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BOOKレビュー                 黒古一夫著『蓬州宮嶋資夫の軌跡』

プロレタリア作家を苦しめ続けた「煩悩」の正体

言葉によってアナーキズムの理想に生き、その言葉によって人生に迷い続けた男の生涯を描く骨太の評伝。 

宮嶋資夫(みやじま すけお、1886-1951)。無政府主義者。小説家。僧侶。彼にとって書くことは生きること。しかしその類まれなる文才は、常に彼の人生を狂わせる「煩悩」でもありました。

時は大正時代。大杉栄や荒畑寒村とともにアナーキズム(無政府主義)による社会変革の旗印を掲げた宮嶋は、自らの職業体験を元に小説『坑夫』を執筆。プロレタリア文学の新星としてデビューを遂げます。人生に絶望し、それでも飢えをしのぐために土方、相場師、金貸しの手代などあらゆる仕事に就いては辞めるという30年の流浪生活が、無名の彼を流行作家の地位に押し上げました。アナーキストでありながら、野口雨情との縁により多数の童話作品も残しています。妻と6人の子供を養う子煩悩な男。そんな彼には、ぬぐいきれない「裏の顔」があったのです。

士族くずれの不良息子、プロレタリア作家となる

明治9年(1886)貧乏士族の長男に生まれた宮嶋は、封建主義的な厳父から虐待を受けて育ちます。家族への反抗心はゆがんだ自我を肥大させ、10歳で人目もはばからずたばこをふかす不良少年に。こんな世の中を生きていても仕方がない。とはいえ死ぬ勇気もないまま30年近くも職業を転々。その間に遊蕩と乱れた性の営みを重ね、恋仲となった女と心中を図った挙句、女だけを死なせてしまいます。

一方、小説『坑夫』で作家デビューした翌年、同志だった大杉栄が痴情のもつれから女に刺された事件に憤慨し、大杉の性の乱れを評論で告発するなど、同一人物とは思えないほどの変節を見せます。孤高の文才で世に出たアナーキストは、その生い立ちに由来する鬱憤を事あるごとに持て余し、自分の立つべき位置をあちこちと変えていくのでした。 常に高い理想を掲げながら、常に立ち位置を変える。その繰り返しが更なる鬱憤を呼び、宮嶋は45歳にして文章の創作も社会運動にもすべて行き詰まるという局面に突入します。いわゆるネタ切れ状態で精神が崩壊しかけた彼は、一番の理解者だった妻の同意を得て仏門(禅寺)に身を投じました。 

その際、同じく文筆をなりわいとしていた妻が夫を見送る一文に、宮嶋の人生すべてが凝縮されていると言っても過言ではありません。

いわく、酒癖が悪い、エゴイスト、お人好し、つまらないことに嘘をつき、ひがみ根性が強く……(以下略)。繰り返される自己の承認欲求と他者への責任転嫁の果てに制御しがたい矛盾を抱えてしまった以上、彼は仏門に入るよりほかは無いのだと。

なに一つも悟れぬまま 人生は暮れてゆく

こうして京都の禅寺で出家した彼は、僧侶としての修行生活を赤裸々に描いた『禅に生くる』ほか一連の作品により再びベストセラー作家の地位に躍り出ます。太平洋戦争の激化によって社会的に死の恐怖をいかに克服するかが求められた時流に、禅を通じて死と向き合った作品が受容されたのです。

ところが、ここでも宮嶋は鬱憤を持て余します。10年余り続いた禅の修行や仏教書の執筆は彼の心身を疲弊させ、妻の死をきっかけに酒乱となり、酔いに任せては他人に食ってかかり、寄宿先の若い娘と行きずりの恋愛に及びます。このとき宮嶋は52歳。家族を捨て仏法に活路を求めた歳月の果て、ついに彼は死の恐怖はおろか、生きることの矛盾すら克服できなかったのです。

作家としての宮嶋資夫を世に送り出したのも、その人生を矛盾だらけに終わらせたのも、彼が持ち得た文才という「煩悩」のなせるわざだったのかもしれません。自らの死に臨んで彼が選んだ終極の立ち位置は、ぜひ本書を読んで確かめていただければと思います。 宮嶋が抱えたごとくの、生きることへの疑問、承認欲求にまみれた自我は、われわれにまったく無いと言い切れるでしょうか? そうした意味でも宮嶋資夫という人物に、鬱屈した現代社会を生きる私たち自身を重ね合わせることもできましょう。

そして彼は語りかけてくるのです。このどうしようもない矛盾こそが、われわれの人生なのだと――。

『蓬州宮嶋資夫の軌跡』 黒古一夫 著/佼成出版社(2021)