近代食文化研究会

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近代の食文化史を研究しています https://amzn.to/2YvXK9s 『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』『お好み焼きの戦前史』『牛丼の戦前史』『焼鳥の戦前史』等出版中です。twitter https://twitter.com/ksk18681912

最近の記事

関西風薄味おでんは、実は東京生まれだった?!(東洋経済オンライン記事)

先頭の写真は、「銀座お多幸」の真っ黒なおでん鍋。これが本来の関西風おでん(かんとだき)だというのだからおどろきです。 新記事公開しました。 稲田俊輔『異国の味』に「東京エスニック」代表として出てくる銀座お多幸なんですが、おでん研究家の新井由己『日本全国おでん物語』によると、アレが伝統的な関西風おでん=関東煮なんだそうです。 稲田さんはダシに昆布の味を感じたそうで、さすが味覚が鋭い。 私は昆布の味、わかりませんでした。 新井氏によると「お多幸」の醤油も、濃口ではなく薄口

    • 麦飯にはなぜとろろをかけるのか?(東洋経済オンライン記事補足)

      一ヶ月前に公開した東洋経済オンライン記事、補足するのを忘れていました。 19世紀の三都(京、大坂、江戸)では、麦飯にとろろやだし汁をかけて食べていました。しかも農村では質素な食事であった麦飯が、三都では贅沢品だったのです。 なぜ三都では、とろろやだし汁をかけた麦飯を贅沢品として食べていたのか、その理由について書いた記事です。 その背景には、三都の人々は貧しい人も富める人も「白飯」を常食としていた、という事情があります。 それでは三都では「いつ」「なぜ」白飯が標準食と

      • なぜ戦後外食店としてのすき焼き店が衰退し、その一方で焼肉店や焼鳥店が増えたのか

        東洋経済オンライン記事、公開しました。 以前、焼肉店の「ロース」とは何かについて、その歴史的経緯を記事にまとめたことがあります。 すき焼き店の鍋焼肉(ヘット焼等)でロースを焼いていた日本人客が、戦後すき焼き店の衰退とともに朝鮮半島式焼肉店に移動した結果、焼肉店もロースを提供するようになったのでは、という内容の記事です。 このロース記事の納品の際に担当編集の方から、「なぜ戦後すき焼き店が衰退して焼肉店が増えたのですか?」という質問を受けました。その答えが今回の記事になった

        • 亡くなった動物を食べまくった、動物園の名物園長による食味ランキング

          東洋経済オンライン記事、公開しました。 大正の終わりから昭和のはじめにかけて、亡くなった動物を「味見」していた天王寺動物園。 名物園長による食味ランキング最下位はアオウミガメ、さて一位は?

        関西風薄味おでんは、実は東京生まれだった?!(東洋経済オンライン記事)

          朝鮮半島式焼肉の「日本化」について(東洋経済オンライン記事補足)

          東洋経済オンライン記事、公開しました。 大阪の猪飼野に朝鮮式焼肉(カルビチプ)が持ち込まれた昭和初期に、大阪のすき焼き店(当時は「牛肉店」といった)では鍋を使った焼肉(ヘット焼、オイル焼、バター焼)が行われていました。 「ロース」という朝鮮半島にはない曖昧な定義の肉と、客が自分で肉を焼く習慣は、このすき焼き店の鍋焼肉から朝鮮焼肉店に持ち込まれたのではないか、というのが記事の趣旨です。 記事にも引用している佐々木道雄『焼肉の誕生』では、客が自分で肉を焼くという朝鮮半島には

          朝鮮半島式焼肉の「日本化」について(東洋経済オンライン記事補足)

          ラーメンの語源と起源について(東洋経済オンライン記事補足)

          東洋経済オンライン記事、公開しました。 詳しい説明については『お好み焼きの戦前史』にて 該当箇所の先頭部分をnoteで無料公開しています ちなみに文中に出てくる小菅桂子さん(『にっぽんラーメン物語』著者)ですが、ラーメン=拉麺説という間違った説をゴリ押しするために、証言の改竄、捏造にまで手を染めています。 マンダリンと広東語とで発音が違うことさえ知っていれば、正解にたどり着けたのに……

          ラーメンの語源と起源について(東洋経済オンライン記事補足)

          一膳飯の「異なる3つの意味」 東洋経済オンライン記事補足

          東洋経済オンライン記事、公開しました。 記事中で重要な位置づけにある「一膳飯」という言葉ですが、「一膳飯」には3つの異なる意味があり、混乱を招く原因となっています。 現在ネットで検索すると、3つの意味のうち「2.枕飯としての一膳飯」が主にヒットしますが、記事中の一膳飯はこれとは異なる「1.デタチの膳としての一膳飯」ですので、注意が必要です。 1.デタチの膳としての一膳飯 葬式の際に、参加している近親者(生者)が死者とのお別れの際に食べる一膳の飯のことをいいます。死者に

          一膳飯の「異なる3つの意味」 東洋経済オンライン記事補足

          新刊『ソース焼きそばの謎 』(ハヤカワ新書)を推薦します!

          ハヤカワ新書より、塩崎省吾『ソース焼きそばの謎』が刊行されました。 近代食文化研究会の著書および当noteの記事に関心を寄せる方には、無条件におすすめできる名著です。 冒頭部分の試し読みについては↑のリンク先のハヤカワ公式noteを、また新刊に関する著者インタビューはこちらを御覧ください。 塩崎氏は電子図書『焼きそばの歴史《上》: ソース焼きそば編』を2019年に出版しており、今回の『ソース焼きそばの謎 』はその改訂版、発展版といえます。両書には重複する部分も多いので、

          新刊『ソース焼きそばの謎 』(ハヤカワ新書)を推薦します!

          ハンバーグの歴史番外編(後編) なぜアメリカのかつての国民食ハンバーグ・ステーキは、本国で衰退したのか

          かつてアメリカの国民食であったハンバーグ・ステーキとホットドッグ。しかしながら現在では、その地位をハンバーガーとピザにゆずってしまいました。 ハンバーグ・ステーキからハンバーガーへ、ホットドッグからピザへの主役交代は、1980年代以降に起こった現象と思われます。 1968年から77年にかけて、アメリカの食生活と健康問題を検討する上院特別委員会United States Senate Select Committee on Nutrition and Human Needs

          ハンバーグの歴史番外編(後編) なぜアメリカのかつての国民食ハンバーグ・ステーキは、本国で衰退したのか

          ハンバーグの歴史番外編(前編) なぜアメリカのかつての国民食ハンバーグ・ステーキは、本国で衰退したのか

          東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。 日本の国民的洋食ハンバーグは、アメリカにその起源があります。アメリカにおいてもかつては、国民食といえるほどにハンバーグ・ステーキが愛されていたのです。 カメラマンの名取洋之助は、1936年にフォーチュン誌の企画でアメリカ横断撮影旅行に挑みます。その道中の食事は“普段はだいたいハンバーグ・ステーキかホットドッグ”というものでした(『アサヒカメラ』1950年9月号所収「アメリカ撮影旅行の思い出」名

          ハンバーグの歴史番外編(前編) なぜアメリカのかつての国民食ハンバーグ・ステーキは、本国で衰退したのか

          ハンバーグの歴史その10 団塊の世代の成長を支えたハンバーグ(後編)(東洋経済オンライン記事補足)

          東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。 例によって字数の関係で情報量を圧縮した記事となっているので、説明が足りない部分をnoteで補足していきます。 ハンバーグが現在のような国民的洋食になったのは1960年代初頭です。洋食店においてハンバーグが人気上位を占め、看板商品となったのです。そして1962年にはマルシンハンバーグが発売されました。 アメリカ料理ハンバーグ・ステーキは本来、牛肉のみを使います。ところが1950年代の日本の料理

          ハンバーグの歴史その10 団塊の世代の成長を支えたハンバーグ(後編)(東洋経済オンライン記事補足)

          ハンバーグの歴史その9 団塊の世代の成長を支えたハンバーグ(前編)(東洋経済オンライン記事補足)

          東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。 例によって字数の関係で情報量を圧縮した記事となっているので、説明が足りない部分をnoteで補足していきます。 ハンバーグが現在のような国民的洋食になったのは1960年代初頭です。洋食店においてハンバーグが人気上位を占め、看板商品となったのです。そして1962年にはマルシンハンバーグが発売されました。 アメリカ料理ハンバーグ・ステーキは本来、牛肉のみを使います。日本の戦前の料理書においても、牛

          ハンバーグの歴史その9 団塊の世代の成長を支えたハンバーグ(前編)(東洋経済オンライン記事補足)

          ハンバーグの歴史その8 団塊の世代の誕生と食生活改善運動(東洋経済オンライン記事補足)

          東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。 例によって字数の関係で情報量を圧縮した記事となっているので、説明が足りない部分をnoteで補足していきます。 ハンバーグが現在のような国民的洋食になったのは1960年代初頭です。洋食店においてハンバーグが人気上位を占め、看板商品となったのです。 そして1962年にはマルシンハンバーグが発売されました。 アメリカ料理ハンバーグ・ステーキが人気となった理由の一つは、戦後の占領下でアメリカ文化の

          ハンバーグの歴史その8 団塊の世代の誕生と食生活改善運動(東洋経済オンライン記事補足)

          ハンバーグの歴史その7 1962年に国民的洋食となったハンバーグ・ステーキ(東洋経済オンライン記事補足)

          東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。 例によって字数の関係で情報量を圧縮した記事となっているので、説明が足りない部分をnoteで補足していきます。 アメリカ料理ハンバーグ・ステーキは、1950年代にメンチボール(イギリス由来)にとってかわり、日本の洋食における挽肉料理の代表になります。 1918(大正7)年生まれの紙芝居作家/風俗研究家・加太こうじの証言です。加太によると、進駐軍のアメリカ兵がハンバーグ・ステーキを好んだため、日

          ハンバーグの歴史その7 1962年に国民的洋食となったハンバーグ・ステーキ(東洋経済オンライン記事補足)

          ハンバーグの歴史その6 戦前の日本の料理書におけるハンバーグ・ステーキレシピ分析(東洋経済オンライン記事補足)

          東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。 例によって字数の関係で情報量を圧縮した記事となっているので、説明が足りない部分をnoteで補足していきます。 「ハンバーグの歴史その4~5」では、戦前のアメリカの料理書におけるハンバーグ・ステーキレシピの特徴を抽出しました。 今回は戦前の日本の料理書におけるハンバーグ・ステーキレシピと、アメリカのそれとを比較してみます。 戦前の日本の料理書におけるハンバーグ・ステーキレシピを30ほどスプレ

          ハンバーグの歴史その6 戦前の日本の料理書におけるハンバーグ・ステーキレシピ分析(東洋経済オンライン記事補足)

          ハンバーグの歴史その5 戦前のアメリカにおけるハンバーグ・ステーキの特徴(後編)(東洋経済オンライン記事補足)

          前編の続きです 特徴5.手作りソースではなく、卓上のケチャップや(ウスター)ソースで味付けスプレッドシート「戦前のアメリカハンバーグレシピ集」の「調味料/ソース」列にある通り、アメリカのハンバーグ・ステーキは塩胡椒・バターのみというシンプルな味付けが中心でした。フランス料理のように手作りソースを作ってかける、ということはしなかったようです。 例外が1904年の海軍レシピ『General Mess Manual and Cookbook for Use on Board V

          ハンバーグの歴史その5 戦前のアメリカにおけるハンバーグ・ステーキの特徴(後編)(東洋経済オンライン記事補足)