わたしが東東京から離れるまで(2)

東武線の思い出

小さい頃、休みの日は親がどこかしらにお出かけに連れてってくれた。上野とかたまに銀座とかに連れてってくれたのだが、移動手段は電車が主だった。普段はチャリで行動するので、電車というとちょっとテンションが上がる。今でこそつくばエクスプレスや日暮里・舎人ライナーが開通して便利になったが、足立区の中心を南北に縦断する東武伊勢崎線こそがまさにライフラインであった。上野も銀座も東武線と日比谷線が直通運転しているおかげで乗り換えなしで行けるのだ(北千住駅が最寄りの人には関係ないが)。日比谷線との直通運転がなかったらわたしの中の都心は浅草だったかもしれない。小さい頃は休みの日にしか電車に乗らないのだが、浅草行きの東武線は朝早くから競馬新聞を読んでるおじさんたちばかりであった。東急線とか小田急沿線とかに住んでる人からしたら「子育てにはよろしくない環境ね」と眉を顰められそうだが、わたしにとってはこれが普通なのだ。なお、足立区と都心を結ぶ重要インフラ・常磐線は競馬新聞率は低いものの飲酒率は高い。それもわたしにとっては日常である。東武線や常磐線のおかげでそういう人達のことを全く怖いと思わなかった。というかむしろ昼から浅草のホッピー通りでモツ煮とホッピー片手に店のテレビで競馬観戦するような大人になってしまった。東急線沿線のボンボンよりもたくましく育ったと思ってる。

そんな東武線であるが、ある日小学校の遠足で東武線に乗って芋掘りに行くことになった。何時何分の電車に乗ると決まっていて、先生や生徒たちみんなでホームで待っていた。そして電車がホームに入ってくる時、「まもなく◯番線に東武動物公園行きが参ります。〇〇小学校のみなさんはこの電車にお乗りください」と駅員さんがアナウンスしてくれた。これがめっちゃうれしかった。こんなふうに普段は名指しでアナウンスしてくれないだろうから、なんて親切な駅員さんなんだろうと思った。大人になった今でも素晴らしい心配りだと思う。ほんの些細なことだけど、すごく印象に残った出来事であった。それ以来、東武線のことはちょくちょく気にかけている。そして遠足から15年後くらいに、わたしは東武鉄道の入社試験を受けた。あのときの駅員さんのようになりたくて。エントリーシートを書き、筆記試験を受け、結果は・・・言うまでもなく不合格で面接すらできなかった。

今、東東京を離れて暮らしているが、たまに地元に帰る時は電車賃をケチって東京メトロを使っている。でも去年の年末はメトロで浅草まで出て、浅草からは東武線に乗って地元に帰った。浅草駅も「東武電車」と掲げてある駅舎から、レトロな感じにリニューアルしてた。沿線の風景もスカイツリーができたり、曳舟あたりは再開発されてたりで、じんわりと変わっている。それでも、低層住宅が広がっている感じとか、堀切あたりの荒川土手と並走する風景とか、変わらないところもある。なにより空気感が変わっていない。気を張らなくて良いゆるい感じがいいのだ。浅草から北千住まで本気を出せばいくらでも早く走れるだろうに、なんだかゆっくり走っていて、慌ただしく流れるように過ぎている日々に対して、もっと丁寧に過ごせと言われているようで、やっぱり帰るところは東東京なのかと嬉しいような悔しいような気持ちになった。

そんな感じで東武線には大変お世話になってきたのだが、ひとつだけどうしても東武線というか東武鉄道に言いたいことがある。業平橋駅の駅名は変えないほうが良かったです。とうきょうスカイツリー駅・・・未だに慣れないです。


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