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食べること、祈ること

陽射しの濃さが揺らぎ、朝晩の涼しさが増した。
私が気が付いた時には、あっという間に10月になっていた。

昨年、8月のお盆終わりで仕事に行けなくなりそのまま退職しました。
今は派遣社員として事務員をしています。
派遣先に行きはじめて、丸々1年が経っていました。

私が住む地域は田舎ですが、派遣先はもう少し田舎になります。景色はとてものどか。
田舎特有の人の好さと、情報の知れ渡り方の速さ。家族を持つことが一番大事とされる価値観を、私はそっと眺めている。
良い事もあれば悪いこともあります。どこにいても本当の意味で馴染めないまま、それでも外側と内側のはざまくらい、でも隅っこに近い場所に、私は薄ぼんやりと存在していてる感じがする。
特に仲のいい人を作りたいと思っているわけでもないので、雑談に入れれば参加して、お昼はぱぱっと食べて事務所の近くに戻って来て好きなものを眺めています。飲み会のない時期で良かった。当分そうなると良いなと思います。話すことが苦手だからというわけではなくて、私の好きなものやことは、だいたいありふれていて話すほどでもないなと思ってしまう。
それでも何とか生きています。
生きていれば何とかなります。仕事はありました。派遣だから正社員じゃないし、ボーナスもないけれど、それでも私はぼんやりしてぽけっとしながら、生きることをしぶとくやめていない。

仕事も生活もリタイアしかけた割に(というかいつもだいたいリタイアしながらうろうろしている気もしますけど)、それなりに何とかなっているんじゃないかと思い込んでいるので(満点は、自分の中のものさしではかればいいのです)、ではこれからどんな感じで過ごしていこうかな?と暇な時間に夢想しています。
私は2月に29歳になります。その次は30歳に。
ただ単純にぼんやりと勝手に30歳で終わるものと思っていたので、さてこれからも続きそうだぞと漠然と思い至って、人生設計というものをしてこなかったので思い描くことにしてみた。

かといって、結婚をする前に恋人がいないし、なんだかんだ家で引きこもって転がっていることが好きだし、お菓子作りや本を読んだり、こうしてとりとめのないことを書くことで満足してしまっている自分もいる。
ならもう、自分の好きなものを食べる、ということを大切にしていこうかなと思う次第です。
私はとても太っていた子供だったのですが、あれは思うに、自分の満たされなさを食べ物でなんとかしようとしていたんじゃないかと。
今は、ある程度時間を決めてお腹が空いたら食べるようになったし、お腹いっぱい以上に食べることもしなくなった。未だに適量というものに惑わされますが。
それで、なら、次は、自分の好きなものを食べていきたいなと思ったわけです。

お腹を満たすために食べる、じゃなくて、心のすき間を埋めるために食べる、じゃなくて。
「この味が好き」「これを私が好き」だから食べたい。
心を満たす食事というものを探して行けたらいいのかなと思います。

思えば私は食事をすること、作ること、食事に関する漫画や本を読むことがすごく好きなのです。でもそれを仕事にするためには覚悟が足りない。だからこそ、自分の手の届く範囲で楽しんでいきたいと思います。

あっという間に過ぎていく日々を、名残惜しいと思うことはなくて、クラゲみたいにふわふわ浮いたまま、祈るような気持ちで眺めていきたい。
私にとっての食べることは祈りみたいなものかもしれません。
自分を大丈夫にするための、心を癒し、明日を歩く柔らかな支えを作るための。

毎回書き出すと取り止めもなくなってしまいます。日記みたいなものなので、あしからず。
お付き合いありがとうございました。


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