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居場所は大事だよ(ペッ君)

お坊さんと本当の自分とのギャップ
そもそも自分は坊さんとして足りているのか。
これはいつも頭にあるテーマだ。20代30代は坊さんである自分とほんとの自分とのギャップに苦しんでいた。40代50代になると経験も失敗も重ね自分の能力もわきまえ、不可能なことなどありはしないなどと壮大な悩みを抱えることも少なくなった。ただ周りに注意してくれたり、アドバイスしてくれる人がいなくなり、傲慢にもなり、坊さんとしての本分を忘れてしまうことがある。

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原点
お釈迦様の時代僧侶はサンガ(修行に励む集団)をつくって生活していた。生活の糧は修行に対する施しのみ。生産活動はしてはならず、衣食住の品をすべて寄付してもらうのだ。そのサンガが成り立っていくためには本当にきちんと修行しているか信用されなければならずそのために律(サンガ内のきまり)がたくさんつくられた。「整備された律に基づいて修行していますよ」というのが評価となり、信頼される僧が存在出来た。
しかし日本の仏教には当時のサンガもなければ律もなく、肉食をするし結婚もし家庭を持つ。施し(布施)の意味合いもかなり違う。でも原点を忘れてはならない。僧侶の使命は修行すること。また誰もが修行に参加できるよう常に道場を整えること。自ら得られた心の安定を世の役に立てること。居場所はあくまで修行の道場にある。

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ケアとセラピー
面白い本を見つけた。「居ることはつらいよ(東畑開人著」」。心理療法、ケア、セラピー、カウンセリングについて臨床心理士の著者自身が就職先のデイケアで体験した様々なエピソードが面白おかしく描かれている。

世の中はそんなに甘くない
著者は大学で心理学を勉強し、資格も取り、心理療法の進め方をマスターしたスペシャリスト。でも学んだことがすぐ実践できる場が与えられてそこから給料をもらい生活できるかというと世の中はそんなに甘くないというところから話は始まる。ようやく決まった就職先のデイケアで、失敗を積み重ね苦闘しながら著者はある一つの結論に行き着く。

ケアよりもセラピーが高度だと思っていたがそれは間違い。実はセラピーよりもケアが大切で、するべきことは「ただ一緒にそこに居ること」だった。


一緒にそこに居る
専門知識があるだけにある日ここぞとばかりにセラピーをし、著者は苦い経験をする。セラピーのマニュアル通り30分と時間を決め、患者の心の奥にある辛い経験を傾聴。エネルギーと苦痛を伴う告白がダメージとなりその患者さんはデイケアに現れなくなる。安易なセラピーや傾聴はかえって悪い方向へ向かわせることに気づき、辛さを伴うセラピーではなくただ寄り添うケアの大切さを知る。

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人間にとって
ケアとは「ただ一緒にそこに居る」。世の中に居場所を亡くした人がデイケアに集まる。居場所があることは人間にとって大事なのだ。
(ペッ君)

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