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  • 東海道へようこそ(日本橋―箱根関所)

    南東京・神奈川に生息する筆者による、地形把握/エクササイズ/BCPの試み

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絵文字がない!

アンドロイドスマホを使っていて、使いたい絵文字がないことがしばしばある。そんな「なんでないんだ」の絵文字を列挙したい。 1.ふろしき 例文:差し上げます(ふろしき)、貢物です(ふろしき) 2.どろぼう(唐草模様) 例文:ドロンします(どろぼう)、やられた!(どろぼう) 3.ゆず 例文:冬至だね(ゆず)、お風呂に入ろう(ゆず) 4.こんにゃく 例文:おでん食べたい(こんにゃく)、お化け屋敷行こう(こんにゃく) 和物のラインナップが足りないことがよくわかる。

    • ⑳箱根湯本~箱根関所:東海道へようこそ

      日本橋を出て幾年……ついに、この瞬間がやってきました。関所を突破します!峠を攻めます!(門番もいなければ、徒歩&ランニングでの走行ですけどね)。 さて、箱根湯本発。前半は舗装道路が続きます。 途中からは完全にハイキングコース。これでもかの新緑おかわり。 さすがは東海道で、蛇の道といった雰囲気には一度もならず、石畳あり、後世に整備された階段ありの、山中であっても開けた良い道が続きます。 橿木坂(かしのきざか)の看板に紹介された歌がかわいらしく、  橿の木の/さかをこゆれ

      • ⑲小田原新宿~箱根湯本:東海道へようこそ

        小田原城の位置からもわかるように、小田原の街の中心は、駅から見て南東側なのですね。昭和40(1965)年に開館した小田原市民会館も、2021年で閉館。新しく「市民ホール」ができるそうです。 再開発されきらない小田原の町には、江戸時代の漁村・宿場町の雰囲気が残ります。筆者はそこに、素朴でリアルな江戸時代の街を再現できそうな可能性を感じます。 さて東海道中。 グラデーションで例えるなら、小田原から一段階濃度が上がる。 いよいよ箱根関所に向かうのであります。 まずは、済生堂

        • ⑱国府津~小田原新宿:東海道へようこそ

          国府津駅を出て、案内標識もぐっと静岡寄りになってきました。 なぜかアメリカ感のあるヨークマート(屋根が平らで表記がアルファベットだからかな)の手前には、「連歌橋」という風流な名前の交差点が……。なぜ連歌なのか、いつから連歌なのか。調べることがまた一つ増えました。 そして、酒匂川!河原の見本のような、広大な開放感。 馬入川、六郷川もすごかったけど、酒匂川もすごい。この三つはぜひ徒歩で渡ってみるべきです。 校庭にいつもいた勤勉ボーイ、二宮尊徳の苦労譚も、酒匂川に関係があると

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        • 東海道へようこそ(日本橋―箱根関所)
          21本

        記事

          ⑰二宮~国府津:東海道へようこそ

          二宮駅南口を出て、駅前で迷いました(!)。商店街を進んでも国道1号線に出ませんでした。「中央通り入口」、「二宮駅入口」とルート修正して西に進みます。 まずは湘南地方の皆さんにおなじみ、「湘南クッキー」の聖地を発見。しかし自分で決めたこの旅のルールの一つは「道中はなるべく江戸時代以前にあったものを飲み食いする」。湘南クッキーは江戸時代にはなかったはずなので、横目で見て通り過ぎます。 左手の黄色いのが、クッキーが買える自動販売機です。扉の向こう側、右手に見える方はコインロッカー

          ⑰二宮~国府津:東海道へようこそ

          ⑯大磯~二宮:東海道へようこそ

          強風!強風の日にこのルートはおすすめしません……(よりによって)日本橋~箱根関所で海に最も近づくのが大磯〜小田原間。目に耳に、砂が入り込みました。平らな国道1号線を淡々と進みます。 「湘南発祥之地 大磯」。中国湖南省の洞庭湖に注ぐ川、湘江の南側に似ている、ということで「湘南」。似ていると言えたということは、湖南省の人が大磯に来たか、大磯を知っている人が湖南省を訪れたか、ですよね。いつだれがそう思ったのか、本当に似ているのか、確かめてみたくなります。 新緑と権力者文化遺産。

          ⑯大磯~二宮:東海道へようこそ

          ⑮茅ヶ崎~大磯:東海道へようこそ

          茅ヶ崎駅北口を出て、茅ヶ崎駅前交差点を西へ。 「南湖(なんこ)の左富士」というのが東海道の名所にあるそうです。「東海道のうちで左手に富士山を見る場所は、ここと吉原(静岡県)の二か所が有名」ということらしい。安藤広重が描いて有名になったようです。 新田入口が市境で、ここから平塚市。 何より馬入川(相模川)。線路のある風景でも広重を感じました。 川を渡る手前には「旧相模川橋脚」があり、これは関東大震災で地上に飛び出した、鎌倉時代の橋杭。 道中の甘味には「ちょんまげ最中」白餡を

          ⑮茅ヶ崎~大磯:東海道へようこそ

          ⑭辻堂~茅ヶ崎:東海道へようこそ

          辻堂駅北口の国道1号線は、県道44号伊勢原藤沢線と重なります。西へ車道沿いを進みます。 最大限の略記で攻めてる「松林中学校入口」の英字表記。 このあたりから、茅ヶ崎駅に向かって、松、松、松と松フィーバー! 特に、茅ヶ崎高校前の松並木は見事。松ぼっくりが欲しい人には極めておすすめです。 東海道からすこし奥まったところにある海前寺は、敷地内のデザイン性が高いのか、民芸品とか昭和家具に通じるような調った印象でした。 相模線の線路を越えてイオンが右手に見えると、まもなく一里塚

          ⑭辻堂~茅ヶ崎:東海道へようこそ

          ⑬藤沢本町~辻堂:東海道へようこそ

          小田急江ノ島線は、藤沢駅から藤沢本町にかけて緩やかな上りになっています。それでも藤沢本町駅は、県道43号藤沢厚木線や国道1号線よりも低いところにあります。大磯で東海道線の南側に出るまで、湘南の内陸を進む旅路です。 引地川を越えたあと、メルシャン藤沢工場を右手に、ひたすら車道に沿うて行く。 「四ツ谷一里塚跡」。大山道入口でもあり、昔はそれなりに栄えた交差点のはずですが、今は杭のみで場所が示されており、羽鳥交番前の交通量のなかに霞む。ここから半町(50メートル)ほど続く数本の

          ⑬藤沢本町~辻堂:東海道へようこそ

          ⑫戸塚~藤沢本町:東海道へようこそ

          戸塚駅西口から、国道1号線を進みます。 戸塚宿は、日本橋を出た人が一泊目を取った場所と言われます(ただし保土ヶ谷に泊まったり、神奈川に泊まったりのバリエーションはもちろんある)。 駅を出てすぐにあるのが、内田本陣跡と澤邊本陣跡。 明治天皇は日本中をよく回った人で、さすがに東海道沿いには”明治天皇がここを訪れました”という石碑が多く見られます。澤邊本陣跡もその石碑のおかげで目立ちます。 神社仏閣が多いので目移りしますが、すべてに立ち寄ると日が暮れるのでご注意を。 八坂神社は

          ⑫戸塚~藤沢本町:東海道へようこそ

          ⑪保土ヶ谷~戸塚:東海道へようこそ

          保土ヶ谷駅前の商店街を抜けると、踏み切りの手前には焼き鳥屋が!ひっきりなしに地元住民が買って帰る(持ち帰り専門、営業日要注意)。 小さい山のようになっている大仙寺に気がひかれるが、東海道中としては踏切を越えて一本外側へ。 この先、一気に相模国の緑深いエリアとなり、長い坂が続きます。 境木地蔵。むかしお地蔵さんを江戸まで運びきれず、この地に放置したのが由来とか。…鎌倉に近づくと、どうも昔話が増える気がする。 権太坂。“ちょいとすみませんがね、この坂はなんという名前ですか?

          ⑪保土ヶ谷~戸塚:東海道へようこそ

          ⑩神奈川~保土ヶ谷:東海道へようこそ

          神奈川駅の山側からスタートし、住宅地の細い道路を進みます。 かつて一里塚があったという場所は、今は大綱金刀比羅神社が目印になるばかりで塚らしきものの痕跡はありません。 旧道と新道が絡む浅間下で少し迷う。日本橋と同様、旧道の上をいく首都高は蹂躙にも感じられます。 電子機器を使った道のり確認を自らに禁じているので、たまにこうして迷います。保土ヶ谷から神奈川へ上り方向に進む場合は、交通量の多い環状1号線に惑わされますが、ここは正しく一本内側に入らないといけません。 この先保土

          ⑩神奈川~保土ヶ谷:東海道へようこそ

          ⑨生麦~神奈川:東海道へようこそ

          今日のおやつは「よねまんじゅう」と「なまむぎ最中」。旅人を癒す、やさしい甘さです。 京急生麦駅を出て、しばらくはキリンビールの長い敷地脇を進みます。 国道15号線にぶつかり、ここから京急新子安、子安、神奈川新町、仲木戸と、ひたすら線路と並行して歩きます。 面影はありませんが、「滝の橋」あたりがかつての神奈川宿の本陣跡。 落語の「御神酒徳利」に出てくる旅籠「新羽屋源兵衛」はこのあたりにあったはず。御神酒徳利は、日本橋馬喰町を出て神奈川宿を通り、大坂まで出る話(そして馬喰町

          ⑨生麦~神奈川:東海道へようこそ

          ⑧京急鶴見~生麦:東海道へようこそ

          京急鶴見駅前を出発し、JR鶴見線の国道駅をくぐります。 この国道駅、“戦後”がそのまま保存されたような佇まい。 その先、住宅が立ち並ぶ細い通りを、ただただ前に進みます。 夜に歩いたせいか、人通りがほぼなく、日本橋~箱根の間で最も孤独を感じたルート。静かでどこかに吸い込まれそうな、闇。 別名「魚河岸通り」であり、魚屋さんが開いている朝~昼間に歩いたほうが楽しいに違いありません。 かの有名な生麦事件が起きた通りでもあります。いかにも、開国したくない幕府が、渋々外国人の往来を認

          ⑧京急鶴見~生麦:東海道へようこそ

          ⑦砂子(川崎駅前)~京急鶴見:東海道へようこそ

          「奈良茶飯」を食べて、川崎駅前の砂子交差点より出発。奈良茶飯は江戸時代から饗されていたご飯で、栗、大豆、小豆、粟、が入ったヘルシーメニュー(栄養満点でスタートしたせいか、道中蚊に刺されました)。 「砂子」(いさご)、「小土呂橋」(こどろばし)は古い地名がそのまま残ったもので、川崎宿は六郷橋を越えたあたりから約1.5kmにわたり続きます。道すがら、これは古い地名だなというものに出くわすと、江戸時代の人の気配を感じるようで、そんな発見はこの旅の醍醐味の一つ。川崎駅東口の最も繁華

          ⑦砂子(川崎駅前)~京急鶴見:東海道へようこそ

          ⑥京急蒲田~砂子(川崎駅前):東海道へようこそ

          京急蒲田から東六郷までは車幅ボーナスゾーン。大きな幹線道路が続きます。 この区間のクライマックスは、やはり六郷川(多摩川)越え。 多摩川は全長138kmありますが、蒲田から川崎に架かる「六郷橋」付近から河口まで(約4km)を、「六郷川」とも呼びます。 現在河口側から順に、首都高湾岸線の多摩川トンネル、大師橋、そして六郷橋があります。六郷橋はもともと徳川家康が「六郷大橋」を架けたのに始まり、明治10(1877)年には東海道線の複線化にあたり「六郷橋鉄橋」も作られました。

          ⑥京急蒲田~砂子(川崎駅前):東海道へようこそ