なぜ勉強をするのか、なぜ大学にいくのか

こんにちは。
タイトルの問いについてしっかりとした答えを持っている人は世の中に多くいません。
そのため、今回は勉強をする理由、大学に行く意味について丁寧に持論を述べさせていただきます。

1、なぜ勉強をするのか

Ⅰ 考えられる理由
ア 
(中高生の場合)
勉強をすると偏差値の高い大学にいけるようになり就職などで幅が広がるから。
(大学生の場合)
勉強をするとGPAが上がり研究室選びや学内推薦で有利になるから。

正直よく言われる理由ですね。
詳しくは次項で話しますがまぁ僕も否定はしません。


いろいろな科目の勉強をすることで知識の幅が広がり、研究やビジネスで役に立つから。また自分にとって興味関心のある分野を見つけることができるかもしれないから。

以前の記事『古典不要論から考える悪しき概念「実学」』で話しました。
これも次項で再度説明します。


1回本腰を入れて勉強をすることで、知識を仕入れなければいけない機会において効率的な、自分にあった勉強法を知っているためその技能の習得が容易

これも以前の記事『学歴コンプレックスの人に告げる』や『院生・研究職の素質』で触れていますが、次項でもう一度触れます。

大きくこの3つが理由ではないでしょうか?
アは絶対言及される、イは時折、ウは中々されないという印象です。
では詳しく見ていきましょう。

Ⅱ Ⅰについての説明
アに関して
正直、現代日本では学歴社会であり、大卒でありなおかつ一定の偏差値以上の大学名でなければ職業を選ぶ立場にはなれません。
また医者や薬剤師、教師など特定の職業に就くためには大学の特定の学部や課程を経ることが必要です。
(現代日本では~とかきましたが海外でも大卒以上でないとつけない職は多くあります)
その為勉強をさせるために親や教師やまわりの大人がよく用いる理由です。

しかし、これは「いや、俺起業するしwww」とか「スポーツや芸能活動で食ってくwww」という人にとっては不要なモノになります。
不要とまで言わなくても、たとえば教師に関しては偏差値30、40の大学だろうが教職課程を経て、教採に受かればいいので「俺、そこまでベンキョーする意味ある?」といわれるでしょう。

つまり、一見正しそうな理由なのですが(とはいえ特になんか取り柄がない平々凡々な人は、高卒や無名大学で食っていく術もないだろうし大卒で早慶以上に入っとけというのはよく言われる話。)、このように一部の人から反論されてしまいます。
まず大学進学率って18歳人口の6割いくかいかないかですし

イに関して
先ほども書きましたが、以前の記事『古典不要論からみる悪しき概念「実学」』

https://note.com/kozuetakashina/n/nebab449503dc

で触れました。
要するに「(この記事では古典をメインに話したので)古典は一見すると文学部の一部の学科しか使わないように見えるが、ビジネスや他の学部(中には理系も)の研究の場面でも使う。そもそも中高で古典を「受験で使わないからwww」という理由で廃除したらそこで古典に興味をもつ人がいなくなるかもしれないし、これは古典に限らず、中高時代に多くの科目・分野にさらっと触れることで誰かがどこかに興味をもつはずなのでその機会を奪うのはよくない」という話です。
今回は勉強をする理由の話ですから、最初から古典に限らず全科目・全分野の前提で話をすすめますが、どうでしょう。まさか研究やビジネスに英数国理社全部関係ないとかいえませんよね?

自分は芸術やスポーツで生きていくから関係ない?
いやいや、創作の世界で理系の知識を使うというのはよくある話ですよ。
たとえば『テラフォーマーズ』とか生物の面白い機能を人間がもったら・・・って話ですし。
スポーツ?早稲田のスポ科が有名ですが「いかに速く、いかに長く動けるか」を論理的に考えるためには人体機能や数学物理関係ありますよ。
最近は野球のボールの軌道について東工大がその理屈を解明したとかいうニュースがありましたね。

まぁそれでも響かないという人には次のウの話をきいていただきましょう。

ウに関して
何も中高の勉強って英数国理社の受験勉強だけをしているわけではないんですね。
理系大学4年以降、理系研究職だと分かりやすいのですが
実験をやっている合間の空き時間に「どうやらこの医学実験にはこの知識(たとえばプログラミング言語、化学、物理、数学、機械工学)が必要みたいなので、今月中に知識を習得しないといけない」ということが多々あります。
最初から、「はい、この実験、研究にはこの知識とこの知識とこの知識が必要です」なんてわかってたら研究と言わないんですよ。研究とは未知のものをみつけるためのものなので。
それ故、「あれ、これ勉強しなきゃいけないんじゃね?」によくぶちあたります。
そうなると、「えー、どうやって勉強するのーたすけてー先生」という体たらくではやっていけません。

これも以前書いた記事で触れました
『院生・研究職の素質』

https://note.com/kozuetakashina/n/n620fa11b56c4


え、自分は理系研究職つかないし理系でもないと?
イに関してで説明した通り、どんなビジネスでも「実はこの知識必要なんだよね、じゃ、身に着けてよろしく!」というのはありえるわけです。
参照記事にも書きましたが、最近だとプログラミングとか、海外出張であれば現地の語学とか。他にもキリありませんが。

そういうときに「えーっと塾で課題もらって~」と誰かに手取り足取りモノを教えてもらう前提の人が仕事できるでしょうか?

とまぁ、僕が思う「勉強する理由」はざっとこんなところです。
ここからは「大学にいく理由」について書いていこうと思います。

2、なぜ大学に行くのか

ア 就職に有利だから。大卒でないと就職できない職種があるから。
これは割愛しますね。

イ いろいろな科目の勉強をすることで知識の幅が広がり、研究やビジネスで役に立つから。また自分にとって興味関心のある分野を見つけることができるかもしれないから
これも割愛ですね。

ウ 同世代の同程度?の学力で同じことに興味をもつ人と関われるから

僕は浪人生も合わせればひと学年のうち6・7割が東大にいく東京の中高にいたのでほんと実感わきませんが、地方の人や非進学校の人にとってこれはデカいみたいです。中高によっては勉強することをバカにする同級生がいたり、研究について話せる同級生がいなかったり。

エ 卒論(場合によっては修論、博論)を通していわゆる論理的思考のトレーニングをできるから。

「論理的思考」という言葉が世の中に跋扈していて、本屋にいくとそれをタイトルに冠した頭の悪そうな本がずらっと並んでいます。
そもそも論理的思考とはなんでしょうか?
そういう自己啓発・ビジネスのうさんくさい本について深堀はしませんが、
少なくともこれは論文を書く過程で養えると僕は思います。


卒論(ないしは修論、博論)というものは
・大前提として新しいことを発見する(新規性があるといいます)
・それをどうやって見つけたのか、実験手法やフィールドワークの手法について書きそれの妥当性についても考える(主に理系を想定すると分かりやすいかと)(文系の場合、どの史料や史跡からそのように断定できるかなどです)
・それについて似たような研究をしていた先駆者がすでに言及していないか、また先駆者の実験・解析からまだわかっていなかったこと・見落としていたことはなにかについて書く。
・そのために、先行文献を読み漁り、何がわかって何が分かってないかを調べ、彼らの論文内容を要約する。と共に自分が何を新規性として書ける余地があるかをみつける
といった工程が必要です。

以上の工程には
・多くの論文(大抵が英語)を要約する
・そこから何を新規性として見出すか考える発想力
・その新規性を担保するための実験・解析を考える
といった動作が含まれますがこれこそ「論理的思考力」ではないかと僕は思います。少なくとも本屋にある得体のしれないものよりも中身がある。

大学に4年(ないしは6年・9年)いることは伊達ではないのです。
だからこそ大卒というのはこの、卒論などを書く過程で養った力、そして当然専門の知識を買われ厚遇されるのです。
(専門の知識は理系の学部と法・経はダイレクトに問われますが、文学部もこの卒論を書く過程で養った「論理的思考力」が他の学部の人と同様にありますから決して軽んじられるものではないです)

これが大学にいく理由ではないかと思います。

勉強をする理由、大学にいく理由、これで満足できたでしょうか?
浅学非才な身ゆえほかにも良い理由があると思う方、僕に教えてくださると幸いです。

では


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