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コスパ人生だけじゃなく

 コスパ。そればかり考えながらこれまでの人生を駆け抜けてきた。
 英語や受験、資格。予備校や英会話学校に通わなくたって、「それなり」の知識や技能は本で学べばなんとかなってきた。知人を見ては、「それなり」のレベルになるために、なんで自分の10倍も金かけてんの?と思って冷めていた。知人の評価は"オールマイティ"”仕事が早い人”。けれど、性格を表す言葉はまず出てこなかった。

 就職。”誰かのためになる”という芯さえ見つかれば、良い質の仕事をするモチベーションになっていた。誰に何と言われようと。仲間なんて最初からいないものだと思っていた。
 転職。30代でもそれは変わらなかった。潰されることなく提案ができる環境になった。でも、周りには相変わらず誰もいない。前職と比べても、志を同じくする人がいない。ついには人間味がないとまで言われる始末。

 思えばこの10年ほど、自分の言葉で自分のことを他人に話した経験は少ない。これまで何をして、どういう信念で、これからどういうことをしていきたいか。自分なりに考えてきたことはたくさんあったけれど、職場で話す意味はないと思っていた。コミュニティは職場のものしか自分にはなかった。気づけばコミュニティというべきコミュニティはなくなっていた。

 ところで10代後半くらいからごく最近まで、人生は35歳で終わると思っていた。"自分を信頼できるのは自分だけ""それなりに生きていくことができる"と思っていれば、その年くらいでで悔いなく人生を終われる感覚になっているだろう、と。
 でも、"信用できるのは自分だけだ"という諦めで人生を終えたくないという気持ちは、心の片隅にあった。いや、そんな綺麗な言い方じゃない。"自分というアクの強い人間もいることを認めてほしい"という気持ち。"自分にはこれができる"という誇りといったほうがいいかも。そのためには誰かが必要だ。新しい気づき・自己肯定感や、「それなり」の程度を越えて極めてみたいことを誰かと一緒に見つけたいと思った。

 ずっと学ぼうと思っていた社会人講座の門を叩いた。必要な「それなり」のスキルをコスパ良く学ぶ類の、他者のいない学びとは全く異なる動機。"誰かと追求する学び"を手に入れたい、その気持ちのまま3か月を過ごし、先日講座を終えた。自分が胸を張って「できる」と言えることは、決して誰にも否定されるものではないこと。そして自分が見えていない部分を頭ごなしに否定せず、そういう見方もあるといったんは受け入れること。金と時間をかけるからこそ得られた"他者と自分への気づき"。
 なにより、人生の悲観度合いは軽減された。確かに怒りや不満から自分は創造的になれる。けれど自分自身で閉じ、期待を裏切られたことを恨んでいるばかりじゃ、これ以上の成長はないと思い知った。ここでは、この社会人講座(他者との協働の場:ワークショップの企画・運営を学ぶ)を通じて感じたことや、改めて自分の好きだったものをラフに書いていけたらと思う。
 写真は三島のうなぎ。コスパに頼り過ぎないようにしようということで。