見出し画像

【MOTHER2批評&考察③】おとながこどもになる空間で知り得る事とポーキーについて

これまでの記事で物語の大枠とも言える内容を綴りました。
そしてその内容というのはキャッチコピーで言う「こどもはおとなに」の部分だという事も。

この記事では、同キャッチコピーにある「おとなはこどもに」の部分の解説と、何故それがMOTHER2に必要なのかという点を綴りたいと思います。

誰の心の中にもあるマジカント

 8つのパワースポットを巡ると強制的に訪れる事になる国「マジカント」。

ここはネスの心の中に存在する国です。
ネスの感情や思い出、心象などが形を得ているちょっと不思議空間となっており、ストーリー開始より前の時系列に当たるネスの小さい頃の記憶なんかも垣間見る事が出来ます。

ふゆのひにあそんだね。

ぼくはとけてきえてしまったけれど

きみのおもいでのなかにまだのこっているんだよ

マジカントの雪だるま/『MOTHER2』

ぼくが なんじなんぷんをしめしているか

よめるようになったかい?

マジカントの時計/『MOTHER2』

ぼく きみのちいさいころの・・・ぼくだよ。

ねぇ キャッチボールしようよ。

それとも まんがをよんだり

ゲームをしたりするかい?

えっ? いそがしいのかぁ・・・・。

マジカントの幼いネス/『MOTHER2』

このように誰もが持っていてもおかしくないような幼い頃の記憶との対話のようなものを行えます。
これらはネスの記憶ですが
例えば時計の針が読めなくて誰かに何度も教えて貰った事
例えば昔公園でキャッチボールをしていた事
例えば毎週楽しみにしていた漫画があった事
このマジカントで見かけるテキストは「普段は思い出さないけど、自分にもそういう事があったなあ」とプレイヤーの記憶をも次々と揺り起こすようなものになっています。
「あの頃はこんな遊びをしていたっけ」
「あの時遊んでたゲーム、今でも続編を遊んでるなあ」
「小さい頃、好きな人がいたなあ。今はどこで何をしているんだろう」
最後のパワースポットで見たまだ赤ん坊のネスが両親の愛情を一身に受けている姿やこの幼い時の記憶の連鎖で、ゲームのプレイを進めながらもプレイヤーの意識は自分自身の過去へと遡っていく仕様になっていると言えます。
そしてこれこそが「おとなはこどもに」の部分なのでしょう。

ちょっと寄り道になりますが、マジカント内で起きる素敵イベントをひとつ紹介させてください。
この不思議空間内を探索していると、もう1人のネスに出会う事が出来ます。

「昔失くした帽子が見つかったからあげるね」と言って『ぼうしヘルメット』というアイテムを渡してきます。
これは他の場所でも手に入るものなのですが、マジカントに足を踏み入れるのは終盤も終盤となっておりこの段階ではめちゃくちゃ弱い防具です。「なんでこんな時にこの防具???」と思った方も多いイベントなのではないでしょうか。
そしてアイテム欄がいっぱいで受け取れない場合にはこんなセリフが続きます。

おまぬけなぼく!

こんな だいじなときに

つまらないにもつが いっぱい!

マジカントのネス/『MOTHER2』

めちゃくちゃかわいいセリフですね。ネスにとってこの『ぼうしヘルメット』は大事なものだったようです。
「そっか~きっとネスの色んな思い出が詰まっていたんだね!」
という所で話は終わらせません。どんな思い出の品なのか気になりませんか?私は気になりました。
そして考えを巡らせた結果、これは【両親から初めてプレゼントされたぼうしヘルメット】なのではないかという結論に至りました。


第一にネスは野球が好きです。
主な武器はバット、野球帽を被っていますし、ネスが欲しがっていたとされる【ミスターのぼうし】を友達からプレゼントされる描写もあります。

第二にネスのパパも野球が好きorネスに野球をさせたかった事が挙げられます。

ちょっと、そのあかいやきゅうぼうを かぶらせてごらんよ

アッハッハ ぶかぶかだけど けっこうにあうじゃないか

ネスが赤ん坊の頃のネスのパパ/『MOTHER2』

これはパワースポットで見れる、ネスが赤ん坊の時の記憶の1つです。
「"その"あかいやきゅうぼう」「ぶかぶかだけど」という点から、少なくとも赤ん坊のネスの為に用意されていたわけではなさそうなので、元々パパのものだったか成長したネスの為に用意されていたものなのでしょう。
どちらにせよプレゼントとしてチョイスされても不思議じゃない状況です。

第三に「あらゆるものを差し置いてすら大事に出来る失くしもの」は何かと言う事です。
前述したようにネスが欲しがっていた野球選手の帽子を友達から貰う事も出来ますが、その帽子を持っていても「つまらないにもつ」扱いされてしまいます。
ギーグを倒す為の装備も、仲間を生き返らせるアイテムも全部「つまらないにもつ」です。
つまりその失くしものはネスにとって代替が効かない完全な一点ものだと考えられるでしょう。

以上を踏まえると、例えばこんなストーリーラインを想像します。

【ネスが外で遊ぶようになり、特に野球をしたがっていたネスに両親が初めてのプレゼントとして『ぼうしヘルメット』を贈った。ネスはそれをとても気に入って愛用していたが、成長して入らなくなった(使わなくなった)のか外で遊んでいる時なのか、それを失くしてしまい大層悲しんだ。実用性自体はもう無い帽子だが、初めてプレゼントを貰った時の嬉しさは今でもネスの中で一番大事なものとなっている】

その悲しみ方を見た両親はネスに新しい帽子を買ったでしょう。
それが恐らくトレードマークとも言えるあの赤い帽子です。
この仮説が正しいとするならば、魂だけになってギーグと向かい合う最後の戦いの時にもネスがあの赤い帽子を被っていた事にちょっと素敵要素を見出せる気がしますね。


勇気ってなんだろう?何故必要なんだろう?

 この作品では"勇気"という単語が何度も出てきますが、勇気と言われると例えばどんな事を想像するでしょうか?

RPGなんかでは勇ましき者と書いて勇者が魔王を倒しがちな事から、悪に立ち向かう強さを想像するかもしれません。
初めての事をするのにも勇気が必要でしょうか。
誰かに気持ちを伝える時を想像する方も居るかもしれません。

確かにそれらには勇気が必要でしょう。
しかしこの作品で言われる勇気とは“臆せずに誰かを助ける事“ではないかと思います。

ネスの冒険は、最終目的こそギーグを倒して世界を平和にするという事でしたが、その道中は悪者を狙って倒す為のものではありませんでした。むしろ困っている人を助ける人助けの旅のような面の方が強いものになっていましたね(その過程で悪者を倒す事はありましたが)。
それは恐らくネスのママの、ネスに対するこんな願望からでしょう。

えらい人やおかねもちにならなくてもいいけど・・・・

おもいやりのある

つよいこにそだってほしいわ。

ネスが幼い頃のママ/『MOTHER2』

ネスがゆりかごに揺られている頃からママはこんな事を言っていました。
「思いやりのある」というのは誰かを助けたい、こうしたら助かるんじゃないかという相手の事を慮る気持ちを指しているのはわかりやすいですね。
そして同じくここで言われている「強い子」というのは、物理的な力が強い子という意味ではなく「勇気を出せる子」という意味合いなのではないかと思います。
つまりは「誰かを助けたい気持ち」と「それを実行に移せる勇気」を持つそんな子に育って欲しいという願いですね。
そしてママはあのように真っ直ぐな性格ですから、昔からこの願いを語り聞かせておりネスはそれに疑問を持つことなく実行していたのでしょう。この冒険でそうであったように。

さて、この作品で勇気というワードが頻出する事は前述しました。
例えば以下のようなものです。

そして作中でも最も強烈に意味が付与されているのがこのシーンでしょう。

これは先ほど解説したネスの心の中の世界マジカントで一時的な仲間としてついてきてくれる「ネスの中の勇気」です。フライングマンという名称で呼ばれます。
フライングマンは一緒に戦闘を行ってくれるタイプの仲間ですが、見返りも理由も何も求めません。
今ネスに力が必要だからそれを貸してくれる、ただそれだけの存在です。
そして冒険を振り返ると、それはやはりそのままネスの行動だったと言えるでしょう。
人や町が困ってる→じゃあ助けようというシンプルな行動の結果、その中の誰かがネスの目的の手助けをしてくれる形で進んでいたような気がします。

例えば大人の多額の借金に関与する、宗教団体の解体を行う、誘拐事件を解決に導くなんてのは勿論、町のゲーセンでたむろしてる不良をどうにかするのすら大人でも結構嫌な所があるような問題です。
その"嫌な所"というのは、「これに関与したらこんなデメリットが自分に降りかかる可能性があるよなあ……」というリスクを嫌っての思考だと思いますが、「それでも僕は!」と言って助力出来る心持ちというのが本作で示された勇気なのではないかと思います。

そしてもう少し踏み込むならば、“自分の損得は一旦置いといて誰かの人生を良くする為に動こうという意識“は愛の第一歩だと言っても差し支えない(それはポーラの「いのる」でネスに届けられたものと同様に!)と思うので、ママ→ネス→ネスが助けた人達→ネスと愛のバトンや循環が起きていると見る事も出来ますね。最高の関係性ですね。

正直こんな大袈裟な事でなくとも、例えばお年寄りに席を譲るとか、誰かが落とした物を先に拾うとか、私達が身近で行えるor行っている思いやりを実行するにも多少の勇気は必要な気がするしそれも勿論誰かに行える愛のひとつだと思うので、自分の中に居るフライングマンと一緒に実行出来る自分に合った愛の形を探していこーというのが、「おとなはこどもに」の世界で演出されていると感じられました。


ポーキーについて

 ここまでで深く触れられなかったこのキャラクターについても触れなければなりません。ポーキー・ミンチという少年についてです。
ギーグを生み出すという役割を担っていた彼ですが、より彼のパーソナリティに近づいていくとかなり悲壮的な一面を持った少年だったように思えます。

冒険の中ではあと一歩で上手くいきそうな所でネスの邪魔をし、口汚く小ばかにしては自分の事は言い訳ばかり。
「クソガキが~~~~~~~!!!」となったプレイヤーも多いのではないでしょうか。そしてその中には、ゲームを通して「あぁ、ポーキーは両親に愛されて来なかったんだな」と感じたプレイヤーも居たのではないでしょうか。
そうです。ネスとは対照的に"誰からの愛も感じられなかった少年"がポーキーだと言えるでしょう。

ポーキーの母親

物語冒頭からポーキーの家庭はあまりいい状態には見えませんし、ポーキーが実質失踪状態となってからも彼の母親は心配する素振りすら見せませんでした。
私はあまり児童に関する心理学的なお話に造詣が深くありませんが、それでもポーキーの“意地悪をせずにはいられない“というような行動を見ていると「自信が無いというか、自己肯定感が低いんだろうな」と感じてしまいます。「強い者の味方」なんてセリフは強者の傍で得られる一種の安心感を求めてる事そのものとも捉えられますしね。
そしてそれはこれまで言ってきた“敵対心“の発生や増長にも大きく影響し、犯罪の片棒を担ぐようになってしまっただけでなく、最終的にはギーグに誘われ、導かれ、感化され、手を組むような所にまで行ってしまったのではないかと思います。

そんなポーキーですが、ネスから見えていた彼というのはまた少し違っていたようです。
ここまで何度か記事内で出てきたネスの心の中の世界マジカントでもポーキーが出てきます。これは当然ネスから見たポーキーという感じでしょう。

どんな罵詈雑言を浴びせてくるのかと思いきや、ネスを羨ましがったり友達であろうという姿勢を見せたり、現実のポーキーとは大違いです。
しかし敵対心を克服しつつあるネスから見たポーキーというのは、このように素直になれないだけで根は悪人でない少年という印象なのでしょう。
また、このマジカントの屋外にて足元に敷物が敷いてある人物はママ・妹・飼い犬・ポーキーだけなので、もしかしたらネスの中では家族と同じくらい大事に思っていた友人だったのかもしれません。プレイヤー的には信じがたいことですが。


ポーキーとネスは結局袂を分かったまま終わってしまいます。
両親からの愛は難しかったとしても、どこかでネスや他の誰かに愛されているんだとポーキーが知る事が出来ていたらまた別の道もあったんじゃないかと思わずにはいられません。
ネスとの冒険の中で見かける彼は99%くらい悪態を付きっぱなしでプレイヤーの神経を逆撫していましたし、テキストとしてもほんの少しでしたが、彼自身が見せた“やっぱりネスと友達でありたかった一面“などを鑑みると、寂しかったんだろうなと思ってしまいます。


次の記事


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?