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あの世とこの世

すっかり正月も明けて通常運行の日々、夫のばあちゃんが亡くなった。
1920年(大正9年)生まれ、今年の6月で103才になるところだった。

小学生で奉公に出てリアルおしん生活。日露戦争で金鵄勲章をもらった父親がその恩給で闘鶏にはまり身代を持ち崩した。婿を取って家業(仕出し)を立て直すため奮闘。神社のお祭りで巻き寿司をリヤカーで売りに行きヤクザに追いかけられた。息子を凄腕料理人にして料理屋としての看板に磨きをかけた。
商売で忙しい父母に代わり孫(夫)の面倒をみた。
仕事を引退した後はよく旅行に出ていた。
70ぐらいから「私はもうアカン」とその後30年言い続けた。
パンツを「パンス」と言っていた。

3才ぐらいでチョコレート解禁前だったひ孫(うちの子)にチョコレートをやり、さらにやったことを忘れて何度もやろうとするので孫嫁(私)が「ババァなにしてくれてんねん」とキレかけた。(キレてない)

この子(夫)が小さいときな、伏見桃山連れてってなぁ、帰りぐっすり寝てしもて、それをおぶってな、私ももうそんな若ないやろ、ほんで電車乗って、起きんで重くて、もぅえろぅてなぁ

※えろぅて=しんどい

という話を何度も何度もしていた。

50年近く経っても、小さかった孫の重さを昨日のしんどさのように話す様子を思い出しながらこれを書いていると泣ける。

一昨年末に老人ホームに夫と会いにいった時は、もう夫が孫だとわからなかった。
「どこのどなたか存じませんけど、えらい男前でんな」とさすが商売人、といったリップサービスだった。
火葬場の人数制限もあり夫だけお葬式に行った。
子らの名前でお花を出した。
R.I.P。



***
ここまで書いて、新年1発目がこれだけじゃなぁと他の事も書こうと思ってたら2週間経った。

人が死んだ話と日常を一つの日記にまとめるのは至難の業だな。

とはいえ流れとバランスがむずいので家族の近況コーナーにまとめます。

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次男はあやとりにハマり、メキメキと腕を上げている。先日はYouTubeを見ながら手元でオートマティックに何かを次々作り出しており、夫が「こんなマルチタスクを」と驚いていた。

長男は文化祭の出し物で「あみだくじ屋」の担当をしたが、あまり人気がなかったようで「やっぱりビー玉迷路か○×合戦の係にすればよかったかな。でもそうすると、あみだくじの方が良かったって思ったかも」と世の真理の一つに気づいていた。

夫は『チェンソーマン』の第一部完結まで読んで「ようここまで描いた」と感心し、彼の独自考察をきいていると私と同じマンガを読んでいた気がしない。
私はとにかく筋がわかれば良いのでダダーっと、読んでしまう。一冊10分かからないと思う。
夫は一冊2日ぐらいかける。

私は新しいジャンルの仕事が幅を利かせてきて日々気づきと勉強。興奮と背後の冷や水感。
テクニカルに人の心情を動かし、エモーショナルに理詰めする。
足りない熟考を続け、浅はかな思慮を埋める。
そんで結局言葉遊びになってしまうな、とふり出しに戻る。そんな感じ。

最後ラップみたいになってしまった。
皆健やかに。

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