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大学時代所属していたアウトドアサークルが廃部してしまった。

僕が大学時代に所属していたアウトドアサークルが、廃部したらしい。正確には吸収合併のようなものらしいが。

だが、吸収したサークルはアウトドアをやるサークルではないし雰囲気はかなり違う模様なので、これはもはや断絶であり、事実上の廃部だ。約35年の歴史にひっそりと幕を下ろした。

なんでこうなったのか、憶測ではあるが僕なりに考えてみた。しかし原因が事前にわかっていれば廃部を防ぐことができたのかというと、きっとそうではないのだろう。歴史を見ればあきらかだが、原因はいつも事前にはわからないし、わかっていたとしても既に止められるものではない。もっと大きな流れが存在するのものだ…。

まずそのサークルを仮にSと呼ぶ。僕が15年ほど前に所属していた当時のSはアウトドアサークルであり、自転車旅、登山、カヌーの川下りの三つを軸として活動していた。自転車では日本一周、登山では二週間の長期縦走、カヌーは長良川や天竜川などの激流下りなど、結構ハードなことをやっていた。

今振り返って分析すると、Sの強みは色々なアウトドア活動がかなりのレベルで出来ること、そして初心者が多いこと、活動日が不定期で各々の自主性を尊重して自由に参加できることなどがあった。そのため、日本一周などのハードなことをやりたいガッツのある人が集まっていたが、活動が自由なため他のサークルを兼部する人も多く、バイタリティのある人が多かったように思う。それは特に僕より少し上の世代に顕著だった。今思えばその辺がSの全盛期だったのかもしれない。

僕らの世代の前後から、ハードなアウトドアから少し軟化傾向が始まった。今でこそ登山やアウトドアは人気だが、汚くてキツいイメージが強かった。日本一周やガッツリアウトドアをやりたいというバイタリティ溢れる人材よりも、浅く広く人を集め出していた。はっきり言って、女子ウケを狙っていた。アウトドア人材なんてどうでもいいから女子を入れたかったのだ。なんてバカなんだろう。

Sの当時の特徴として、飲み会があった。先輩たちの飲み会の武勇伝は枚挙に暇が無いほどで、我々もそのように育ってきたところがある。事あるごとに飲んでいた。今思うと何故あんなに飲んでいたのかよくわからないほど飲んでいた。飲み代を有意義に使っていればよかったのに、なんてバカなんだろう。

新歓で浅く広く人材を集めだしても、飲みだけは相変わらずだった。はっきり言って「飲みサー」である。コールはないというウリはあったが、乾杯をしたら即空けることを求められるのだからコールよりきつい。当然キツい飲みについていけない人は去って行った。

僕はこれらの流れがSを廃部に行き着かせたように思う。

Sはアウトドアから少しオールラウンドチックにイメチェンすることで、アウトドア人材を逃した。本格的にアウトドアをやりたい者は他の山岳サークルやサイクリングサークル、ワンダーフォーゲル部などに行ってしまうのは仕方ないとして、他のことにも全力で取り組みたいが、学生ならではのちょっとハードなアウトドア旅をしてみたいという人も取りこぼしていってしまった。「他のこともやりたい、でも日本一周もしてみたい」そんな野心あふれる学生が来なくなってしまった。こうなるとアウトドア人材が入ってこないスパイラルに陥ってしまう。

しかし飲みだけの伝統は続く。だが時代が進むに連れて無闇やたらに飲むサークルは学生たちからの人気は低くなったことは想像に難くない。未成年飲酒やイッキの強制など色々なことが社会問題化し、「最近の若者は酒を飲まない、飲み会が嫌い」と言われて久しくなった昨今、果たして飲みサーが生き残れるだろうか(反語)

令和を生きる若者が飲み会が全て嫌いなのかというとそうではないと思う。強制する文化が嫌いだったり、無意味に飲むのが嫌いなのだと思う。お金の無駄だし生産性が無いことだからだ。コスパもタイパも悪い。これは僕も少しは共感できる。

じゃあ自分たちのころ、Sで僕はどういう飲み会が好きだったのか振り返ってみると、圧倒的に打ち上げの飲み会だった。つまり企画、登山や自転車やカヌーで1日ないし数日、数週間かけて仲間と何かを成し遂げた後の酒である。その時間はまさに何物にも変え難い喜びであったと思う。飲み過ぎて覚えていないのだが、楽しかったことだけは覚えている。

僕が思うに、酒を楽しく飲むには「仲間との体験の共有」が不可欠だったように思う。少なくとも僕の上の代の先輩たちはそうしているように見えた。月例会や飲み会にしか来ない奴と飲む楽しさは、企画の打ち上げの飲み会に比べればカスみたいなものだった。

「体験を共有してるから酒がうまい、楽しい」というのが僕の持論だ。漫画ワンピースでも戦いの後は盛大な「宴」が必ず開かれる。今の若者もああいう飲み会ならいいのだ。会社の飲み会が嫌なのは会社の上司をともに戦ってきた仲間とみなしてないからなのだ。

Sの話に戻すと、Sはアウトドア人材をどんどん失っていった。コロナ前のOB会に行ってもアウトドアはやるが、自分がやりたい!という熱い情熱のあるヤツは少なくなり、ツアーの客のような部員ばかり増えていたように見えた。兼部が出来るところや、活動に縛りがないというところだけ残り、そのせいで余計Sの活動に本腰を入れる部員は少なくなったのだろう。その流れは僕の代の後から少しずつだがずっと続き、それでもやっとなんとかやっていたが、2020年にコロナ禍が起きて完全崩壊へと進んだ。

ちょうど2023年に後継者不足、実際は2022年か?でSは事実上の廃部となった。20年21年に思うように人が入らなければ、確かにこれくらいで人はいなくなるだろう。

この十数年の非アウトドア志向によるアウトドア的魅力の低下、社会が学生の飲酒に厳しくなり飲酒を好む学生が減ったこと、アウトドア体験が欠如した飲み会に価値を見出せないこと、そしてコロナ禍により飲み会が無くなったことで極端に部員が減ったことは当然の成り行きのように思う。

このような状況に追い込まれた直接の要因はコロナ禍であるが、究極の要因は自分たちの強み、Sの強みを理解してなかったからであろう。なぜ他のアウトドアサークルや体育会の部活、旅サークルと差別化できていたのか、それをちゃんと分析できてなかった。でもこれは仕方ない。学生じゃそこまで考えない。

要因は他にもある。学生を尊重し形式をあまり重視しないあまり、伝統を継承する場をつくるのを怠ったことだ。企業と違い、大学のサークルは4年で終わる。なんなら3年で引退するので現役期間はもっと短い。そこでサークルの強みを知り、愛着を持つということを自分たちだけで行うのは至難の業だ。ここで登場するのがOBであり、伝統があることをやんわりとでも伝えていく仕組みがあり、OBが現役を支援する仕組みがあれば、現役もサークルの存続意識を持つというものだろう。

Sはよく言えば自主と自律を尊重し、豪快で単純であった。現役をがんじがらめにするOBやそのような仕組みはなく、「楽しいからやる」それだけを貫いてきたし、それを現役にも見せて、自然にそれを真似るようになって、物事は継承されてきた。それらは飲み会でのみ語られるのであって、飲み会が無くなったり、嫌いな人が多くなればすぐ瓦解してしまう脆弱な事業承継システムであった。

廃部の直接の要因はコロナ禍であったとしても、それに耐えられない組織体制を作り出したのは紛れもなく我々OBなのである。いつかこうなるという危惧を持つ頃にはすでに僕はいわゆる老害OBとなっており、介入の余地はなかった。もちろん強制介入という選択もあったかもしれないが、そこまで現役に嫌われてまで行動するという判断は到底できなかった。

歴史はいつも結果だけが残る。我々は残った結果からあーでもない、こーでもないと原因を探して論じるだけである。今水面下で起きている様々な問題も、多くの場合は未来に結果が起きてから水面下に問題が存在していたことに気付く。Sの廃部は防げたのか、必然だったのか、それはわからない。だが、このような思いは今後なるべくしたくないとは思う。

※20230518 サークルの名称をNからSに変更しました

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