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別れが最後であっても終わりではない物語と、「最愛」って曲、深夜書店。

 地獄へは俺が行く、、。

 それくらいの気持ちになれるっていうこと、
 それが、どういうことであるのか。
 その想いの底にあるのは、
「最愛」
 
 たった一言で表現できる、なによりもおおきな言葉を、
 口にすることも、求めることもないからこその、。



本物の恋は、ただ、相手に恋をしているということだけで、
魂が満たされるもの、、
「相手が自分のことをどう思っているか」とか、
「どうしたらもっと愛されるか」などという不安や打算とは全く関係がない。

 

 深夜書店シリーズを投稿し始めた初期作でも、とりあげていた。
 Cherish The Day  日々がいとおしい、、深夜書店。
 からの抜粋したあれこれにも深く通ずることと、読み返していて新たに気づいたことも増えた。

誰だって自分自身については、いくらでも心を注ぐことができると思う。
でも他者には、そうそう尽くせるものではない。



 自分とは異なるもうひとつの存在を、
 何の見返りもなしに、受け止め、理解し、
 慈しむことは、、
 世に生きる者として最も尊い能力であるのだろう。
 〝いとしおしさ〟





 って、記事内容の末に、
 〝いとしおしさ〟って言葉、。
 これは俺のことだから、ひょっとしたら打ち間違い(⁉)
 …のように読ませつつも、印象深く響くようにとの一念でつくった造語であるには違いないのだけど、、。
 今現在よりもさらに拙(つたな)い記事であるうえに、この〝いとしおしさ〟があまりにもひっそりと所在なげになっていた。
 
 この初期作にはその衝動のみを活かした勢いで投稿しているから、
 音楽でいうところのパンクロック的な雑音感がひしめいている。
 なんといっても、歌詞の単語解説の箇所については、
 かしめでさんのブログからの転用であることコメントによって諭していただけたおかげで、、
 流用部分についてのリンク貼り付けをして明確にしてこそ、言葉や文章の大切さがきらめくことにつながった。
 初期衝動の破壊力は、なかなか味があるなぁと自分の記事ながらのツッコミどころもある。
 SADE(シャーデー)の曲についての記事のくせして、黒猫画像。
 ジャケ写や画像として、おおきく載っている愛猫のびよんせちゃんのことはこの記事で、一言たりとも触れていない。
 
 〝いとしおしさ〟、の造語についても。
 まさに、こればかりは拙いからこその瞬間芸の見本なのかも、と自分で自分の転用リンクとしても、また後々の活用につながる。

 本当になくしたら困るものは、かたちになってなかったりしてみえないけどあるのを感じれる。
 いとしい気持ちがあればあるだけ、かたちあるものが壊れたりなくなったりもするから、、
 おしい、
 って無念も必要なことが言いたかったのか、とか、
 どういったことに寄り添うものなのか長らく自分でつくっておいてわからなかった。
 
 計画していたわけではないのに、今回の記事とが共鳴しあって、
 ひっそりとしていた造語であったからこそ、
 別れが最後であっても終わりではない物語と、「最愛」って曲
 にも、まつわるその人物には、〝いとしおしさ〟、は似合うことがわかった。


  「地獄へは俺が行く、、。」
 との、言については口にできるくせに、
 切ない佇(たたず)まいで、
 それでいて、その言葉の意味さえ分からずにいた幼少のころにそっとみつめていた、幼馴染みへの
 眼のきらめき、は、
 言葉なんていらないくらいのその言葉、そのものにしか映らない。

 以前、とある場所でも毎週日曜日に観ていたことのあるNHK大河ドラマ「おんな城主、直虎」
 高橋一生が演じた登場人物。
 柴咲コウ演じるおんな城主にならざるしかなかった幼馴染の姫さまへと、仕える史実上に存在した家老の役を、、。
 過酷な宿縁。
 早世することでふたりの生涯にときに強烈な陽射しをあびせることになる役を三浦春馬が辛苦を味わったからこそ、太陽のようにまぶしい笑顔、そのひかりを儚(はかな)く生命散らそうともそそいでいた。
 そんな役をこのドラマで演じていたのも、後に現実に起きてしまう駆け抜けた生涯にも、深く胸に刺さる、、。

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 ドラマではこの三者が幼少時代からの関係性をしっかりと描かれていたからこそに、
 【生まれ育まれた地を守る、】
 ってことが、生き様への糧として、使えている。
 その信念はどこから湧きおこるのか、って感情の表看板として捉えさせていけるから。
 その看板の裏に隠している気持ちを守るためにも、
 それを言葉にして軽々しく吐かないこと、そのものの行動原理にも映る。
 そして、儚い生涯が一言でも言葉にできない行動そのものを一言で映す。
 
 ふたりは信頼し合ってるのに、周りには当然ながら敵同士と見せて、
 時にしておんな城主にさえ、敵同士を感じさせる。
 領主と家老っていう関係も、関係なくしてしまうくらい【生まれ育まれた地を守る、】ことを考えて行動する。

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 忌(い)み嫌(きら)われ、主家の仇(あだ)となろうとも、、。
 死して後の歳月に、その名を汚し続けることを怖れることもなく。
 奸臣(かんしん)とされることが、生まれてきた証のように。
 それでも、生命尽きるその最後の瞬間、ふたりは生まれてから言葉にすることがなかったもの、、
 それを最大限に味わえたことだろう、と。
 眼前にある凄惨(せいさん)な場面のなかで、ふたりだけにそそぐ光を誰もは感じることができると思う。
 映りはしないし見えないからこそ。

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 その人物は嫌われ者。
 カッコいい、嫌われ者?であるということか。
 
 物語やドラマ上でのことにしても、胸に沁みてくる。
 他者に必死になって好かれようとして嫌われる者より、
 他者へと必死になって嫌われようとして、、当然のごとく嫌われている者の話であるとしても。

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「白黒をつけむと君を1人待つ
天つたふ日そ 楽しからずや」

 生きざま、死にざまに
 共感や自分の生涯になぞらえることも、
 これからのことにもつながる。
 
 想い、は辞世の句に託(たく)せた
 みたいやし。


〝いとしおしさ〟
 が、こみ上げてくる動画、柴咲コウ「最愛」を使うセンスもいい動画。
 終幕、スタッフ紹介が流れてから題名、そのあとにこそ最後まで観るべき場面もある。
 
動画↓。「ある領主と家老の物語」7分15秒

【「最愛」歌詞】

夢のような人だから
夢のように消えるのです

その定めを知りながら
捲られてきた季節のページ

落ちては溶ける粉雪みたい
止まらない想い

愛さなくていいから
遠くで見守ってて
強がってるんだよ
でも繋がってたいんだよ
あなたが まだ好きだから

もっと泣けばよかった
もっと笑えばよかった
バカだなって言ってよ
気にするなって言ってよ
あなたに ただ逢いたくて

初めてでした これまでの日々
間違ってないと思えたこと

陽だまりみたいな その笑顔
生きる道を照らしてくれました

心の雨に傘をくれたのは
あなたひとりだった・・・

愛せなくていいから
ここから見守ってる
強がってるんだよ
でも繋がってたいんだよ
あなたが まだ好きだから

おなじ月の下で
おなじ涙流した
ダメなんだよって
離れたくないって
ただひとこと ただ言えなくて

いつか生命の旅
終わるその時も
祈るでしょう

あなたが憧れた
「あなた」であることを
その笑顔を 幸せを

愛さなくていいから
遠くで見守ってて
強がってるんだよ
でも繋がってたいんだよ
あなたが まだ好きだから

もっと泣けばよかった
もっと笑えばよかったのかな
バカだなって言ってよ
気にするなって言ってよ
あなたに ただ逢いたくて

 大河ドラマ、この作品全50話もあるが。
 それぞれの話数のタイトルは映画作品題名をもじったもので微笑ましい。
 しかし、なかなかそこまでは、というなら、総集編で流れをつかんでから観るのもいいと思う。

動画↓。「大河ドラマ おんな城主 直虎 総集編 PR動画 」6分04秒  

 以下、
 Cherish The Day  日々がいとおしい、、深夜書店。
 からの抜粋。

ただ、恋をして、恋する悦びを知ったというだけで、
この世に生まれたことも、今現在を生きていることも、
すべてが眩しく感じられる。
それに尽きる。
 
 〝もし あなたが 私のものなら
  私のものだとしたら
  私は天国なんて いらないくらい〟
本当に誰かを愛したら、望むことはただ一つ。
その誰かと、身も心も一つに結ばれることだ。
しあわせとか、楽しさとか、そんなことは何の意味もない。

ただ、ひとつになりたい。
名前も立場も、相手の身体さえすり抜けて、自分と相手の境目も分からなくなるほど固く結ばれること、「愛」 それだけだ。
「愛する」ことを知っている者、、、。
もしくは誰かを「愛している」魂は、希少なのだと感じさせる。
「天国にいけなくてもかまわない」というのは、
強い欲求の前では、この世の価値観など意味もなく、欲望も、恐れも、何もかも超越した、いとおしさだけが息づく世界に結ばれる願いだ。

 


ただひたすら、相手を愛するためだけにある〝いとしおしさ〟というものが、どれだけ存在するだろうか。それほどの愛に巡り合えた者は本当にしあわせなのだ。
 


本当に誰かを愛すれば、Cherish The Day の世界観が自身と完全に一体化して感じられると思った。誰もは簡単に「愛」という言葉を使うけれど、
真実、「愛する」ことを知っている者、、、。
もしくは誰かを「愛している」魂は、希少なのだと感じさせる。



〝いとしおしさ〟

過去も未来も超えていくものとは、
絶え間ない努力であり、
孤独や苦しみを恐れぬ勇気であり、
見返りを求めず、
相手にひたすら捧げつくすものなのかもしれない、。
あのころはわからなかったもの、わかろうとしなかったもの、。 
誰もが誰かを「好きになること」は自然な心の作用だし、
「恋に落ちる」のも割合簡単だ。
しかし、「理解する」ことは、相当な努力を要する。
 


そして「愛する」となれば、、、「愛し続ける」ともなれば、、、。
 
 

 地獄へは俺が行く、、。

 それくらいの気持ちになれるっていうこと、
 それが、どういうことであるのか。
 その想いの底にあるのは、
「最愛」
 
 たった一言で表現できる、なによりもおおきな言葉を、
 口にすることも、求めることもないからこその、。

動画↓。福山雅治  「最愛 (Full ver.)」5分53秒 

動画↓。 KOH 「最愛」5分46秒 


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