのような木を使いきることなしに無駄に捨て去ることは、木に関わって生きる人々は許さなかったものである。昔の工匠たちは古材をとことん使ったものだ。ひるがえって今日の古材の無為な廃棄は、木に関わるものの職業倫理の低下をもたらしかねない。いや実際のところすでにもたらしている。より深く恐るべきなのはむしろこのことである。
 また、古材にはかつての優れた匠(たくみ)たちの伝統技能が込められている。破砕するのでなく、丁寧に解体することによって、古材を再利用可能なかたちで回収できるだけでなく、解体作業を通じて先人の優れた技術や技能を学ぶことができる。実際、おおくの大工たちが解体作業から多くのものを学んだという。その意味で古材の無為な廃棄は伝統技能の廃棄をもたらしかねない問題である。古材をのこすことは優れた伝統技術の保存と再生につながることなのでもある。

京都を舞台に展開

 「古材バンク」構想は、たんに古材をうまく利用することを狙っているだけでない。背景には右のような問題意識があってのことである。われわれはまず京都を舞台にしてこの構想を展開しようと考えているのであるが、その理由はおのずと了解していただけよう。しかし、単純にいっても木材資源はもっと大事にされなければならないし、そのためにも古材の利用を再考することが絶対に必要である。
 この「古材バンク」の構想が発展して、将来、家屋古材を百%再利用するようになれば冥利(みょうり)につきるというものである。

京都新聞1994年(平成6年)8月10日水曜日(古材文化前会長・永井規男先生寄稿)