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心理学検定キーワード第1章【原理・研究法・歴史】1.26-(日本の心理学史)★★

スピリチュアルは今も昔も健在だった

目に見えない世界だからこそ

とんでもない現象や超能力を売りにする人が出てくる

いわゆる似非スピは絶対に撲滅したい私クローンですが

一方で理解できない現象があるのも事実ですし

日本人であれば信仰や神様に対する考え方、寺社仏閣がどうしても好きな感じは解ります。

心理学においても、カウンセラーという名のついた良くわからない人が非常に多いように思います。

それは、日本において心理カウンセラーというものがまだまだ歴史も浅く、社会に浸透していないからとも言えます。

公認心理士という国家資格が出来た事で、カウンセラーや心理系の職に対する意識、イメージも少しずつ変わっていくのでしょうか。

本日は第1章最後となります

我が国日本の心理学の歴史です。

キーワード集を抑えればまあ、何とかなりますが

余裕がある人は心理学史の本を読んでより細かい部分までチェックしてみてもいいかもしれません。

それでは、本日もまとめの方はじめていくぅー!


→心理学という名のほぼ哲学の時代

日本における心理学の歴史のスタートは

明治時代といわれています。

年でいうと1868-1912くらいです。

ここで初めて心理学という用語が作られたところがスタートです。

洋学者西周(にしあまね)という人が

精神哲学の本を日本語に翻訳して

「心理学(1875)」と題して出版しました。

心理学という用語が広まったのはここからということですね。

内容としては

精神哲学(mental philosophy)ですので、あくまでも哲学です。

哲学の中でも、感情や感覚、意識について論じたものになります。

「心理学上の哲学」→略して「心理学」としました。


心理学が教えられるようになったのが、日本で最初の大学である

東京帝国大学(現在の東京大学)です。

教授のほとんどが外国人でしたが、心理学を担当していた日本人の1人として

外山正一がいました。

ただ、外山が教える心理学は実験的な心理学というよりは

ヴント以前のより哲学的な内容でした。


→日本で最初の心理学者が誕生する

日本で最初の本格的な心理学者として紹介されるのが

元良勇次郎です。兵庫県三田市出身。

本格的って何?って感じですがw

元良勇次郎のベースは儒学洋学です。

父親が儒学者だった影響で小さい時から勉強していたようです。

そして、キリスト教の影響を受けています。

ですので、大学はキリスト教系である同志社英学校(現在の同志社)で学んでいます。

津田梅子の父親である津田仙に誘われて

学農社農学校の教員になった後は、青学(青山学院大学)の設立にも参画しています。

ここまででまだ心理学とつながりがありませんねw

アメリカのボストン大学に留学した際に哲学科に入ります。

そこで教授と馬が合わず(キリスト教の考え方でもめた)退学。

別のアメリカのジョンズ・ホプキンズ大学に入り直します。

ここで博士号をとりましたが、心理学ではなく哲学での博士号らしいです。

どこで心理学にたどり着くのかって感じですがw

帰国してから、外山正一に誘われて

東京帝国大学の教員になります。

そこで、精神物理学の授業

後に心理学の授業を担当するようになりました。

教授として心理学の講座を持ったのが1893年

ここから、日本の心理学者が育っていくのです。


→心理学実験室の誕生と、京都帝国大学での心理学講座

1903年に日本に最初の心理学実験室が設置されます。

東京帝国大学にて。

専門の建物で、複数の実験室完備の本格派ですw

3年後の1906年には

京都帝国大学(京都大学)にも文科大学が創設されて、心理学の講座が生まれました。

初代の教授が

松本亦太郎で、日本心理学会の初代会長でもあります。

松本同志社英学校で学んだ後に

東京帝国大学元良の教えを受けています。

ドイツ留学の際はヴントからも指導を受けています。


→明治の終わり大正時代の日本の心理学

大正時代は心理学が広がっていく時代でした。

雑誌が出たからです。

「心理研究(1912)」という日本で最初の心理学雑誌の刊行によって

より人々の目に触れるようになった事、そして

心理学者が増えていったことも挙げられます。


大学で心理学を学ぼう!ってなった時に

今となっては全国どこでも、通信でも普通に学ぶ事が出来ますが

当時は帝国大学の国立、そして1919年の「大学令」によって私立大学が認められ、早稲田や慶応などの私大ができたばかりで

まだまだ間口は狭かったようです。

特に女性が志すにはハードルが高かった時代です。

そんな中、日本人女性として初の心理学博士号取得したのが

原口鶴子(旧姓新井)です。

日本女子大学校(日本女子大)で学んだ原口は

卒業後にニューヨークに渡って、ソーンダイクの元で研究をしました。

結婚して2人の子供に恵まれましたが

結核により29歳の若さで亡くなりました。


→スピ系?オカルト系?超心理学に走った福来友吉

個人的に嫌いじゃないですw

東京帝国大学元良に学び、催眠研究をしていた

福来友吉変態心理学(催眠心理学)にどっぷりでした。

透視能力を持つといわれる

御船千鶴子の出現で、興味をもった福来は

実験によって「これは間違いなく透視できる!」と確信し、学会に報告しました。

より科学的な実証実験を公開実験として行いましたが

上手く行かないと避難をあび

上手くいっても詐欺といわるので

思い悩んだ御船千鶴子は自殺してしまいました。

んー、こういうのって今も普通にありますよね。

上げるだけ上げて、一気に落とすやり方。

悲しい事ですよ本当に。


その後も、長尾郁子高橋貞子といった女性をつかって(つかってって言い方は良くないか。。)透視や念写の実験を行っています。

懲りないですねw

高橋貞子の実験では念写が成功したとされています。

これに味をしめて

「透視と念写」という本を出します

大学側から「東大の教授としてどーなのそれ?」

とおしかりを受けても、事実である事を信じて疑わなかった為

大学側から追放(休職)

当時のメディアからも取り上げた人物をペテン師、イカサマと攻撃を受けるハメになりました。


→日本心理学会の発足とその後の歴史

日本で心理学会が出来たのは昭和になってからです。

1927年の事でした。

1930年代から40年代までは実験心理学ゲシュタルト心理学の影響が強く

戦後の学校教育法による日本の教育整備によって

大学の教職課程で教育心理学や、青年心理学が教えられるようになりました。

また、心理職の資格を整備する動きがありましたが、中々進まず

1988年日本臨床心理士資格認定協会が設立され

2015年「公認心理士法」が成立しました。

2021年現在で第4回目の試験となります。


以上が大きな流れになります。まとめとしては

心理学という用語は西周が作った

外山正一が東大で心理学担当教授の最初の人だが

外山正一心理学者ではない

・本格的な心理学者元良勇次郎

元良精神物理学の授業を行った

1903年東大に日本で最初の心理学実験室が設置された

京大の心理学初代教授が松本亦太郎である

松本日本心理学会の初代会長

松本ヴントにも教えを受けている

女性で初の博士号を取ったのは原口鶴子である

原口鶴子ソーンダイクに学んだ

福来友吉元良の元催眠の研究をしていた

福来変態心理学(催眠心理学)専門

福来は透視や念写などオカルト寄り

日本心理学会の設立は1927年

日本臨床心理士資格認定協会の設立は1988年

公認心理師法成立2015年


第一章これにて終了。

毎日投稿頑張っておりますw

明日は少しホット一息いれさせてもろて

コラムを書いて

また、次第二章コツコツやっていきます!

まだまだ、説明が浅い部分もあるかもしれませんが、少しでもイメージしやすいようにこれからも頑張って行きますので

是非、好きとフォローお願い致します。

それでは、次回のまとめで。


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