知らないものは怖いけど(やまのひつじ)

知らないものは怖い。
死が恐ろしいのも、今回のコロナウィルスもそう。

僕は数年前まで精神科の病院に勤めていた。
こんなことを話すと、今まで何人もの人から「自分が病まないの?」という言葉が返ってきた。
この偏見のような言葉も、知らないが原因で出る言葉だろう。
知らないものは怖い。

さて、話は病院勤務時代、2つ目の病院で働いていた時のこと。
ここでの思い出は、今振り返ると良かったこともたくさんあるけど、当時は人間関係で辛いことが多かった。
その人間関係とは同僚である先輩作業療法士のこと。
「社会人とは」というのを延々と説いてくるわりには、毎日遅刻ギリギリで無断欠勤も平気でするような人だった。
そのくせ、(県立病院だったので)公務員の権利はしっかりと主張してくるような人で……。
一番悩まされたのは気分のムラだった。
出勤をしたら彼女の気分をはかることから始まる。
なにしろ毎日一緒に仕事をしなくてはいけない(当時、その人とアシスタントと僕の3人1チームで動いていた)。
機嫌が悪い時はものすごく顔に出るので、腫れ物に触るような対応にならざるを得ないし、かといって、機嫌が良さそうだからと油断しているのもいけない。
何かの拍子に地雷を踏んでしまったこともたくさんある。

当時、僕は作業療法士として3年目、その彼女は10年以上経っていたのだと思う。
知識や経験では当然及ばないので、言うことを聞くしかなかった。
その日の機嫌で我々への要求は上がり下がりするけれど、概ね厳しかった。
そうなると自然と出勤時間は早くなり、退勤時間は遅くなっていった。
21時頃に病棟でカルテを書いていると、夜勤の看護師さんからは「誰か待ってくれる人はいないの?」なんて冷やかされたりもした。
患者さんのために準備を入念にするのか、同僚の地雷を踏まないための準備なのかわからなくなる日さえあった。
そんな時間は僕の心を少しずつすり減らしていくことになる。
1年以上続いた頃、出勤する車の中で気づくと涙が出ていた、そんな日もあった。
見かねた課長は、「気にせず休みなさい」と言ってくれた。

それでも僕がそんな時間を続けられたのは、間違いなく患者さんたちのおかげだった。
「一緒にいるとこちら側も病んでしまう」そんな目で見られてしまうこともある、その人たちだ。
なるべく隙間時間を見つけては病棟に通って、なにをするでもなくそこにいた。
治療のプログラム外での彼、彼女らからぽろっとこぼれ出る言葉を拾いたい。
そんな治療的な目的もあったけど、ほとんど自分のために通っていた。
タバコを吸ってる人の隣にちょこんと座って一緒に空を見た。
肩もみをしながら身の上話を聞いた。
花壇の花に水をやりに行った。

あーどれも僕の癒しだった。
いいじかんだった。

この時間が僕の今をつくっていると思うと、じんわりあたたかく、愛おしい。

(やまのひつじ)

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