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『江原由美子vsジュディス・バトラー(オートエスノグラフィックな何か 4)』

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バトラーの『ジェンダー・トラブル』は、マスターの一年生の時のゼミ読み、みんなで困り果ててました。半年かけて読んでもわからなくて、師匠の江原さんも困り果ててましたが、そんなバトラーって、ほんとにわかりやすいんですか?

ジェンダークイアというタームを使い出した、リキ・ウィルチンスは、バトラーを4回だったか読もうとしたけど、毎回、嫌んなって壁に投げつけて捨ててたと、著作の最初に書いていました。2000年くらいにバトラーが日本に来て、お茶の水女子大学の講堂で講演会した際に、私の前の列に座ってた「れ組」のみなさんの怒りっぷりと相似形で、読みながら一人で受けまくってました。

先日久しぶりに『ジェンダー・トラブル』Audibleを聞き直したら、ブリティッシュアクセントで、単語や文章の難易度をぶっちぎった速度で読んでいるのに、ちょっと聞いただけで嫌気がさして、聞くのを止めました。ケイト・ボーンスタインのように、わかりやすく、自分で読んだらいいのに。

まだ出ていない江原さんの退官記念論集に載る予定の論文で私のしたデータの記述は、以下の二つ。一つは、トランスウーマンの活動家と私が、「バトラーって難しいよね」と言い合って笑う、その共犯関係の持ち方が、「バトラーって難しいと言うフェミニスト同士の私たち」であることを成し遂げていること。二つ目は、私たちにとっては、フェミニストというのが、トランスジェンダーと性同一性障害と同様に、ジェンダーバイナリーをブレイクスルーする存在であり、私たちは全員そういう「フェミニストの一味」であること。

以上の「フェミニストの一味」の分析は、江原さんがキャリアの初めの頃に提出した「トランスセクシュアリティ」という考え方に、私が影響受けていること、それ自体を示すためになされています。また、「私たちはフェミニストの一味」という言い回しは、女性をまとめて機関銃で撃ち殺した犯人の言ったセリフ「お前たちはフェミニストの一味だ!」を、そのまま論文のタイトルにしたEMCAの論文へのオマージュです。

(なお、わからないというようなことが、どういう意味かは、もちろん分脈に依存していることを付け加えておきます)

講演に行って、バトラーはいけたちじゃんと思いましたが、彼女の基本的な主張としてよく引用されていることについては、フーコーより、さらに前にハロルド・ガーフィンケルが、エビデンスベースドで書いています。ハロルド・ガーフィンケルは、アーヴィング・ゴフマンと距離を取りつつ、また違う方法論で、ジェンダーとは何なのかについて、最終的には同じ結論に達していると私は思っています。ゴフマンのアメリカ社会学会の学会長としての、ジェンダーとは何かに関する講演は、日本語訳でも、どこかの雑誌に掲載されています。

ゴフマンは、ご存知のように、『スティグマ』や、映画「カッコーの巣の上で」のもとになった『アサイラム』などの研究が日本では有名ですが、ど根性エスノグラファーで、娘はアリス・ゴフマン。その彼女の本は、日本でもやっと翻訳が出ましたが、ブラックに犯罪者が多発するのは、いかにしてかをエスノグラファーとして経験し、社会学の著作としてまとめたものです。しかし、その本のせいでテニュアを逃しました。

ハロルド・ガーフィンケルの「アグネス論文」は抄訳が日本語でも出ています。この論文のベースとなるインタビューと、それと同時に行われた他のトランスジェンダーたちへのインタビューを発掘し、元EMCAスカラーとしての分析能力を生かしつつ、倫理的問題からドキュメンタリーとして仕上げたチェイス・ジョイント監督の『フレイミング・アグネス』のロングバージョンは私の一押しです。クリスティン・シルトとの共著も出るはずなのに、もう5年くらい経ったのでは。あるあるですが、首を長くして待っています。クリスティンは、ジェンダー・セクシュアリティ研究で、私がイチオシの元?EMCA者であり、シカゴ大学(!)のジェンダー教員。

EMCAはエスノメソドロジー+会話分析という研究方法の名前(であり、同時に人びとの用いている方法そのものの名前)で、これはやってるだけで日本ではスティグマになってしまう方法論です。ジューイッシュにより体系化されて洗練されてきたし、ゴフマンもジューイッシュですから、スティグマ者によるスティグマ者のための方法論。

ちなみに、ゴフマン研究の若狹さんによると、『スティグマ』は、EM+ゴフマンを学派としてまとめる予定で、「アグネス」論文も収録予定だった論集の序章として書かれたのだけれど、仲違いしたので単著になったのだそうです。

EMCAのどこが好きかと言うと、インタビューデータであろうが、会話の録音であろうが、なんであろうが、その分析が科学的であることを、つまりエビデンスベースドであることを論理的に突き詰めていて、隙がないから。これを歴史的研究でやるのを概念分析と言い、哲学者のイアン・ハッキングというという人の一連の著作に基づいています。まさに彼は、解離性同一性障害と遁走っていう、トラウマ関連カテゴリーがどのように作り上げられているのかを、かなり早い段でパブリッシュしており、翻訳も出てます。トラウマ研究者としては日本一と私が思っている宮地尚子さんは、ハッキングの分析が鮮やかすぎて、誤解を招き大変になっちゃたんだよねと、どれかの本の注に、一行くらい書いてて、あらと思いました。

「作り上げられている」というのは、何もかもに関して使う言い回しで、フェイクだという意味では全然ないのですが、誤解を生むよね、ということを宮地さんは、注にこっそり書いてるんだなぁと、思いました。

EMCAの考え方は、社会学ならデュルケム、哲学ならウィトゲンシュタインあたりにルーツがあります。

ちなみに江原さんの博論を出版した『ジェンダー秩序』は、EMCA者でも、私がイチオシのジェフ・クルターのアイデアを採用する旨から始まっていて、EMCA者以外は、みんなそこでひいちゃうのですが、

江原さんは、もともと理論社会学をやってて、シュッツの研究からキャリアを始めて、それからフェミニズム関連の論文を書き始めたけど、理論的に突き詰めようとすると、つまり科学的であろうとすると、どうしてもEMCAを採用せざるを得ないんだと思います。それなのに、それと理論的に整合性のない二人の研究者の方法を参照しているので、失敗だったって思う。もしくは、その二人を参照してやろうとしたこと自体が、理論家だという、まさにそのことであるのか。

上記の点について、江原由美子は、まだ批判をされていないと思います。

それでも色褪せることのない、クイア理論より先に、江原由美子の指摘したこととは何か。

一つは、フェミニズムを女性のものに、回収することを禁じること。なぜなら、その時点でフェミニストが人口の半分くらいになってしまうから。(この考え方はベル・フックスでお馴染みですね。)

二つ目は、二元的な性別をこえる視点(トランスセクシュアリティ!)こそが、フェミニズムのブレークスルーになること。この指摘は、構造主義、相互行為の分析(EMCA!)に次いで、ジェンダー研究をリバイズしたのは、トランスジェンダー研究の持つジェンダーバイナリーには外があるという視座それ自体だと、USの最新の社会学の教科書シリーズのジェンダー社会学のイントロダクションに書いてあるのと、同じ。

私は、こちらで「あんたはクラッシックなノンバイナリーだ」って言われているんですが、その理由は、『ジェンダー・アウトロー新版』audibleの付け加えられた序文を聞き直してわかりました。「あれ、私の博論の出版しなかった部分て、ケイト・ボーンスタインの言ってるまんまやん」って。私がど根性ケイト・ボーンスタインなら、そりゃクラッシックに違いないわ。

本にしなかった博論の後半は、二元的な相互行為における性別秩序に合わせて、考え方も見た目も存在自体も、自分で修正せざるを得ないことが、そうすること以外に生き延びるすべをなくしてしまう性別秩序こそが、二元的性別を完成させているって内容だった。

その時、そんな話を書いても、通用しようがなかった。修論の時も、出版してくれるように江原さんは出版社に掛け合ってくれたけれど、売れないと言われてなしになった。でもそろそろ、リバイズして公開していきたいなと思っています。つづく。

つづきは、このシリーズの『(仮)アンチ・クイアセオリー』で。


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