「男/女であること」を見る

鶴田幸恵「性同一性障害のエスノグラフィ」を入手しました。で、序論とか最初の章をざっと読んだあたりです。以前紹介した「正当な当事者とは誰か」もこの本に入っていますね。方法論を述べた序論のあとの、具体的な話になる「性別判断における外見を「見る」仕方」の感想ですけども、確かにね~おばさまの経験と照らし合わせて、面白く感じていました。要するに「パス」の話なんですが、著者は純女さんなので、逆に言うと「自分が「女」と判断されるのは何でなんだろう?」という根源的な問いから始まっているが興味深いあたりです。トランスがこだわる「パス」の特殊性をテコにして、より広く「性別判断」の視点で捉えなおそう、という広く構えたスタンスがナイスです。

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でこの第1章では、先行研究を踏まえて、「男/女の判定」は、たとえば「髪が長いから女」「スカートをはいているから女」というような、「手がかりによる判定」であると一般に考えられがちなんだけども、実は違う、というが主な論点になります。「なぜそう判定したのか?」と問い直されると、実際そういう答えをするのですが、それは問い直されたことで、判断を言語化しなければいけないハメになって、あたかも「手がかり」で判断したような「説明」をするだけのことだ、と考えています。実際にはこういう「手がかりによる判定」に先立って、「一瞥による判定」によってすでに「男/女」は判定されているのであって、この「一瞥による判定」に矛盾を感じた際に、「手がかりによる判定」の審級に進んで、さまざまな特徴を意識的に判定することになる...と、説明しています。さらに、この「一瞥による判定」は意識的というよりも意識に先立ってなされる「規範的な」判断だとしています。

なるほどね~~おばさま、ホントいうと「パスする/しない」について、ちょっと例外的だったようにも思うので、苦労している皆さんのことを思うと申し訳ないです。2000年代初めくらいに、いわゆる「パス度の低い」方と一緒に街を歩いたことがあります。その時に「(ひそひそ)アノ人男だよね...」「あれ?」というような、通りすがりの人の反応を味わったことがあって、その時に「これがパスしない、ってことなんだね~~辛いな~~」とホント思いました。かなりの頻度でそういう反応がありますから、ツラいものですね....ショックでした。

逆に言うと、私は「パスしない経験」って最初から皆無に近いんです。なんで?って不思議に思うんですけどもね。確かに小柄で華奢ですし、小柄な男性によくある「縦に潰れたような体形」ではなくて、小顔Aラインの女性体形に近いとは思います。「女にしか見えない」とは言われるのですけども、どうやらそれは「一瞥による判定」で、最初から「女」に判定されているからこそ、殊更の「パス努力」も女性ホルモンもなくても「女」で通用していたようです。それでも、最初からホント筋力ないですから、女性らしい体癖でもいい、となったら「易きに流れる」ように、筋力がないことが前提の女性らしい体の使い方に慣れていきました。それでもあまりに「女で通用しすぎる」のが不思議で、「男してたのが馬鹿馬鹿しい...」というくらいにも思いましたもの。

大学院に入った頃、女子学生の間で私が「どっちなんだろう?」ということが話題になって...という話があります。これもこの説明スキームで考えたら、「一瞥による判定」は「女」、しかし事前の情報としては「男」という話で矛盾。なので、この認知的不協和を解決するために、「実際に話をしてみて..」で、「手がかりによる判定」を行って、その結果の総合的な判定は「女」ということに決着したようなんです。だから「トランスして女になります!」となったときも、ほとんど周囲の女性からの反撥がなくて助かりました。最初から私は「女性」という結論が出てたからなんですね。

逆に面白いことには、男性の友達の方が、「トランスします!」になったときにショックを受けてた人が多かったです....女友達はほとんど「ようこそ女性の世界へ!」というノリだったんだけどもね。いかに男性の方がジェンダーに無関心か、ということのようにも思います。

まあ、私の経験は特殊だとも思います。男の方が「ディスプレイ」の詳細に無関心で、概念的な枠組みで判定している傾向があるから、私のことを「あれ、ホモかなんかだろ」という程度の認識で「男」判定していたくらいのことだったのではないのでしょうか。男性と女性での「一瞥による判定」にも違いがあるのでは...なんていうと鶴田センセ喜ぶかな?


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