パス度追及はルッキズムか?

元記事:http://blog.livedoor.jp/kozuesug/archives/52333314.html

ルッキズムというのは、要するに「人の見かけ」の美醜によって、社会的な立場が左右されるのを「容貌差別」と捉える見方のことです。

Wikipedia「ルッキズム」

1. ルッキズムとその問題

世の中にはいろいろな容姿の方がいるわけですけども、「美人は得!」という言い方があるように、実は容姿によってかなり社会的な損得がある、というのは、漠然とした偏見ではなくて大規模な調査によっても実証されるようです。ルッキズムには性別も依存しない、というのが奥深いあたりです。男性でも、容姿が優れていれば優遇される傾向があるわけですし、「容貌がいい」方を好む傾向は、新生児や動物にさえあるようです。かなり根深い傾向なのですね。

こういう傾向があること自体、否定することはできないのですが、それが道徳的に問題化されるか?というと、微妙なものもあるわけです。もちろん、不利な側にとってみれば、それを「不当な差別」と捉えるのも不思議ではありません。「恋愛弱者」なんて自虐もありますしね。「ユニークフェイス」という言葉で、病気などによる特異な容貌の方の人権問題を捉える見方もありますし、その場合の就職差別などの問題は分かりやすいので、「社会的な問題」にはなりやすいです。
しかし、少なくとも現状では、「容姿による差別」というものは、「告発不能」な差別でもあります。一番美醜による差別がなされがちなのは、当然恋愛や結婚に関わる活動ですが、この場合のそれこそ「顔がキライ」を差別と呼ぶのはいかにも無理です。当然のように「容姿によって選択する権利」があり、それを不当とは呼べないからです。同様に雇用・昇進に関わる場面でも、容姿による差別を口にする雇用者はいないでしょう。容姿による業績に対するバイアスを否定できなくても、それを認めるのも難しいことです。

では本題。性別を変えて生きるトランスジェンダーは、希望の性別で通るだけの「パス度」が高ければ高いほど、社会生活に不自由がなくなります。これは本当に厳然たる事実です。戸籍上の性別や性器が男性であっても、女性としての容姿・立居振舞いがまともならば、現在ほぼ差別を受けることはない、というのが15年間未手術・非埋没で暮らした私の実感です。だからこそ、みんな「パス度」を追求するのですね。ではこれは「ルッキズム」なのか?というのが今回のテーマです。

2. 女装とパス

確かに「女性としての容姿がキレイ」はポイント高いのは事実です。いやそれならば、ニューハーフや女装家・男の娘でキレイな方はいくらでもいます。若ければどうやってもキレイに違いありません。写真見るとね~本当にキレイな方多いんですよ。昔「競技女装」なんて言葉があったくらいですからね、女装家の方が「美の追求」に賭ける気持ちが強いのは言うまでもないでしょう。オートガイネフィリア(自己女性化愛好症)ですからねえ、「女性の美」の実現にすべて賭けて悔いないわけです。

でもね... 女装家さんの「女性の美」は、スチルの美です。リアルで近づくと違和感が強い方が多いですし、立居振舞など男性のままのことが多いです。服装でもファンタジー全開で、女性の感覚での「おしゃれ」とは別感覚ですね。男性から女性に完全に移行しようとする「MtF TS (Male to Female TrasnSexual)」が求めるものとは大きく違う、というのが正直な感想です。
つまり、MtF TS が求める「パス」というのは、「女性美」とも少し違うわけです。ルッキズムというならば、女装家さんの方がずっと「ルッキズム的」だとも言えるでしょう。「パス」はその正反対でもあります。「パス」には自己顕示欲が含まれることはなくて、それよりも「女性の普通」に合わせよう、目立つことなく年相応、TPOに合わせて振る舞いたい、というのが「パス」の心得でもあるわけです。

以前お付き合いのあったグループの方で、こんな方がいました。女性的な見かけだったんですよ、ですからちゃんとすれば、全然パスするような方なんですが、服装が....いやいや、派手じゃないんです。逆に「これ、私らの親世代の昭和レトロファッション?」となるくらいに地味すぎたんです。どういうお考えかは知りませんが「これじゃ、逆に浮きまくってパスしないよね...」と心配したくらいです。素材がよくて、しかも派手でもないのですが、「女性のふつう」感覚が理解できていないために、「こんな女性、いないよ」と思われてしまうわけです。
女性である以上、ある程度のナルシズムや「おしゃれ」感は必要なのです。もちろん、その「おしゃれ」が手前勝手な男性の感覚だと、浮きます。おそらくそういう失敗に懲りて、この方はこんな地味無難に逃げたのかもしれないのですね。

3. 女性とおしゃれ

純女さんだって、失敗を繰り返して「おしゃれ」を学びます。ここで「他者の評価」が抜け落ちているならばいつまでも「おしゃれ」になることもないわけです。「着たい服を着る」か「似合う服を着る」か、これは女性にとっても本当に切実な、永遠の問題でもあるわけですよ。この葛藤を経ることで、誰しも「女に、なる」わけです。生まれてこの方女をやってきた純女さんでもちゃんと解決できないような大問題を、ついこの間「女になった」MtF が...解決できるわけないのですよ。 こういうファッションの試行錯誤のプロセスと、それを通じての「自分のスタイル哲学」の確立を経ずに、「パスする」なんて無理なことです。

もちろん、しぐさや立居振舞に気をつけるのも重要です。しぐさや立居振舞は、女性の身体の生理に結びついていることも多いですから、実はダイエットして筋肉を落とすのが、一番手っ取り早い方法のようにも思うのです。筋力が落ちれば、筋力がないような体の使い方にどうしてもなってきます。自然と女性のカラダの使い方に寄ってくるわけです。
そして、この身のこなし、しぐさが女性になり、ファッションも周囲から浮かない「女性のふつう」が実現できれば.....少々ブスでも、問題なくパスするわけですよ。現実の女性のスタイルのバラエティは、男性が思っている以上に多様です。一定の「型」にハマることが、パスすることではないと私は思ってます。あなたにも「ハマる」女性のスタイルが、きっとあるはずです。女性の生き方の多様性の方に、賭けてはみませんか?
そもそも「キレイになりたいから、女になりたい」ではなくて、「ブスでもいいから、女になりたい」が MtF TS の真情であるべきです。違いますか?

つまり、MtF TS の「パス」というのは、「女性の身体文化を真剣に学ぶ」ことです。努力と観察力で補えることが多いのです。そうしてみると、「パス」が「ルッキズム」だというのは、不当な批判だと私は思っています。皆さまのご意見はいかがでしょうか?

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