”理性偏重型”の人間たちへ。

 「他者の性生活を覗き見ること」に対して「羞恥心」を感じられる人間はきっと”理性偏重型”なのだと思う。

 その羞恥心の何割かは「宗教的な教えによって生み出された”その行為は恥ずべきことであるという自罰感情”」だと思う。 
その他の何割かは「性的な興奮」だと思う。
「ムラムラ」とした気持ちだと思う。
それは見てはいけないものだと教えられてきたから、理性的な人間であるように努めることを強制されてきたから、『本能に従う自分』を恥じているのだと思う。

 人間以外の動物には基本的に”発情期”ってものがあるじゃん。
あれって、周りが繁殖行動をしているから、「じゃあ自分も」ってなっていると思うんだよな。
人間も同様の習性を持っているのだと思う。
所属集団と同じ行動をするために、「他者の性生活」に関心を持ってしまう。
でも、「理性ある人間」としての自分との間に葛藤が生まれる。
ままならないねぇ。
面白いね、人間は。

 創作物などから「強制的に性的な行動を見せつけられた」ときに、自分を恥じる気持ちなんていらないよ。
自罰感情なんて抱かなくていい。
ただ、自分のムラムラとした気持ちを受け止めて、その性的興奮を共有してくれる相手がいないことをちょっぴり悲しんで、強く生きていこうね。

私の隣は空いているよ。
なーんてね。

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