とっしー

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最近の記事

転職について

そんなに見ている人もいないだろうけれど、再開。 学生の頃、今は亡きエキサイトブログやmixiを更新していたエネルギーはどこへ。気が向けば書いていく次第。 さてタイトルは自身ではなく桝アナのこと。 日テレを辞めて研究者になるらしい。正直驚いた。 フィギュアスケーター・町田樹氏のようにガチ研究者へのキャリアチェンジなんだろうか。テレビを見た印象でしかないけれど、町田氏の著書や解説動画からビシバシ伝わる「執念」ともいうべき研究者魂は感じなかった。いち会社員だから仕方ないのかもし

    • 「専門性」とはなにか

      「安全に配慮して撮影しています」 「CM上の演出です」 「個人の感想です」 …一言で言えば「野暮」。これを見た瞬間に、どんなcreativeなものも一気に現実に引き戻されてつまらなくなる。こうした表現はコンプライアンスと言えど、批判する世間から自分や組織を守るために作らざるを得なくなった盾でしかないらしい。  ところで、ネットの普及で社会はもっとオープンになると思っていた。でも、結局人の心地よい生き方、暇、余白を優先せず、世間ばかりを見る方向に進んでしまった。自由に思索し

      • 逃れられない懇親会のアウェー感

        シンポジウムやワークショップに付き物の「懇親会」。僕はどちらかというと懇親会の類が苦手。昔から馴染めていない空気感に過敏であるためか、「会話の輪の中に入れるのか」という不安がいつもある。 (余談:スタバの社長だった岩田さんの本で同じことが書かれていたように思うけど、会社の飲み会も苦手。本題のところで率直に意見できる機会があるなら、飲み会なんて、別に場所・時間・金をかけてやる必要はないと思う。労働の対価として自身が自由に使えるはずの金銭を「半強制な仕事」とも言うべき飲み

        • 映画「沈没家族」

          久しぶりの更新です。映画を見にポレポレ東中野まで。反マジョリティ上等なラインナップが潔い。 自分の生きやすさのために、自分の持ちものや、"義務、責任"と世間から言われるものを手放す。それはどこまで許容できるんだろう。 親としてどこまで手放せるのか。自分にとっての感覚はここなんだ、と改めて自分の感覚を知れた映画。 僕が一番引っかかったのは、子どもが家族と思い、母親とともに子育てを手伝っていた大人たち(映画でいう「沈没家族」)から引き離して、母親が子どもと二人で住処を変えた

        転職について

          フィンランドのこと

          サウナ、カフェ、森。最近のTV番組では、この国を幸せの国として、そうした文化をただ紹介するだけのコンテンツを次々に投下している。PISA(国際比較学力調査)の調査結果からフィンランド視察が大流行したあの頃と何も変わっていない。あの視察は何を日本の教育にもたらしたのだろう。しかも、そうした番組で現地の人にちゃんと触れているものはほとんど見当たらない。まだ許せて、チョイ住みのフィンランド特集くらい。あまりに悔しいので現地で感じたことを書き綴ってみる。 僕自身、正直にいって、はじ

          フィンランドのこと

          ワークショップ:「否定禁止ルール」が招く葛藤

           ワークショップでは「ルール」を設ける。「ルール」とは、参加者がより自分ごととして他者とワークに取り組めるようにするための「仕掛け」。  そのうち、「否定禁止」というルールがどうも腑に落ちていない。確かに社会人講座ではこのルールのおかげで自己開示・傾聴・共感ができた。「否定されない安全・安心な場」「他者と協働する場」があったからそれが実現したことも理解している。でも、否定するコミュニケーションを常とする人にとっては、「否定禁止」というルール化により、自分らしいコミュニケーショ

          ワークショップ:「否定禁止ルール」が招く葛藤

          「書くこと」は即興性を奪うのか

          考えを整理して話すことが得意じゃない。社会人としての話し方だけは社会人経験を通じて身に着けてしまったけれど。何もメモもせずに、自分ごととしての感情やイメージを整理された言葉にするのに時間がかかる。 人の言葉を漏らすことなく書きとめ、かつ大胆に議論をまとめて本質を抜き出してまとめて言葉で示すこと。それが好きで、周りよりも得意なことに、社会人講座に参加して気がついた。一方、自分の言葉で話すときには、共感する人が居ると分かってはじめて、色や空気感のようにしかとらえていなかった良し

          「書くこと」は即興性を奪うのか

          コスパ人生だけじゃなく

           コスパ。そればかり考えながらこれまでの人生を駆け抜けてきた。  英語や受験、資格。予備校や英会話学校に通わなくたって、「それなり」の知識や技能は本で学べばなんとかなってきた。知人を見ては、「それなり」のレベルになるために、なんで自分の10倍も金かけてんの?と思って冷めていた。知人の評価は"オールマイティ"”仕事が早い人”。けれど、性格を表す言葉はまず出てこなかった。  就職。”誰かのためになる”という芯さえ見つかれば、良い質の仕事をするモチベーションになっていた。誰に何と

          コスパ人生だけじゃなく