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『にっぽんラーメン物語』(小菅桂子 著)文庫版の信憑性に疑問

 『にっぽんラーメン物語』(小菅桂子)は、ラーメンの歴史を調べるものならば必読といっていい本です。

 私も『お好み焼きの戦前史』において、『にっぽんラーメン物語』から浅草来々軒三代目店主尾崎一郎の証言や、札幌の竹家食堂創業者の息子大久のぼるの証言を引用しています。

 ところが、これらの証言の信憑性に疑問が生じています。



 きっかけは、twitterにおいて、『お好み焼きの戦前史』に引用されている『にっぽんラーメン物語』ハードカバー版(1987年 駸々堂出版)の尾崎一郎の証言と、文庫版(1998年 講談社)の証言が異なるという指摘があったことです。

 ハードカバー版『にっぽんラーメン物語』において尾崎一郎が証言する、来々軒の製麺方法は以下のようなものです。

 ”これをまず手でまとめていく、ある程度全体がまとまったところで青竹を使って伸ばすシナのやり方で仕上げていく。昭和五、六年あたりまでこのシナの手打ちでしたが、だんだんにそれだけでは間に合わなくなって半手打ちになり、本当に全部が機械打ちになったのは、昭和十年頃じゃあなかったかと思いますよ。”(『にっぽんラーメン物語』 小菅桂子 駸々堂出版 P168-169)

ハードカバー版P168

ハードカバー版P169

 この”青竹を使って伸ばすシナのやり方”とは、当時広東地方で行われていた竹昇麺という麺の打ち方です。来々軒は広東料理を出す店なので、この麺打ち方法を採用していたのです。


 ところが、文庫版『にっぽんラーメン物語』においては証言の内容が変わっているのです(P61-62)。

 ”昭和五、六年あたりまで中国の手延べでしたが、だんだんとそれでは間にあわなくなって半手打ちになり、本当に全部が機械打ちになったのは、昭和十年頃じゃなかったかと思いますよ。”

にっぽんラーメン物語文庫版P61

 ハードカバー版の

 ”ある程度全体がまとまったところで青竹を使って伸ばすシナのやり方で仕上げていく”

 が削除され、

 ”シナの手打ち”が”中国の手延べ”に改変されています。

 さらに文庫版P107においては

 ”来々軒は昭和五年あたりまで手延べ拉麺にこだわってきた”

 というふうに、来々軒創業時の製麺法は竹昇麺ではなく拉麺(両手で生地を繰り返し引っ張る製麺方法)であるという文章が加えられています。

にっぽんラーメン物語文庫版P107

 この拉麺という麺打ち方法は、広東地方ではなく、山東地方などの中国北方で行われている方法です。広東料理屋の来々軒が採用するというのは不自然なのです。



 文庫版『にっぽんラーメン物語』は、ハードカバー版と異なり、ラーメンの語源は「山東省人が日本に持ち込んだ拉麺」という主張を前面に押し出しています(P122- ちなみにハードカバー版でも語源は拉麺であると言う仮説は提唱していた)。

にっぽんラーメン物語文庫版P122

 つまり、主張の変更に合わせる形で、尾崎一郎の証言が広東地方の竹昇麺から山東地方の拉麺に改変されているのです。自分の主張の変更に沿った形で証言を改竄したと疑わざるをえません。

 さらに、札幌の竹家食堂創業者の息子大久のぼるの証言も削除変更されているのです。

 ハードカバー版の『にっぽんラーメン物語』において大久のぼるは、札幌ラーメンの元祖は山東省のコック(王文彩)と横浜から来た広東料理のコックの合作と証言していました(P183)。

ハードカバー版P183

 ところが文庫版では、山東省出身の李宏業と李絵堂が現在のラーメンを開発したと、札幌ラーメンのルーツが改変されています(P78-86)。

にっぽんラーメン物語文庫版P86


 もっともこの改変は「改竄」とは異なるかもしれません。札幌ラーメンの元祖、竹家食堂に関しては、関係者の証言自体に問題があるのです。この点については別途言及します。

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