特例法制定当時の界隈(1)

はじめに

皆さまのご要望にお応えして、私が知っている限りで、特例法の成立や当時のコミュニティの状況などについて、思い出を書くことにします。実際、私の感覚では、今のトランスジェンダリズム活動家の「反特例法」っぷりを見るにつけ、特例法の上程とその成立に向けての時期(2002~2003年頃)に、「特例法反対」に流れた人々の姿が、完全に重なるのですね。

しかも、たとえば先年公開された映画「I Am Here ~私たちは ともに生きている~」を見るにつけ、「おや、この人たち、全然何も変わってない」と思わせるような振る舞いもしていたことから、やはり今のこのトランスジェンダリズムを巡る騒ぎの正面には出ずに、若い活動家を表に出して裏で策動しつづけている....というのが、正直な感想です。いや実際、この映画自体、監督は「自分もSRS を受けたから...」とは釈明しながらも、事実上、トランス業界では「SRS 不要論」が大勢だ、というような印象付けを行っています。

そんなことは、ありません。実際、SRS が不要だ、あえて自分はSRS を受ける必要はない、という方がいることは、よく理解しています。しかし、多くの当事者は、SRS を受けるために、万難を排してジェンクリで診断を受けて、社会的性別を移行し、大金を払ってSRSを受けるのです。SRS が必要な層にとっては「SRS は勝ち取った」権利に他ならないのです。

つまり、SRS が必要な層にとって切実な要求は、観念的な「差別反対」ではなくて、

・医療へのアクセスが、容易であること
・医療が標準化されて、安全であることが確認されていること
・医療にかかる経費が低廉であること

の制度的な保証なのです。しかし、この3つの要求さえ、今は完全なものではありません。ジェンクリの数は少ない上に、「一日診断」のような商業主義と批判されても仕方のない劣悪な「診断」のもとに、「性同一性障害」が量産され、しかも手術ができる病院が国内には少なく、コロナ禍で手術大国のタイへの渡航もままならず....で、混合診療をめぐる硬直した官僚主義が災いして、いまだに健保でのSRSの実施例もごくわずか、しかも治験に誰がお金を出すか?で揉めてしまい、ホルモン療法への健保適用が進んでいない状況でもあります。問題はまだ山積みなのです。

実際、SRS を軽視したがるトランスジェンダリズムでは、事実上、SRS を美容手術に変えようとしている、と見ても過言ではないでしょう。今の状況というのも、制度上は、美容手術程度のお寒い状況でしかないわけです。より「医療」をマトモにすることが、SRS を要求する層の最大の利害関係になるのですが、「美容手術でいい」ならば、何もよくはなりませんし、健保適用も絶対に不可能です。

トランスジェンダリズムによって、SRS を必要とする層の要求は、すべて踏みにじられます。SRSを必要とする層の要求は、「脱医療化」ではなくて「よりよい医療を受けること」なのです。

思春期の「性の揺らぎと悩み」から、自分をGIDと思いこんで、軽率に性別移行しようとして、「いや違った!」と後悔する方もかなりいるようです。これはジェンクリの誤診なのでしょうか?いや、そもそも「受容的であれ」というガイドラインがありますから、専門医も自身を「厳格な門番」とは捉えていないわけです。本人も「自分が、変わりたい!」と強く主張しちゃったから....で、おそらく自分を責めるばかりなのでしょう。そうしてみると、やはり未成年者の非可逆な性別移行には医療は慎重であるべきです(もちろん、可逆な社会的性別の移行は別問題)。

しかも、当事者の口コミでは、「国内SRSは下手」「タイの方が経験豊富で、ずっと上手」というのが、定評になっています。2007年頃の原科先生の退官・和田先生の急死・某大学病院の医療事故裁判などの状況が重なって、国内SRSが受けづらい状況になったこともあり、国策として「医療ツーリズム」を推し進めたタイに SRS については完敗することになったのです。

ですから、これは逆に、当事者にとって、当事者コミュニティの必要性も低下する、という事態も招いているようにも思われます。もちろん、健保適用と「子なし要件の廃止」は当事者コミュニティ、特に gid.jp が中心になって、それを推し進めたのですが、反特例法の立場に立つ方々は、まったく傍観するだけ。孤立無援な状況で山本蘭さんを中心に進められて、健保適用は中途半端ながら、「子なし要件」は緩和というかたちで、それでも一応の成果はあるのです。

つまり、当事者コミュニティに当事者が集まるメリットを、しっかりと示すことができなくなり、当事者であってもコミュニティを「飛ばして」、自力でジェンクリの診察を受け、アテンド会社と契約してSRS を受け、戸籍を変更する、というのが一般的なルートになってしまったのです。ですから、実質上、今のSRS の実情は、美容手術である、と言われても仕方のない状況でしょう。

ですから、現在、「当事者コミュニティの声」というものは、事実上ありません。当事者コミュニティ自体が gid.jp くらいしかないのですし、高齢でご病気の山本蘭さんのお力だけでは、やはりなかなか運営がキビシいようです....いや、この業界の英雄は、山本蘭さんしかいない、と私は思っています。

この間隙を突いて、反特例法派は「トランスジェンダリズム」の名のもとに、活動を盛んにするようになってきたわけです。いや、実際、特例法でメリットを受ける層は、事実上コミュニティがないのです。ですから、声を上げるのも難しい。言いかえると、特例法派は、いろいろ妥協しつつもとにかく実現する、というのをめざしていましたから、特例法反対派が潰しにかかった時点で、「自分たちにメリットがないから、で潰そうとするのか!」となりましたからね。

さすがに私はそれ以来、特例法反対派のことを「そもそも、自分たちとは無関係な人々」と捉えていたのですが....いや昨今の状況は「トランスジェンダリズム」の名目で強引に「同じもの」にされようとしています。そして彼らの狙いは特例法を廃止するリベンジマッチに他なりません。特例法によって助けられ SRS のメリットを享受する層は、自分たちの権利が侵害されるのを、黙って見過ごすしか....いや、それは嫌だ!と声を上げだしたのが、今(2021)の状況です。

とはいえ、このような状況に至った根源である、2002~2003年の特例法制定を巡るコミュニティについて、私が知っている限りいろいろと語ることにしましょう。

活動家と著書がある方は実名(活動名)ですが、それ以外の方は仮名です。

わたしに関する前史

私がこの界隈と接触があるのは、1980年代後半(失念)に有名な女装サロンだったエリザベスに行きだしたあたりからです。この頃の様子は、別冊宝島の「変態さんがいく」でのエリザベス常連座談会が載っています。この座談会に出ているサキさん、亜里沙さんは面識がありますし、亜里沙さんとはわりと気が合って、いろいろおしゃべりした記憶があります。亜里沙さんはやはり MtF 寄りの方だった、という印象がありますね。

桐子:俺の場合、女そのものになりたいとはいまだに思っていない。女に化けて、男をたぶらかしたら面白い、と思うのはあるけどね。だから、自分では自分の土台を生かして、どこまでエロティックになれるかなんだよ。
(セックスの話を聞いて)
北原童夢:これはすごいなぁ。ナナエさんも亜里沙さんも、おふたりとも、ほとんど童貞だってことでしょ。童貞の女装者ってのは驚きだなあ。
(性転換して、女性になっても支障がないという前提なら)
亜里沙:それだったら、やるかもしれません。
久美:私は絶対やりませんね。男のおいしいところもありますから。
桐子:俺もそうだな。性転換したい、というのは、女に生まれたかった、ということで、女装にはならなくなる。

結構人によって「性転換」への態度は違いますが、やはりアマチュア女装クラブとして、フルタイマーやニューハーフのような「プロ」を排除したエリザベスの「公式イデオロギー」は、「紳士の娯楽・女装」で、女装しない人の入場はお断り、というものです。「男だからこそ、女装して楽しむことができる」というのが大前提でした。久美さんや桐子さんの見解は、まさにそういうものを表しています。つまり、こういう「健全な女装家」というモデルをエリザベスは確立することができて、それで一時代を築いたわけです。それこそ「競技女装」という言葉もありましたし、「明朗な紳士の娯楽」としての路線から逸脱するのは、エリザベスのスタイルではないのですよ。

しかし、エリザベスだけが「女装クラブ」というわけではありません。私はあまり「遊んだ」タイプではないので、ごく少ししか知りませんが、名古屋の「美島」には一度行ったことがあります。いやここ、明朗なエリザベスとは違って、かなりディープなところでした。男性入場可で、女装して男性とお付き合いする、というスタイルの店でした。私は性的欲求が極めて低いこともあって、ここは一度しか行ったことがありませんが、やはり「エリザベス」とは別な「女装界」もあり、また、こっちはハマると、ヤバいよね?というのを実感もしたわけです。

で、先ほどの別冊宝島「変態さんがいく」の座談会に出席していないエリザベス常連の方で、重要人物がいます。言うまでもなく三橋順子氏ですね。三橋順子氏は、今の和装とは違って、レースクイーン風の水着を着て、カウンターの奥にちいママ気取りで居ました。見かけはあの方、結構キレイではあります。でも喋り方が妙に威圧的で、私は正直、嫌いでした。あまりかかわらないようにもしていましたね。ですが、まあ耳には入ってきます。この頃、三橋氏は新宿の女装バーでやはりちいママでデビューするとか何とか、という話でした。

会館内ではエロを排したエリザベスですが、女装して外出するとか、あるいは川崎のかなまら祭のイベントやら、そういう機会にやはりキレイごとではないセカイとも、かかわりはあるわけです...まあ、私には関係ないセカイ、という感覚でもありましたから、それ以上は私が述べることではないでしょう。

ですから、私にとって三橋順子氏、というのは、やはり「女装」の方です。「女装家」を名乗っていたことも結構長いですし、今、サードジェンダーっぽいようなあまりよくわからないアイデンティティを主張されているようですが、喋り方とか全然、昔と変わっていないです。もちろん、コミュニティの立ち上げの際に、この方がニューハーフや新宿の女装界やら、いろいろと関係をつけて、と活躍されたことは知っています。「なるべく幅広く」というのが当初のコミュニティの理念ではあったのですが、やはりこれが特例法で分断されたことに、この方は怨恨を持ち続けているのでは?などとも感じる節々もあるわけです....

私がエリザベスに通ったのは、1年くらい。1992年に関西に行くことになって、一時パレットハウスやら九条→難波のエリザベスに行きました。しかし関西は自前装備なら外出がフリーなんですね。ですから、自力外出を目標にして女装クラブ卒業、ということになります。こっちはではあまり他の方との交流はありませんでしたから、特に書くことはありません。

あと、エリザベスが与えた影響としては、ここが発行する雑誌「くい~ん」に虎井まさ衛さんの海外SRSレポートが載りました。トランスセクシュアル、という概念が初めて日本に正面から紹介されたのが、女装雑誌のうえだったのですよ。ですから、この女装文化にも、今に至るまでの隠然たる影響がないわけではないのです。

特例法を巡る概略

当然、埼玉医科大でのSRS実施のニュースから、「特例法」の浮上に至る流れを注視していました。ですから、これを応援したいと考えて、2003年6月でしたが、当事者コミュニティの「Gーフロント関西」に連絡を取り、その「TGブランチ」を訪れることにしました。西中島南方のマンションの一室でしたね。

当時は、TGブランチを立ち上げた森田MILK氏とか、あるいは「性転換の朝」に登場する井上裕氏はお見掛けしたことはありません。世代交代していましたね。まあ別に組織だったものがあったわけではありませんが、リーダー格だったのは森村さやか氏です。一応この方、何度も選挙に立候補された方ですから、実名(というか、活動名ですね)で書きます。あとは常連のようにしてたのが、私の外に5人ほど。ちょっと面白い分野のスペシャリストだったH氏、やや女装家風のA氏、プーケットでSRS を受けて帰ってきたK氏、若くて完璧に女の子にしか見えなくて、それで就職もしているMさん、ほぼ MtF ばかりでしたが、FtM で塩安九十九氏がいましたね。この方は活動家ですから、活動名で書かせていただきます。「るぱん4性」というペンネームも使ってましたね。

全体の雰囲気は特例法に賛成、ではありました。大島俊之先生は神戸学院大の先生でしたから、結構頻繁に訪れてました。交渉の進み具合なども、いろいろお聞きしていましが、やはり憂慮されていたのは、

①性同一性障害という診断を受けている
②性別適合手術を受けている
③戸籍訂正の時点で婚姻していないこと

のいわゆる「大島三要件」に加え、とくに「子なし要件」が急に入ってきたことでした。つまり、大島先生としては「とりあえず、作ってしまえば、あとでどうとも変えられる」という考えで、「本当に申し訳ないけども、成立を優先させて、一部でも救える制度を作りたい」という立場でした。

もちろん、この特例法のアプローチ自体、「野党に話を持っていくは避けて、与党である自民党の女性議員、それに公明党に話をもっていく」という方法論でした。野党に話を持っていけば、自民党の保守系議員が「野党案だから、却下!」という党派的な対応をするに決まっているので、実現の可能性はゼロです。ですから、「自民党の保守議員を黙らせるために」、あえて与党工作だけでこの法案を成立させようという考えだったのですね。

ですから、子なし要件を念頭に置いて「施行後三年を目途として見直しをする」という約束を法案に入れたわけです。実際には5年かかってしまいましたが、この約束をもとに、「子なし要件」が「未成年の子なし要件」に緩和されたわけです。

こういう「妥協」をいろいろ重ねながらも、それでも「戸籍の性別を変更できる根拠法」を作ろう、という一心で大島先生、虎井まさ衛さん、野宮亜紀さんらが苦心して特例法が成立したわけです。

私は、というと、大島先生の側で「問題はあるが、特例法は実現しないとダメだ」という立場でした。もし特例法が上程できずに潰れたら、「トランスは法で救済する必要のないもの」ということになる、という危惧を感じたからです。問題は「そこにある」からといって、「問題」であるわけではないのです。「問題は問題であることが意識されて、初めて問題になる」わけですから、たとえ不十分なものであっても実現さえすれば「問題がある」という認識が得られます。ですから、「妥協をしてでも、実現する」というのを私は主張したのですよ。最初から「完璧」でないとダメ、というのは非現実的です。ひとたび「性別を変えるのもアリ」というのが制度としてできてしまえば、それを叩き台にしていくらでも変えていくことができるのです。ゼロと0.001 は、違うのです。

で、実際、日本の国民性として、「オカミが認めたのなら?」で、社会は「性別を変える人」の存在を、許容するようになりました。もちろんこれ「長いものには巻かれろ」風の情けない国民性、といえばそうでしょう。しかし、それを見越してでも戦略的に動かなければ、何もできないのではないのでしょうか?

もちろん、この妥協を快く思わない人たちもいました。たとえば当時の女装クラブの必須本だった「男でもなく女でもなく」の著者蔦森樹さんはこの流れに失望して、「一切もう関わり合いを持ちたくない」と身を引きました。そして特例法に反対する方々が「トランスジェンダリズム宣言」を出版して、成立を妨害する工作に出ます。

三橋順子氏はもちろん「トランスジェンダリズム宣言」の中で、中心的な役割を果たしているのは、皆さんご承知でしょうか。三橋氏は初期の運動の中にいた女装コミュニティ出身者の運動からの排除の話をよくしています。実は昔、GID研究会で三橋順子氏と同席したときに、つい昔のエリザベスのことを口に出したら、

ここでは女装出身だったという話をしないほうがいいですよ

と言われた経験があります。ですから、当時からいろいろなバックグラウンドの人が運動に加わってはいたのですが、特例法の運動の進展とともに、それぞれの利害や立場の相違が目立ってもきたわけです。

(続く)

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