見出し画像

おっさん犬を飼う

「寂しいという感情は自分にその資格はない」。
そうずっと思っていた。思うようにしていた。
かつて友人もいた。かつて恋人もいた。かつて妻もいた。
そして彼らは皆、私を見限った。
当時は私にも言い分があった。だが今思うと
どう考えても自分が悪い。今になって思い当たるふしが多すぎる。

唯一そばにいた娘たちもそれぞれ成人して、パートナーがいる。
親としての役目が終わってふと自分を顧みると、ものの見事に人との繋がりがない。社会との繋がりが会社だけ。それが自分だ。

そうならない機会はこれまでの人生にいくらでもあった。
しかし私はその機会を無為に軽んじてきた。
そして私は独りになった。

人生を照らすものを蛍光灯に例えるなら妻がいたときは4本の蛍光灯がついていた。妻が去って父子家庭になったとき蛍光灯は2本になった。
半分の明かりになってしまったが、それでも歳月はその明るさに慣れさせ、その明かりのもと日々の営みが続いた。娘たちがそれぞれパートナーの元に去ったとき蛍光灯は遂に1本になった。

ろくな父親じゃないけどそれでも父親を案じた娘たちから
犬を飼う事を提案された。ペットショップとかの生体販売のそれでもいいけど、保護犬なんか、きっとパパは可愛がるんじゃないかと。
思えば最後に私が犬を飼ったのは、大学生の時以来である。
30年ぶりに迎える犬は、私の孤独な日々を解消してくれるかも知れない。
そうして家に、生後二か月のわけあり雑種の仔犬がやってきた。

ここから先は

3,050字 / 3画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?