特例法制定当時の界隈(2)

TS原理主義


確かに、特例法によってメリットを受ける人、受けない人が出ます。これは法律というものの、どうしようもない側面です。具体的な法律では、定義して線引きをしないと、何もできないのです。

ですから、特例法の内容があきらかになるにつれ、その恩恵を受けられない人々は、不満に思うのは仕方のないことです。やはり法律にできること、というのは、かなり限りがあることです。「差別をなくそう!」は理念としては正しくても、社会を委縮させてしまえば元も子もありません。どんな考えであっても、「思想」で人を裁いてはいけませんし、「人の考え」を法律で変化させよう、というのはファシズムです。ですから、大島先生が嘆息して、

特例法反対派は、法律でできないことを、出来ると思って要求している....

とおっしゃるのを聞きました。「差別解消法」というのはかくも難しいものなのですよ。

やや問題をこじらせた、という側面があるのは、いわゆる「TS原理主義」というものでしょう。埼玉医大の情報から、SRSや戸籍変更へのチャンネルが開ける?となったら、それまでのコミュニティには無関係に野に潜むTS指向の人が、やはり自分の念願が叶うかも?と運動に参加するようにもなるわけです。ですから、三橋氏が当初のニューハーフ・女装界隈から連れてきた人々に代わって、主として初期のBBSから情報を得て参加するようになった人々が増えてきます。「女装」と「TS」を区別することで、自らのアイデンティティと捉える考え方が登場するわけです。これに三橋氏は疎外感を感じたことを言っていますね。

私でも全然影響受けてないわけでもないんです、TS原理主義。まあ、これを他人に対して主張するのは差別ですから、他人を「裁く」かたちではなくて、あくまでも自分の理想像の一つとして考慮する、という程度のものです。もちろん、このTS原理主義で揉めた(1997年あたり?)こともあって、TGブランチみたいなグループは、他人を批判しないミックス路線になってもいるわけでした。でも、少し覗いてみるのもいいんじゃないでしょうか。私が好きだった「ゆりちゃん」という方の文章です。

TSになりたいの それとも本当の女性になりたいの?

 いきなり過激なタイトルですいません。でもこれはとても大事なことなんだと思うんです。はっきり言います。私はTSではありません。ただの女性にすぎません。これが本当の私だし、客観的な事実でもあります。

もっとはっきり言いましょう。私は生まれたときから女性でした。これが本当の所なんです。だから女性になったのではなくて、本来の私に戻っただけです。私は子供の頃は外性器に奇形があって男の子だと思われていました。でも元々は女性だから男の子として生きることは本当に耐え難いことでした。自由でいいじゃないかって思う女の人もいるかもしれないんだけど、やっぱりそれが自分の身に振りかかってくると地獄ですよ。だって本当は異性の人が同性として接してくるし、本当は同性の人が異性として接して来るんだから。私は自分が女だから、女の子の気持ちは全部分かるし、女の子からは確かにめちゃくちゃもてたけど、くすぐったくて、やめてって感じでした。逆に男の子は本当は異性なのに同性だと思われて、全然優しくしてくれなくて、くやしい思いをしました。

 でもここで勘違いして欲しくないのは、私は異性愛だから男の子が好きなだけなんです。友達としては女の子は最高にGoodです。私は女の子の友達は同性として、とても大切にしています。

私は私自身に、そしてまわりに嘘ついて社会人になってからは本当は女なのに男の子として暮らしていましたが、学生の頃は当たり前のことなんですけど女性として暮らしていたので、女性に戻るのはとても楽でした。

私は当然のことなんですけど、声も女だし体型もそう、洋服も9号サイズでも少しゆるいくらいだし、でもガリガリタイプじゃなくて、出るとこは出てるし引っ込んでるところは引っ込んでます。ホルモンとかやらなくても元々女性の体型でした。

TSの人はFTMもMTFもこういうタイプが多いです。ホルモンってはっきり言ってほとんど効かないですね。ホルモンなんかやらなくても、FTMTSはもともと男性にしか見えなくて、MTFTSはもともと女性にしか見えない。そういうもんだと私は思います。私はある意味TSは精神の問題ではなくて、肉体の問題のような気がします。これは今後医学の発達によって明らかにされて行くでしょうけど。

きびしいことを言うようなんですけど、どこから見ても男性にしか見えないMTFの人、どこから見ても女性にしか見えないFTMの人は、けっこうきびしいんじゃないかなって思うんです。女の人でも男顔の人がいたり、男の人でも女顔の人がいますよね。でもまわりが性別を取り違えないのは、私は内面から醸し出される雰囲気だと思うんです。だから本当のTSであば、MTFならもともと女性なので、自然な女性らしさが内面から醸し出されるんです。外見に違和感がある人は、やっぱり私は誰が見てもわかると思います。

私はTSだなんて絶対言われたくないし、事実言われません。現実の私は本当の女性にすぎません。それが事実なんです。

1997年7月24日  ゆり

と、TSであることさえも否定するくらいに、極端化した主張でもあるわけです....まあ、ここまで主張するのも、行きすぎではありますが。

もちろん、これは揉めます。当たり前でしょう。ですから、やはり揉めたあとは、

手術を求めるTS(トランスセクシュアル)、女装家のTV(トランスヴェスタイト)、TSでもTVでもないTG(トランスジェンダー)

という三分割が成立して、「T’s」か(総称としての)トランスジェンダーで呼ぼうか?というあたりに落ち着くわけです。しかし、しこりはいろいろ残ったという印象もあります。TSだけが特例法によって救済さることが、特にTSではない、とされるTGにとって不満ですし、TSであっても人によっては「コミュニティ維持」からTGの不満に妥協して、特例法を批判する側に回ることもあるわけです....なかなか難しい状況でもあったわけです。この頃には、この業界では、女装系は「理念上は含まれるけども...」ではあってもやはり肌合いの違いも大きくて、あまり参加がない、ということになっていたような印象もありますね。

パス度を語るなかれ

しかし、この内輪もめの中で、一つ埋没したテーゼもあるようにも思うのですよ。この後遺症から、「パス度」を語ることがコミュニティでは事実上タブー化します。もちろん、トランスにとって「パス度」の高低は良かれあしかれ「どうするか?」を左右します。パス度が高ければ、生活に不自由が少ないですし、パス度が低いとかなりの努力が必要になります。「パス度が高い」から低い人を差別するのは、よくないことであるのは当然ですが、「パス度が低いから、トランスやめた」というのも生き方としてはアリでしょう。

コミュニティではタブーになろうとも、パス度、は世間では厳然としてありますし、トランスの生き方を左右する、というのも、また事実です。トランスは自分の生身で、この現実に立ち向かわなくてはならないのです。逆に言うと、コミュニティでは「パス度」がタブーになってしまって、たとえば「お化粧講座」とか「立居振舞ワークショップ」とか「ファッション指南」とか、そういう実用的な知識獲得の取り組みができないことにもなります。コミュニティにいても、パス度は上がらない....いや、ほんとにそうでしたね。

で、それにも関連しますが、身体の問題、というのも大きく無視されることでもあります。一口に MtF と言っても、身体状況はさまざまです。中にはゆりちゃんや私、虎井さんや新井祥さんみたいに、性分化疾患の疑いがかかるような身体もあれば、普通の男性/女性の身体もあります。GIDの概念は、言い方が悪いですが、精神科のイデオロギーですから、身体状況はあくまでも「鑑別除外診断」の対象として捨象されて、「自分が、どう思うか?」に還元されるキライがあります。

しかし、人間はカラダを基礎にして「ジェンダー」をまとうというのが、現実の姿です。ゆりちゃんのヒステリックなまでの「女性」宣言も、やはり「そういう身体の(特殊な)現実」を反映したものでは、きっとあるのでしょう。いや、言いたいのは、「意識」は「意識」だけで完結するものではない、ということなのですよ。ジェンクリでも身体に関する疑問はほとんど無視されます。私なんて、これに強い不満を抱いているのですけどね。

いや、言いたいのは、TS/TG/TVという「T’s三分割」の成立によって、身体とパス度の問題が、タブーになってしまった、という事実です。これはコミュニティを維持するうえで仕方のないことではあったのでしょうが、その代理表象となるのが「性自認」というアイデンティティ・ポリティクスだとするのならば、これはかなり不幸なことですし、おそらく「トランスジェンダリズム」の源泉も、このあたりにあるのでしょう。

特例法をめぐって

ですから、このような状況で、特例法浮上以前にすでに、TSとそれ以外、という暗黙のカテゴリ分けが成立して、結構内部抗争もあったようです。ですから、けして性同一性障害系(GID/TS) と、トランスジェンダー系(TG/クィア系)との対立は、最近のことではないのです。特例法前夜の時期でも「内部抗争に明け暮れていた」という感想もあるようですよ。

しかし全体が小所帯ですし、まだ、TSと「それ以外」の間での観念的な差異はさほどはないために、同じグループとしての活動が成立していたようです。私の印象では、TGブランチでは、もちろんこの「多様性をそのまま受容しよう」という「TGブランチの約束事」があって、その上で差別などないようにはしていたのですが、それでも、暗黙のデフォルトとしては、TS的に振る舞うようにするのが大前提でした。ですから、ガイドラインに乗ってプロセスを進行させていくことが、自己実現だ、というような強い流れに押されて行ったようにも感じます。この流れの中で、たとえば塩安九十九氏は「まんこ語り」などのフェミ方面に戻っていき、吉野靫氏は不幸な医療事故に遭うことにもなるわけです...まあこれはやや先走り過ぎていますか。

そして、「パス度」を語ることができないために、実はその代わりになったのが、「性同一性障害」という病理とガイドラインの上での進行具合なのですね。つまり、ガイドラインに乗って、「どこまで進んだか」が、当事者間の「格付け」みたいに使われる状況が起きたわけです。古い関係者はこの風潮を「当事者の分断」としてかなり嘆いていますね(「トランスジェンダリズム宣言」土肥いつき氏p70)つまり、格差が「医療化」されたわけですよ。やはり問題解決手段が現実に利用可能になってくると、それに対する適応によってコミュニティの一体感が失われるのは当然ではあります。

で、登場するのが特例法です。これはもちろん、2001年5月末の一斉申立運動もあって、与党を動かして法案上程・成立したものですが、申立当事者の感覚でも「意外!?」という印象を受けたようです。ですから直接に関わっていなかったTG系の人々には、突然「特例法が降ってきた」というような印象でも、不思議はないでしょう。その例証となるのは、例の「トランスジェンダリズム宣言」(社会批評社)は2003年5月3日発行の奥付がありますが、2003年7月10日に成立した特例法について、ほとんど触れることができていないのです。ほぼ2003/1/25に行われたトークバトルの中でしか触れられないくらいの、急展開でもあったわけです。

その中で突然登場した「子なし条件」に、TG派の人々が反発して、「だったら仕切り直し!」と考えたのは、理解のできることでもあります。しかし、もう大勢は動いています。そのまま妥協して特例法は成立することになります。

確かに「子なし条件」はおかしいです。だからこれをテコに、TG派がTSの一部も取り込んで、特例法に反対させようと策動もしましたね。実際に「トランスジェンダリズム宣言」の筆者の一人の筒井真樹子氏も大阪に来て、筒井氏からこの本を買った記憶があります。その後名前を聞きませんが、この方、どうしたんでしょうね? ケイト・ボーンスタインの本を翻訳して消えたような印象ですが...まさに「サードジェンダー」という雰囲気の方でしたね。

たとえば、TGブランチだと森村さやか氏はこの策動に乗りました。

そもそも大島―虎井ラインの主張には、大きなまやかしがあると思います。これは私の意見ではなく、ある法社会学者の方の意見ですけども、仮に戸籍上の性別変更が法的に可能になったとしても、絶対に当事者が望むような形にはならない。なぜなら、変更の要件を認めるのはマジョリティ、つまり多数派政党の国会議員たちであり、彼らが現状の男女二元的な性別秩序に立脚した社会システムを維持しようとする限り、仮に戸籍の変更を認めるにしても、社会システムを攪乱しないようにその窓口は可能な限り小さくしようとするだろうというお話でした。(トークバトル三橋順子氏の発言 p.255)

というこの話を得々として紹介して、私なんかは呆れたものでした。いや森村氏、もともと「活動家」指向の高い方で、妙なサヨクな「情報」を持ち出してきては、周囲を??させていた方です。いろいろ政治的な活動をしようとしたのですが、結局尼崎の市議に自由党から立候補して落選して、その後はもう埋没しているとも聞きます。

そんなこともありましたが、TGブランチの中では「特例法ができてうれしい」というのが総意でした。森村氏もしっかり特例法使って変えましたからね。ですから、特例法には問題がありますが、それでも当事者のほとんどは、成立を歓迎しました。これを潰そうとした人々は、数としてはごくわずかです。

実際には、この「トランスジェンダリズム宣言」では、著者の一人の米沢泉美氏が「反住基ネット連絡会」に参加していたこともあって、

しかしシンポでは「戸籍が全てなんだ」と。大島先生は「全てはその次からだ」と言ってですね、戸籍の書き換えの方が住基ネットの改善より先に実現するかのような凄い口振りで話していて、この人世の中なめているんじゃないかと思ったんですけど、結局虎井さんとか大島さんとかには、社会問題として扱っていく視点が全くないのではないか、と疑問に思わざるを得ない。(トークバトル三橋順子氏の発言 p253)

というような現状認識がかなりズレた発言をされています。まあわざわざ、私が言葉尻を捉えて批判する必要もないでしょう。いや私、戸籍制度廃止は大賛成です。しかし、それがたやすいことではない、と思っているだけのことですよ。

もちろん、大島先生もこの「子なし要件」の問題については、「申し訳ないが」という立場で説明し、「三年後の見直し」を法案の明文に入れる、ということで決着したわけです。

そしてこの「三年後の見直し」に積極的に取り組んだのは、山本蘭さんの gid.jp だけでしたね。孤立無援の山本蘭さんが、2008年に頑張って「未成年の」を入れさせたわけです。2013年には、「子なし要件」の削除をさらに求めていますが、こちらは残念ながらかたちにはなっていません。

実際、山本蘭さんの業績、というのは、騒いだ方々の比較にならないものです。https://twitter.com/RanYamamoto/status/940477419537838080

私がやってきた実績って何だろうと思って、上げてみた。
まずは、国会・行政関係
・地方自治体における性別欄削除の先鞭(直接・間接的に関わったのは60自治体)
・特例法の制定
・特例法の改正
・年金番号問題の解決
・精神障害者保健福祉手帳からの性別欄削除
・文科省の通知
・健康保険適用
かな

特例法を作ろうとした人、潰そうとした人、この差はまったく明らかだと、私は考えています。


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