六道慧の花暦2024年1月(1)

昭和の下町(3)
 昭和のスターをひとり、挙げろと言われたら、あなたはだれを思い浮かべますか?
 私はダントツで美空ひばり(敬称略)。子役としては今ひとつだったように思いますが、歌手としては押しも押されもせぬ大スターです。あたりまえの表現で恐縮ですが、本当に歌が上手かった。
 小林旭と結婚したときは、ぶったまげましたね。あちらも俳優としてはもちろんのこと、歌手としても大スターです。私は小林旭の歌、好きでした。ちょっと高い声で、朗々と歌いあげる。天は二物も三物も与えるんだなと思いましたよ。私の記憶が確かならば、CMソングを歌ったというか、そう、小林旭の歌がCMソングに使われたこともある。聞けばあなたも「ああ」と思う名曲です。
 二人の結婚生活は、残念な結果に終わったようです。大スター同士、なかなかむずかしいものがあったのかもしれません。
 さらに美空ひばりと言えば忘れられないのが、お母さん。ステージママの先駆けであるのは、だれもが認めるところでしょう。必ずついて行く姿は、当時としては異色だったのか、なにかと取り沙汰されていたのを思い出します。
 娘のことを「お嬢」と呼んでいたのも新鮮でした。私の兄がふざけて「うちのお嬢はどこに行った」などと笑いながら言っていたという話を、私は母親からよく聞きました。聞くたびに、くすっとしていましたね。ちょっと照れくさいというか、恥ずかしいというか。乙女心を刺激されました。「お嬢」にはそんな下町っぽい、ときめきがあったように思います。
 年を取ったらどんな歌声を聞かせてくれるだろう。
 そう思って楽しみにしていたのに……当時の週刊誌には、無理なダイエットが原因だったのではないかという記事が載りました。確か流行っていたダイエット法じゃなかったかしら。騒がれましたね、大スターですから。
 とにかく、なにを歌っても、美空ひばりになる。
 これは単なる噂話なのかもしれませんが、譜面が読めなかったらしく、曲はすべて耳で憶えたとか。聴覚が鋭かったのでしょう。絶対音感を持っていた。いずれにしても、不世出の天才のひとりであるのは間違いありません。ご存命だったら、どんな歌を歌ったでしょうか。年寄ってくると、往年の大スターを思い出すようになりました。美空ひばりはだれもが認める昭和の歌姫。あらためてそれを感じています。

#昭和の下町 #歌手 #六道慧の花暦2024年 #シニアエッセイ

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