能町みね子主義

元記事:http://blog.livedoor.jp/kozuesug/archives/52331836.html

新聞見てたら、「相撲通 能町みね子さんと見る政界秋場所」という記事が目につきました。

のうまち・みねこ 1979年北海道生まれ、茨城県育ち。ラジオやテレビのトーク番組でも活躍し、大相撲の本場所開催中はNHKで解説を務める。「週刊文春」で「言葉尻とらえ隊」を連載中。近著に連載をまとめた「そのへんをどのように受け止めていらっしゃるか」(文春文庫)の他、「結婚の奴」(平凡社)など。

という経歴の方です。皆さまよくご承知の方ですよね。多方面でご活躍で喜ばしい限りです。

いえねこの方、ロールモデルになる、という風にも思ってますよ。とりたてて過去の話をするのでもなく、それでも過去を否定するのでもなく、それ以外の話題の方が多彩で面白い、というのは、私が「カリフィアとダースベイダーになりたい願い」でまとめた

性別を変更して、まったく違和感がない完全パスでも、それを秘密にして埋没するわけではなく、しかもトランスジェンダーであることを売り物にしない

という「超―クィア理論」というようなあり方を如実に示しているようにも思うんです。ですから、日本テレビが「オネエタレント」の一覧にこの方を挙げていたことに抗議し、その後にハフポストのインタヴューを受けてスタンスを語った内容が大変参考になります。

能町みね子さん「LGBTが第一のアイデンティティなわけじゃない」


それなのに「オネエ」というジャンルに入れられるのは私の作風を否定されることになるので、そこはもう頑固に反対していきたいですね。まず私は自分が「オネエ」だと言ったことは一度もないし、そもそもLGBTであることが必ずしもその人の第一のアイデンティティではないと思うので。

全面的に賛成!です。LGBTを第一義のアイデンティティと捉えるなんて、私は歪んでる...と思うクチですよ。セクシャリティ以外のアイデンティティが、誰にもきっとあるはずです。いやね、トランス業界だと「セクシャル・マイノリティであることが第一義のアイデンティティ」になってる方が多数、いらっしゃるわけですが、そういう活動家の皆さまの方が「ゲットー化」された特殊なアイデンティティを掲げているようにいつも感じてます。

しかしいわゆる「埋没」というのとも、違うわけです。トランスジェンダー・クィア派の活動家の方とか、どうも

「GID・トランスセクシャル=埋没」は、過去を全面否定して、自分が別の性別であったことを否定するものだ!

という逆の決めつけをなさる方が多くて、はっきり言って、うんざりしてます。そういうものじゃありませんよ。逆に活動家の方がそう「決めつけ」たがるあたりに、妙なコダワリを感じてもいるわけです....もはや、時代のスピードに「活動家」が追い越されているのではありませんか?

――「昔、男だった」という事実について、初対面の人から質問されるのは正直不快だったりしますか?
(LGBTが)ちょっと珍しい存在であることは間違いないんで、最初に会ったときに好奇心で聞かれるのは別にいいんじゃないですかね。バカにしたり、失礼なものじゃなければ(略)でも、2回、3回と会っていくうちに、別になんてことなくなって、普通のお付き合いになりますよね。だから私はそういう意味での「普通」を目指してるんです。「普通」というか、「特殊な人として区別されない」ということ。

こういう「普通」、ロマンティックでアウトロー的な意味で「特殊な人」として区別されることもないような「普通さ」というのを目指すという方向性が、今ではかなりのリアリティを持っているように感じるのです。「アウトロー」を目指すのはロマンティックです。しかし、今やもっと「別な」こともいろいろできてしまう。「抑圧―解放」モデルは、多方面に拡散して対立を無化するような方向性に負けてしまう....これは必然のように私は感じています。

気負わず、平然と、能町みね子主義。いいじゃないですか。たぶん一番私が共感する立場ですよ。これも「生存の美学」なんです。

↓元サイト側の能町みね子さんの著書のレビューです。

オカマだけどOLやってます。

オカマだけどOLやってます。ナチュラル篇

たのしいせいてんかんツアー

お家賃ですけど

結婚の奴


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