特例法制定当時の界隈(3)

「トランスジェンダリズム宣言」

では、問題の本「トランスジェンダリズム宣言」(社会批評社・2003年)をしっかり、やりましょうか。編著は米沢泉美氏で、メインのライターはいつき(土肥いつき)氏、筒井真樹子氏、三橋順子氏。加えて「コラム」で参加するのが、畑野とまと氏、森田MILK氏(G-フロント関西の代表)、阿部まりあ氏(京都の女装系イベント玖伊屋スタッフ)、佐藤文明氏(戸籍研究家)、中島豊爾氏(インタビュー:岡山病院。ガイドライン策定の委員長)の面々。

ですから、三橋順子氏、それに畑野とまと氏はみなさまお馴染みのことでしょう。森田MILK氏はもうお亡くなりになってますね。いや私もこの当時から関わり合いがありますから、当時の活動家で「消えた」皆さん、結構おられます。どうされているのか?というのも気にはなるところです。埋没して幸せに暮らしているのなら結構なのですが...

サードジェンダーを巡って

この本、たとえば三橋順子氏の「日本トランスジェンダー略史」とか、筒井真樹子氏の「ヴァージニア・プリンスとトランスジェンダー」「アメリカのトランスジェンダー・アイデンティティ」のような、結構レアな情報もあって、こういう論考はそれなりに面白いんですよ。「日本トランスジェンダー略史」はこれをベースにして「日本人と女装」を書いたのかもね。いやまあ、ここらへんは歴史的な叙述としてそれなりの価値はあるんですよ。

筒井真樹子氏、ケイト・ボーンスタインの翻訳者ですからね、「サードジェンダー」を主張する方です。当時「インターセックス(性分化疾患)」の活動家として橋本秀雄という方がいました(あれ?今は?)が、この方も「第三の性」を主張してましたが....今は「インターセックス」って呼ぶと当事者は嫌な顔をします。LGBTI とか呼ぶと、「自分たちはセクシャル・マイノリティとは違う!一緒にするな!迷惑だ!」と怒る人もおおいですよ。日本でもネクスDSDジャパン  https://www.nexdsd.com/ という組織ができて、ここが性分化疾患の当事者団体なのですが、先日(2021/11/11)に、

私たちは「男女以外の第三の性別」を求めていません

という声明文 https://www.nexdsd.com/post/we-are-not-the-third-sex を発表してしまいました。いや、いかに「イデオロギー」が現実の問題を無視して観念的に組み立てられているか、を証明したようなものです。筒井氏が主張しているのは「サードジェンダー」というアイデンティティ・ポリティクスです。しかし、そのアイデンティティ・ポリティクス自体を、とくに性分化疾患当事者は非常に迷惑にしか思っていない、という事実が暴露されてきているのです。

「トランスジェンダリズム宣言」が主張する「トランスジェンダー」とは、アイデンティティ・ポリティクスです。彼らは「トランスジェンダー」というアイデンティティを主張しようとしているのです。しかし、多くの性別移行をした人々のアイデンティティは「トランスジェンダー」ではなくて、移行した先の性別です。もちろん「トランスジェンダー」をアイデンティティにするのは、個人の自由ですから、それ自体に反対する気はありませんし、「サードジェンダー」だって同様です。これはもちろん、筒井氏は認めています。

思うに、それが最終的に典型的男性や女性に帰属するものであるにせよ、あるいはサードジェンダー的なものを模索するにせよ、自らのアイデンティティを判断するのは個々の当事者である。医師による診断はあくまで参考でしかない。もちろん、典型的男性や女性への帰属を求める当事者にサードジェンダーであることの自覚を強制することは、許されない。しかし、典型的男性または女性への同化という選択肢しか存在しない社会は、やはり貧困としか言えないのである。

いやいや、まったくその通り。問題は「サードジェンダー」を選択する人々がきわめて少ないことですよ。たとえばボーンスタインは著書の中で、女装コメディアンを自分たちの同盟軍に数えていますが、日本では....あれ? オネエ芸人って何人いるのかしら? 歌舞伎ってどういうお芝居でしたっけ? 私宝塚歌劇とかOSKとか、大好きなのですが....こういうあたりで「サードジェンダー」とか「トランスジェンダー」とか、アイデンティティを主張して「連帯」してくれた話を聞きませんね。なぜでしょう?

つまり、「サードジェンダー」を「異性装文化」によって裏付けようとするのは、ムリ筋、事実上不可能なのですよ。さらに「生物学的な多様性」によっても、即座に性分化疾患当事者によって却下されます。「サードジェンダー」は、いまだにそれを主張する人々の「観念」の中に、あるだけで、「サードジェンダーの文化」というものは、どこにもありません。

ですから、今のトランスジェンダリズムが行っていることといえば....

もちろん、典型的男性や女性への帰属を求める当事者にサードジェンダーであることの自覚を強制することは、許されない

「トランスジェンダリズム宣言」で主張していることに、TRA活動家たちはまったく違反している! 埋没しているトランスセクシュアルを「トランス男性」「トランス女性」と呼びたがるなんて、まさにその典型、でしょう? ボーンスタインは自らを「ジェンダー・アウトロー」と称しますが、もはや TRA活動家は「アウトロー」そのものです。「典型的男/女のアイデンティティの押し付け」を批判したはずのトランスジェンダリズムが、「トランスジェンダー」というアイデンティティを押し付けるさまは....いやはや自己矛盾というものです。かくも「暴走するアイデンティティ・ポリティクス」!

「トランスジェンダー」とは何か

いやね、筒井氏の論述でも「押し付けは、だめ」ですが、一応この本の論文の基調にはなっては、いるのですよ。それを無視して書いている個所は、実は少ないです。まあ言いたい放題しているトークバトルは別にしてね。

しかし、観念的なレベルでは、別です。この本の主張では「トランスジェンダー」は包括的な概念として登場します。まずは発祥の部分から。

これらの人は、セックスとジェンダーの「逆転」が誰からも明らかであるため、社会的にもその存在は認識されやすかったと言える。そして、それに対し、医学が関与を行うための診断名が「性同一性障害」として確立された。しかし、ここまで述べてきたとおり、ジェンダーアイデンティティのあり方は実に多様であり、医療を必要とするのかしないのかも人それぞれである。そしてこのことを、「医療を必要としない当事者」の側から「突きつけ」るものとして、「トランスジェンダリスト」という語が当事者によってつくられた。すなわち、「トランスセクシュアルではないが、セックスとは別のジェンダー表現をもって生きる」という意味である。(p31)

これは「トランスジェンダリズム宣言」の編著者である米沢泉美氏が、巻頭論文として書いた「トランスジェンダー概論」の一節です。以下この論文を検討していきます。

ここで主張されているのは、いわゆる「狭義のトランスジェンダー」の概念に近いです。当初から、「性同一性障害=トランスセクシュアル」との差別化(医療の要不要)のために、作られた概念だ、ということになりますね。ですから、

トランスジェンダーと「性同一性障害」はまったく異なる概念なのだ、と言える。いやわれわれ当事者はそう声高に叫ばねばならない。(p29)

となります。なるほど。ここで気をつけるべきは、トランスジェンダーが「性同一性障害」と差別化されるのと同時に、「トランスセクシュアルではないが、セックスとは別のジェンダー表現をもって生きる」わけですから、実は女装家(トランスヴェスタイト)との差別化はなされないのです。言いかえると、

性同一性障害(<ts>)    vs    「トランスジェンダー」=狭義のトランスジェンダー(<tg>)+女装家(<tv>)

という構図が、まず作られるわけです。以降面倒ですので、「狭義のトランスジェンダー」を<tg> と表記して、「包括概念としてのトランスジェンダー」を [TG]、このレベル分けに合わせて、性同一性障害=トランスセクシュアルは<ts>、トランスヴェスタイトは<tv> と表記することにしましょう。これで妙な手品に引っかからなくて、済みますよ。

しかし、この「トランスジェンダー」を、より包括的に使う用法が登場します。

その後この概念は、トランスセクシュアル一辺倒の見方へのアンチテーゼというニュアンスを残しつつ、トランスセクシュアルをも含んだ、包括的・総合的な、ここまで述べてきた「トランスジェンダー」へと変化する。
ただし、日本においては、トランスジェンダーを「トランスセクシュアルでもクロスドレッサーでもない当事者」、すなわち「ジェンダーアイデンティティはセックスと逆の性別で確定しているが医療は望まない当事者」という意味で用いることも多い。特に、略語であるTS・TG・TVを用い、当事者を三分類するために使われることが多い。(p.32)

つまり、この「総称としてのトランスジェンダー[TG]」は、医療否定の「ニュアンス」込みで、トランスセクシュアル<ts>に押し付けようとした出発点があるわけです。でしたら、本当はこの時点で、トランスセクシュアル<ts>は「トランスジェンダー[TG]」と手を切るべきだったのでしょうけども、小所帯ですからね、なかなかそうもいかなかったのです。

それともう一点は、ここまでの議論の中で、クロスドレッサー(=トランスヴェスタイト<tv>、女装家)が、常に狭義のトランスジェンダー<tg>の連合軍として登場することを、一度も否定していないことです。今の TRA 活動家は、「トランスジェンダーは女装ではない」と主張しますが、「宣言」では明白に[TG]に<tv>は含まれていて、それを強く主張しています。いやこれ、当時から業界周辺にいる私の理解も、まったくその通りですからね。言い逃れは、させませんよ。

しかし、彼らがどれほど女装家<tv>に影響があったか...というと、これはかなり微妙でしょう。確かに三橋順子氏は「女装家」を名乗ってましたし、この「トランスジェンダリズム宣言」の筆者の一人でもあります。ゲイの方がTG-ブランチや他の自助グループに参加されたことはありますが、女装系の方は...いやあまり記憶がないのですよ。実際、女装系の方は「娯楽」が多いから「政治性」はありませんからね。単に「脱げば、終わり」のオタノシミなのですね。

実際、女装業界はその後の「男の娘」ブームに乗っ取られたことによって、風俗的に沈没している状況のようです。エリザベスも会員高齢化のために、かなまら祭に人手が出せなくなったそうですしね....だって、今や「男の娘」ならば、いくらでもノウハウがネットで手に入ります。わざわざ、怪しい政治性のある団体に近づきませんよ。

結論:これが「トランスジェンダリズム」を基礎づけた「トランスジェンダリズム宣言」の巻頭論文ですから、「公式」のトランスジェンダーの定義になります。これに対する反論は、おそらく不可能でしょうね。共産主義者を名乗って「共産党宣言」を否定するようなものですからね。まあでもこの本自体の入手が難しいですし、トークバトルなどでバカなことを言っているのを今更晒すのも、筆者たちも恥ずかしいでしょうから、入手困難なままで終わるのでは?なんて思います。

表に出ては、まずい本、なのでしょうね。




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