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深夜書店考察、五夜。あらすじっぽい話題、「真 深夜書店」。

 正義、か不義か。

 歪(いびつ)な情報操作は「真 深夜書店」の物語世界でも浮き彫りにされるのだった。

 懐かしい、未来へ、。走れ、。生きるなら、。走れ、。

 「1999年世界滅亡!」
 
 昔日、そんな予言があったりした。
 懐かしい時代があったものだ。
 2000年問題が社会をびくつかせてもいた。
 なんだかんだで時代はまわり巡っている。
 迷信、や虚報についてシラケた雰囲気になる速度もこのあたりの時代の境目からだ。 

 簡単には見えない、視(み)えにくい【憑依(ひょうい)半身世界】が大きく変貌していったのは、実はその頃だ。憑依されての肉体社会が、少し【憑依半身側】に有効に活用されていく時代の到来となった。ノストラダムスだったかな、ひと昔前だとすごく名高い、あの預言者は言い当てていたのかもしれない・・「見えない、視えにくい」存在たちの活性化こそが予言だったのかも、と考えられなくもない。詳しくは「真 深夜書店」で、。
 
 地球上の肉体生命に憑依し、現実社会と憑依半身世界での脅威的な知性を駆使して諸勢力が権謀術数(けんぼうじゅっすう)の限りを尽くす。そんな時代の流れになって、憑依半身世界にとって都合のいいような世の中の方向性に誘導されていった。

 考察、の一夜から四夜までで語ってきた【憑依する種族たち】のなかでも、、。
 水、も漏らさぬ情報収集能力を発揮(はっき)するのは【水身、】たちを憑依させている肉体の持ち主の方々だろう。
 え~、自分なら何系の憑依半身に憑かれているんだろうかなぁ、なんてことを考えてみるのもええことだ。
 『何をバカなことを、そんな子供だましのようなでたらめを、、』なんてことが頭に浮かぶなら、まずは確かなことなのですよ。
 
 その、「思念」は【憑依、】かもなぁ(笑)。ってことで、。
 
 頑(かたく)なに現実的に解釈したり、戯言(ざれごと)に対しては排他的になりがちになるのも、そうなのですよ。水、も漏らさぬ「思念」お持ちの【水身、】たちを憑依させている肉体の方に多く在るのも特徴ですな。まぁ、ここではいちいち語りませんが‶排他的経済水域〟なんて言葉にこじつけているわけではないけれどそのキーワードは世界を観(み)る解釈には結びつくだろうと、。
 【水身、】種族がどんなかたちにも収まりやすい性質、なのは肉体に憑依するのに断然有利であることは確かだ。【陽身、】のように一見、完璧なようでじつは光輝く性質ゆえにも光は水以上にもれてしまったりする。【獣身、】は自らの憑依する肉体を傷つけられるのだ。【陽身、水身、】、光や水の性質では難しい行為ではある。肉体生命の社会生活に深く影響も及ぼすのだった。【水身、】種族は【獣身、】を溺れさせたりし屈服(くっぷく)させたりはお手の物だが、【陽身、】のようにくまなく光をそそいで温めてほっこりさせたりが苦手な分にも、がさつにずかずかと水域に踏み込んでくる【獣身、】にたいして排他的になりがちなのだ。
 そんな、憑依半身の「思念」が肉体にも影響及ぼすのが深くも浅くも理解できるのが「真 深夜書店」のええところです。
 
 まぁ、時間のなかでときおりでかまわないので、考察、の一夜から読み返してもらえると何となくは現代社会(肉体社会?)の世界的な仕組みが理解できるかもです。
 
 自分が肌をかさねた異性のことを、。ふと、想うときの謎や。
 
 友人、たちと歳月経て再会したときの瞬間も、。

 肉体、の死が別れには違いないにせよ、最後ではないことを、。

 永劫、に想いが通じあってるってのは実は、魂が電話やチャット、スマホ回線が相手とつながっている証としての解釈であるとか、。 
 
 その、「思念」は【憑依、】かもなぁ(笑)。ってことで、。

 「真 深夜書店」の物語。
 とある人物が主人公的な立ち位置ではある。その主軸なす肉体に在った、憑依半身は幼少期の【水身、】系から、【獣身、】系へと変貌遂げていくこととになる。その物語の流れは、この国の時代背景に寄り添っている。家族や幼少期の幼馴染種族との愛憎(あいそう)や育まれた故郷地から外へと踏み出すことで世界がひろがっていく。生きものたちとの触れ合いや、出逢い織り成される人物たちとの友情、面影たちとの恋愛といったものはその人物にまつわる話が多い。
 そこにはやがて【陽身、】系の救世主伝説的な憑依半身が登場人物の肉体に在る者との出会い、へと至る。
 前夜で語った、陽身、かさなる「デューン/ 砂の惑星」的な者はその救世主伝説的な憑依半身が登場人物だ。重要な登場人物だが、けして主役級でもない。ただ、その憑依半身が主役となる短編小説作はなかなかに、いい物語だ。
 太陽の王子、が長じてやがて王国を建国する。そんな主役の長編小説ならば実に神話的で美しい物語になったことだろう。野郎どもはともかく、美しき深夜書店ガールたち(これは007シリーズのボンドガールにちなんでそう命名)、実在の女性陣の意見がまかり通ったならば、きっとそれこそが是非にと広く読書好きだけにも関わらずに受け入れられたに違いない。書物の売れ行きも全然、違ったことだろう。(泣)
 しかし、仕方がない。
 とある人物が主人公的な立ち位置だ。きっと共感評価は乏しい、。
 その主軸なす肉体は、くそったれ野郎だ。その憑依半身が、殺し屋、なんてものなので尚更だろう。そんな、くそったれが、歳月経て‶詩〟なんてものを若かりしころのパンクロックの象徴的な人物とその恋人に捧げる記事を書けるように‶何故〟生涯が行き着いたのかを辿(たど)る読み物にも拡がるのだから面白いと、そう読まれるのを願うばかりだ。

 ‶互いにとって、もらってうれしいものを

 限られた時間の中で与えあった。

 いちばん、おおきい、ものをあたえるのをためらいながら、、。〟
 
 【・・・恋人たちに捧ぐ、詩人作】

 そそ、深夜書店シリーズには絶対悪的な登場キャラクターは現れない。卑劣な手段を行うにせよ、実行する側には策略のひとつに過ぎず攻めることで同族種族、同盟者を護(まも)ることにほかならないからだ。それぞれには、それぞれの正義、主義主張がある。それが、ある意味で物語に奥ゆきをもたらすのかもしれない。そのあたりだけは、前夜で述べた「デューン/ 砂の惑星」作品なんかの時代がかった、善悪の対比があからさまなところとは距離感がある作品になってるのでご安心下さい。

 正義、か不義か。

 歪(いびつ)な情報操作は「真 深夜書店」の物語世界でも浮き彫りにされるのだった。

 懐かしい、未来へ、。走れ、。生きるなら、。走れ、。

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