みさねこさんへ

メッセージのやり取りだと、思うところがきっちり書けないと思うので、note で書きます。誰に読まれても私は気にしないし。
年末からいろいろと考えてきましたが、私の結論は、

トランスを卒業する

という方向で固まりました。それが私のとって、一番しっくりする結論です。ですので、今後はトランス関連の話題には一切かかわらないことにします。

というか、私の今の状況を自分で冷静に考えてみたときに、私が何らかの意味で「トランスジェンダーであるか?」というと、もはや違う、としか言いようがないのですよ。確かに男性として生まれて約40年間男性をしましたがね。私の場合には「男性時代」に問題が集中していて、ほとんど男性扱いされないことに窮してたから、社会的な性別を変えた、ということに過ぎないのです。性自認もへったくれもありませんし、ただ単純に「男しているのが不便でしょうがない」から、変えただけなのです。
いざ変えてみれば、SRS&戸籍変更してなくても、女性の生活にも慣れきってしまい、周囲も女性としか扱わないです。その状態で差別らしい差別も受けませんでしたからね。で、その後にSRSも戸籍変更も済ませましたから、もはや他人に過去を云々されるいわれはもうないのですよ。
それでもう20年も過ごしているのです。男だったことなんて、もう過去の遠いかなたのようなものです。「性同一性障害」や「性別不合」というのも、身体・法律・精神的なレベルでのジェンダーの不一致がもたらす困った状態であるとするのならば、「状態の変化」によって「治る」、そう考える方のが、私にはしっくりきます。

今の私は、身体的にも、社会的にも、心理的にも、戸籍上も、女性です。「トランス」は過去をあえて云々したときだけの話に過ぎません。だったら、もはや過去にこだわることを止めようと思います。私はもはやトランスでは、ありません。

もちろん、会に加わったのは、特例法のおかげを被った私が、少しでも後の人々の助けになるようにしたいと思ったからです。TRA の言い分はムチャというものですし、私から見れば、特例法での負け組のリベンジでしかなくて、大嫌いだった人々が主導する、女性との無用な軋轢を生むだけの有害なものでしかない、という見解は今でも少しも変ってはいないのです。

しかし、トランスとして私が代表する立場、というのはいわゆる「完パス・埋没」系になるわけです。この層は女性たちとは何の軋轢もなく平穏無事に移行後の性別に満足して暮らす人々です。あえてカムアウトでもしないかぎり、差別を受けるとかもない人も多いわけです。だから、政治的な主張もありませんから、運動なんてする気もない層です。TRA の主張だって、はっきり言えば、「パスしない人たちの問題」で他人事ですし、TERF の主張のターゲットに自分がされるのは本当に困りますが、「パスもしない人と一緒にされるのは迷惑」というのが本音でもあります。TRA に迷惑する層の一つだからこそ、TRA に対抗可能で、今までの特例法を守る基盤になると私は考えていたわけです。まったく非政治的な層ですが、特例法の最大の「受益者層」ですからね。

ですが、1月のトラブルの際には、中*さんにこの議論を全面否定されたわけです。ですから、少なくとも私に関しては、女スぺ会と一緒にやる根拠は失せました。女スぺ会の主張には「女性として」賛成ではありますが、それを通じて自分たちが攻撃されるのならば、一切協力はできません。運動に携わるのならば、そのプロセスの中で自分の立場を捨てて、「他人の立場」だけで活動しなければいけない....のならば、やる意味はありませんよ。
この件で、私は女スペ会を見限っています。女スペ会とって、「完パス埋没」が「女性の権利を目に見えないかたちで最大限に侵害する」ような、ノンパス以上の脅威なんでしょうかね。それに近い「女性らしさ」を盗まれているとするような意見も目にしますが...コジらせ過ぎでは?
いわゆる「トランス」の中でも 実態は多様であり、だからこそ TRA が主張するような性自認至上主義に違和感が強い層もいろいろあるという、言ってみれば「多様であることが武器である」といった戦略的重要性を女スペ会は理解ができないようです。

翻って、私は「自分が得ようとしたもの」はすでに完全に獲得しているわけですから、運動を通じて加えて何かを得ようとは少しも考えてはいないのです。考えてみれば、TRA もしくは TERF のどちらかが完全勝利をして、特例法が廃止になった場合でさえ、すでに特例法を使って性別を変えた人々を、元の性別に戻す…..これがありえますでしょうか? いやいや、人権云々しなてくもいいのです。単に法律論としてそんなことは「不可能」なのです。同性になるから強制的に離婚させるとか、婚姻が無効化して相続の結果を否定するとか、そういうことになりますから、現実問題としてできるわけがないのです。

そうしてみれば、極めてエゴイスティックに自分のことだけを考える限りでは、TERF が勝とうと TRA が勝とうと、私には一切手を触れることはできないのですよ。もちろん、この立場を取るのは恥ずかしいことです。ですから、「後の、私のような人たちのために」特例法を守ろうと考えたのです。

しかし、私のような「完パス埋没」さえも、どうやら TERF はそのイデオロギーから、観念的に「許せない」と考える人が多いのを目の当たりにしました。なら私が「完パス埋没」の立場を主張するのは、有害無益なことでしかないのでしょう。無用な内輪もめを望むわけではありませんから、私は「黙ります」。
その戦いの中で自分の立場を守る必要がある人々、獲得すべき何かがある人々、そういう方々の方が「よく戦う」ものです。私のような守るものも得るものもない者が、あれこれ言うのも「余計なお世話」というものでしょう。

さらに言えば、私自身はいわゆる「素質組」なので、「パスしない」経験というがまったくないのです。もちろんそういう「素質組」が「恵まれた少数派」であることは、重々承知していますから、「パスしない人の立場を優先して」対応するように心がけてきました。いや、それでもやっかまれるのですね….. 困った。まあそれは、なるべく気にしないようにはしてきたつもりなのですが。
とはいえ、私に「パスしない人の気持ち」がわかるか、といえば「まったく、わからない…」としか言いようがないのです。そういう私が、トランス全体の立場にたって、モノを言わなければいけないのは、偽善でしかありません。私はこの偽善にどうも疲れてしまいました。私が「トランス全体の利益」を述べるのは、おこがましくも不遜なことです。自分の本当の「完パス・埋没」の立場について語ることを禁じられて、本当はよくわからない「ノンパスの人々」の代弁だけを求められるのならば....いやいや、私が発言のモチベーションを維持できなくなっても、仕方のないことだと思っていただけないですか?

私が本当に実感を持って語れるのは、「普通の女性として、周囲の女性たちと一緒に、女性的な文化を楽しみつつ、日々を平穏に過ごす悦び」なのですよ。ですから、特に対 TERF で、「自分を女性でない」と強制的に卑下を要求されるのは、本当に耐えがたいことです。私が、「自分が SRS を受けていい根拠」だと考えていたのは、周囲が「私を完全に女性だ」と扱ってくれる、という事実に他ならないのです。身近でいつも顔を合わせる女性たちが私を「まぎれもない女性」として扱うにもかかわらず、ネットでは「お前なんか女じゃない!」と決めつけられ、「女でない」と強引にでも告白させようする….このギャップの激しさには呆然とするものがあります。

ネットとリアルワールド、一体どちらが正しいのでしょうか? 特に今の荒れたツイッターの状況は、異常というものです。もはやだれが見ても、TERF の側も、TRA の側も、「かなりコジらせた変人たち」の巣窟になっていると認めることでしょう。「エコーチェンバー効果」と言うのでしたっけ? それに加えて相互のバッシングの激しさに、耐えることができる変人しか、今は生き残っていないのでしょうか?

でしたら、この問題の結末はこういうことなのでしょう。

このツイッターでのバッシングのひどさが証明するように、TRA の意見も TERF の意見も、どちらも「極端に過激な少数意見」に過ぎないものであり、どちらもマトモな世の中が耳を傾けるべきものではない。

いや、実のところ、これが私たちにとって、一番歓迎すべき結論です。TRA の実態も最近では随分と暴露されてきつつありますし、いわゆる「ポリコレ疲れ」やら「バラモン左翼」批判やら、リベラル派の凋落も今やトレンドだと言っても過言ではないのでしょう。だったら私がこの問題に首をツッコむは….本当に無益なことです。

私は可能ならば、診断も「性分化疾患」の側に変えれないか、と改めて検査を要求しようかと思っています。私の問題は精神的な問題ではなくて、身体的な問題だ、という感覚がずっとあるのですが、どうもこれが精神科主導の「性同一性障害」だとマジメに捉えてもらえない不満をずっと抱えていました。もはや「性同一性障害」という診断から、可能な限り遠ざかりたい、というのが本心です。TRA がトランスという言葉を恥ずべきものに変えてしまったことに、強い怒りの念を感じるのは、今更言うまでもないことですが。

私はトランスを卒業しますが、みさねこさんを応援していることには違いはありません。単に私はどうやっても、みさねこさんのお役に立つことができない、という結論になっただけのことです。

ご多幸を、お祈りしています。

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