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遊びの風景とコミュニケーション / 町を想うこと / 積ん読 / 空っぽのお弁当箱

3月24日(日)

プレイパークの撮影に。12月から月に一回、今日で4回目、今年度最後。これまでは風が本当に冷たくて寒くて、人も少なかったけど、今日は太陽もでて暖かくて、プレイパーク日和。たくさんの人で賑わっていた。

今年度最後の開催ということで、日常にある遊びの風景を撮ってほしいと言われていた。そのことを念頭に置き、私も息子と遊びながら、写真を撮った。子どもを連れるのは、お母さん、お父さん、おじいちゃんおばあちゃん、いろんな人。世代、性別を超えてこの場に集まる人たちを見て、地域のみんな「で」子育てしているのではなく、みんな「が」子育てしていると感じた。

「午前中、ここで遊ばせると午後は静かになることもあるからねぇ」と、お孫さんと来られていた女性とお話して、わかります、と答えた。こうした場での出会いやコミュニケーション、ただ遊ぶだけでも、なんかいい。特につながるわけじゃないけど、同志の存在を知るだけで心強いと思えることがある。

今日は工作コーナーが盛り上がっていて、息子がアイスクリームを作ってくれた。最初は画用紙、次にキラキラのモール、最後にフェルトの小さな玉をのっけてくれて、可愛くて持って帰ってきた。

当日の参加者の様子は主催:桃の駅公式instagramにてご覧いただけます。

3月26日(火)

アメリカから来た26歳の女の子とおしゃべりをした。

福島第一原発の事故による帰還困難区域やその地域に暮らす人について関心があり、今回は2週間ほど滞在をして、あちこち回り、話を聞いてきたようだった。彼女がどこに行き、誰に話を聞いて、どんなことを見てきたか、詳しくは分からない。でも、「同じ町に住んでいるのに、違う場所のことを話しているようだった」と話してくれた時には、ハッとした。というか、それを感じるんだ、とちょっと驚いた。

「話すことよりも、決めることを優先していることが不思議だ」という話も印象に残っている。アメリカでは、決めることはいったん脇に置き、とにかく話すことを大切にするそう。たしかに、日本は、震災が起こったときにどうやって復興させるかを決めて、その後の過程や変化に合わせて、例えば10年以上前に決めたことをやらなければならない、みたいなことがままある。そもそも、何がどうなるか分からない10年後のことを決めるなんて無理な話なのに、どうしてこうなるんだろう。話すことを大事にするのは、それぞれの意見を知ろうと努力すること。時間が進み、状況が変われば、人の意見だって変化するだろうに。その時々で、話して、決めて、進められた方が幸せなんじゃないだろうか。

というのもまた、机上の空論ではあるのだけれど。「みんなが町を想っていることはいいことだと思う。だけど、全員で同じ方向を向くのはとても難しいよね」と、彼女は言う。本当にそうだ。

ただ、同じ場所にいながら違う場所にいるように感じられることは、希望なのかもしれない。その違和感すらもなくなってしまえば、町はどこにも向かわなくなりそう。違和感、大切にしよう。

3月27日(水)

取り寄せした雑誌を取りに、書店へ。こうして読みたくて買った本、買った(借りた)けど読んでない本、読みたいけど手元にはない本。つまり、読みたいのに読めていない本がたくさんあって、新しい本を買いながら「積ん読しちゃってるんですよねー」と書店員さんにぼやいたら、「読書好きほど、積ん読するんですよ」と返ってきた。そうなのか。もしかすると、本屋さんにある本は、全部、仕入れた人の積ん読……?そう考えると、本を読めていないことの焦りとか、読んでないことがずっと頭の片隅にある感覚とかがすんっと消えて、好きなときに好きな本を読もうと思えた。買った雑誌はその日のうちに、2ページだけ読んだ。

3月28日(木)

出来映えよりも、持って帰ってきたお弁当箱が気になるようになったのは、息子のお弁当を作るようになってからだ。ちょうどお腹が膨れる量で、彩りと栄養のバランスがよくて、食べやすいお弁当。夫のお弁当に比べると、慎重になるというか、気をつかう。おかず気に入ったかな、ごはん多くなかったかな、お腹はいっぱいになっただろうか。朝、台所でお弁当箱を発見すると、「持っていく!」と必ず言ってくれるほど、お弁当は好きでいてくれるみたいだけど、これで正解?といつも不安。だから、帰ってきたときにお弁当箱を開けてみて、その中身が空っぽだとすごく嬉しい。おいしかったから、全部食べたよと言われてるみたいで。

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