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文章を書く練習:思考停止で何の疑いも持たないのって楽よね。

ここ数年、年に2人程度。「自分の知識の範囲外のことはやりたくない」と思考停止で丸投げする人に遭遇する。

「だってわかんないもん」
「習ってないもん」
「やったことないもん」
などと、できない言い訳をならべ、「もう無理。こんなことを私に頼む方が悪い」と放り投げる人だ。

ちらちらと親の顔をうかがうような視線をなげつけ「なんとかしてくれるんでしょう?」「だってそうじゃないと困るのは組織よね」という態度がいかにも腹立たしい。

「困ったときの神頼み」という言葉はあるけれど、神だって「できる限りのことは自分でしました。あとは自分ではどうしようもないのでお力を貸してください」レベルじゃないと困るんじゃなかろうか。

自分が持つ理性や経験、知識の範囲外のことだからといってすぐに匙を投げるのはよくない。とも思う。
今は生成AIという丸投げの質問をしても怒らない相手がいるのだから、それの力を借りながら仮説を立て、進めるだけ前に進むことも後ろに下がることもできるはずだ。

「だって、できなぁい」と無責任に丸投げする人の多くが「だって本来なら私のやることじゃないし」と思っているようにも見える。

「自分の脳では処理できない」と思考を停止して、ほうっておくだけで周りがなんとかしてくれるなら、楽。と思っているのかな。

楽をした先に待っている自分の未来が明るいものだと信じているなら、それはそれでいいけれど…。

正直、私は、他人に任せて押し付けて、自分の頭を使わないで生きる先に面白い未来がまっていると思えない。

やり方

読んだコラム

「超能力少年」

思ったことを箇条書きに

やり方が書いてあったコラムに例として出ていたコラムだわ。

われわれの理性、経験、知識の想像外のことがあったら、まずそれが本当であるかどうかを疑うのが常識だと思われる。
似たようなことをシャーロック・ホームズが言ってたような気が。
たしか、どんなに非常識なことであっても考えられることをすべて潰していってたどり着いた先がそれならそれが真実みたいな話だったかしら。

納得がいくまで自分の目で確かめたい。
確かめたいと思って、それを実行に移し、確かめるというのが大事なんだろう。

原因をただちに神秘的あるいは超越的なものに結び付けたい本性を人間は持っているのかもしれぬ。それはありそう。

超能力少年、トリックをすっぱ抜かれて母親が謝ったとあるけれど、その後どうなったんだろう。今よりも見せしめとしての娯楽報道が過熱していた時代と思うし、心に傷をおっていなければいいけれど。

自分の主張を決定

理性・知識・経験の範囲外のことを「人知を超えた何か」のせいにするのは気が楽よね。

材料を書き出す

「困ったときの神頼み」というけれど、自分の頭ではどうにもならなくなったとき、「お願いします!」とすがるのは人知を超えた何かの存在だよね。

どう考えても自分の影響の範囲外でどうしようもない。
これ以上自分でできることは何もない。
という状態になってはじめて「あとはお願いします」と頼みに行くのはいい。と思う。だって自力ではもうどうしようもないレベルにきているんだから。

でも、自分で努力もしないで「あとは任せた」とし、うまくいかなかったら「あそこはダメだ」というのは違うんじゃないかなぁ。

自分が持つ理性や経験、知識の範囲外のことだからといってすぐに匙を投げるのはよくない。とも思う。
今は生成AIという丸投げの質問をしても怒らない相手がいるのだから、それの力を借りながら仮説を立て、進めるだけ前に進むことも後ろに下がることもできるはずだ。

「だってわかんないもん」「習ってないもん」「やったことないもん」
などと、できない言い訳をならべ、「もう無理。こんなことを私に頼む方が悪い」と放り投げるのは簡単だ。

現実の世界では、よくお見掛けするこういう人物は、自分を育てるってことをしたくないんだろうか。

「自分の脳では処理できない」と思考を停止して、ほうっておくだけで周りがなんとかしてくれるなら、楽よね。

400文字程度の文章にまとめる

  • 推敲して、ロジックを整える

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やり方が掲載されている記事

文章を書く練習のやり方は、こちらの記事を参考にしました。


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