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金で人は測れません。

日本は、かなり強い拝金主義に浸かってる事に気づいていますか?

名前のごとく、お金を崇拝する主義
簡単に言えば金がすべてって事です。

メディアが特に重罪であると言われています。

未だに豪邸なり高級マンションなり高級車の紹介。
高級なブランド服に身を包む姿
それらを(成功者)と表現して発信しています。

書籍でも成功の為の~。とか成功の秘訣!とか
中身をのぞいてみれば、金持ちになる為の手法であったり。

成功=金持ち 
という1つのモデルを、神様のように崇拝してしまっている現状が日本の風習です。

他にも、
アート(芸術)の世界にも拝金主義をもちこんできます

アートは文化的価値なり、
作者の意図に対して、いくつもの仮設が生まれるロマンある作品達も
日本の拝金主義にかかれば
それ、いくらなん?
という話になる。
え!1000万!すごい!
というあまりにも無機質な価値観になってしまいます。

レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐に関しても、
彼が何を伝えたかったのか?
なぜユダの位置を横にしたのか?
どこにテクニックがあるのか?
何がすごいのか?
他の最後の晩餐との違いは?
といった話を専門家の目線や、素人が感じる目線や
色んな価値観があって、
人がどのように感じるのか?というのがアートの面白さでもあって、
そこには時代を超えた視点の違い等もあったりするので価値があるのです。

が、いくら?という値段の話だけでは
何も広がっていきません。
むしろ、
コピー品がでたり、転売されたり、高く買わされたり
拝金主義の行く末は、無機質なモノになりやすいのです。

そして、僕もここ数年は
本職の他に、専門学生へ外部教員として講義に行くこともあるのですが
その時も拝金主義に浸かってる事を実感します。

みんなそれぞれ科学について
色んな目線があり、得意な事があり、発想豊かなのですが
なぜか就職の話とかになると、
年収の話がほとんどなのです。

やりたい実験よりも、年収 
魅力ある経営方針よりも、年収
自由があるスタイルよりも、年収
追求したい分野よりも、年収

これは、なんとも悲しい事やなと感じます。

やからこそ、たまに
拝金主義をテーマに学生に話をします。

すると、自分達が
拝金主義にドップリ浸かってる事に気づく学生もでてきます。

それほどまでに、自然に拝金主義に浸かるのです。
You Tuberも、豪遊っぷりやら
お金の散財を動画にしたりしますし
年収の金額がすごい事を
(夢がある)なんて表現をしちゃうんです。

転職したいのに、年収が下がるから
嫌嫌ながら今の職場にしがみつく

なんてのも、どれだけ見てきたか。

お金は人間の本質に、雲をかけてきます。

しかし。

人間の本質は、金で測れません。

僕の人生で1番尊敬する祖母は
1円も稼いでいない自給自足の農業者です。

拝金主義の視点で言えば、無価値ですかね。

しかし金なんかでは、
祖母の思想の深さは測れません。
祖母の優しさや愛情は測れません。
人としての魅力は測れません。

我々人間の本質は、やはり
他人の気持ちを類推(るいすい)する事にあると考えます。
つまり、相手の気持ちを察しようとするってことです。

これは人間にしかできません。

先程のアートでも、人間ならば
作者の
作品に込めた想いを考える
メッセージを感じ取る
伝えたかった本質的な事を読み取る
これらが、人としての能力です。

ひどい言葉を使う人を見たとしても、
ひどい言葉で育てられたのだろうか?
ずっとひどい言葉を聞いて育ったからこそ、普通に他人にもひどい言葉を使えるのだろうか?
ひどい言葉という認識はあるのだろうか?

と、人間は表面の事実だけではなく
相手の気持ちを類推する事ができるんです。

科学の世界やろうが
工場の世界やろうが
販売の世界やろうが
仕事においても、本質的な事は
きっと誰かの為になるように
という、人間らしさやと思います。
やから年収なんてもんに、負けずに
ぜひ、自分の追求したい世界へと勇気ある一歩を踏み出してほしいと学生にも思います。

それが人間の素晴らしさであり
機械が今後進もうとも、人間のその本質的な能力までは代替えできないことでしょう。

みなさんは、拝金主義に浸かってませんか?

判断基準に、金が大半を占めていませんか?

それが意図してならば良し。
が、気づいてなかったとしたら
一度深呼吸して、考えてみてもいいかもしれません。

人の本質は、決して金で測れません。




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