コロナに無頓着な私達へ

『人の命を奪うリスクもある』

『他の人の命を守るために、外出を自粛しましょう』

『自分の命と同じくらい人の命を大切に』

大変なことが起きているということは何となく分かる。それによって死者がでていることも報道で知っている。今は病院で見てもらうことも難しいらしい。そういうことは”知識として”知っている。でも全くピンと来ない。わかったこといえば、自分の考え方はどうやらマイノリティらしいということだけだ。


一連の報道を見て、私は率直に

『みんなそんなに生きたいんだな。』

と驚いた。


周囲と不安を共有できなかった。それでもマスクをつけて外出していたのは、最愛のパートナーはコロナにかかることを本当に恐れていたからだ。コロナで自分が苦しむことはピンと来ないけど、目の前で不安にかられて少しずつおかしくなっていくパートナーのためには、フリだけでも予防しないとと思った。それがなければ、きっとマスクもしなかったと思う。私になくて、みんなにあるものはなんだろう。そんなことをぼんやり考える日々だった。


一ヶ月くらいの記事が、私の抱えていたモヤモヤを言語化してくれているようだった。

「コロナで死にたい」外出を自粛しない10代の子どもたちが抱える闇

「自己肯定感が非常に低い子たちにとっては、自分の命でさえ、ましてや他の人の命を大切にするという感覚をリアルにもつことが、とても難しいのです」

要は

自分の命を大切にしてもらったことがあるかどうか

それがすべてだ。


全く知らない文化を突然世の中の当たり前にされても、率直についていけないのだ。

自分の命さえ大切だと思っていないのに、他人の命にまで気が回るわけもない。そもそも命が大切なものだと思っていないのに、大切にできるわけもない。『生きたい』と思っていない私達は、『生きるため』の努力ができない。


なんで人の命が大切なのかを教えてほしい。

なんで人の命は大切なのに、自分たちの命は大切にされていないのかを教えてほしい。

『親が悪い』と言われるだろうか

『道徳心が足りない』と言われるだろうか

『学校で何を学んだの?』と呆れられるだろうか

それとも、”最近の若者が自己肯定感が低い理由は~”とまたどこかの評論家が我が物顔で語るのだろうか。


理解してほしいとは思わないけど、無頓着な理由は単なるわがままではないことを知ってほしい。

『命を大切にできること』

がかんたんに誰にでもできることではないことを知ってほしい。


そして、コロナに無頓着な私達が、それでも今自粛生活を送っていることに心から称賛を贈りたい。私達が行っていることはかんたんなことなんかじゃない。世の中をとんでもなく高度な感性で読み取り、自分に納得できないまま不自由な生活を受け入れていることは、本当にすごいことだ。

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