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コミュニケーション力 is 何

今日はコミュニケーション力(コミュりょく)の話をしてみようかと。

2019年に社内で新規のお仕事を立ち上げて、社員は自分で獲得してこいと言われましてね。わたくしここ数年は常時キャリア採用をしているような状態です。並行して新卒面接も引き受けることがあるので、これまで百回は優に超える面談・面接をさせていただいたでしょうか。
(余談ですがコロナ禍以降、弊社の面接は全てオンラインです)

面接の過程では実に多種多様な自己PR・ガクチカを聞かせていただきます。皆さんステキな経歴をお持ちだなあと感心しつつ、少し慎重に確認を重ねるべきと感じることもあります。それがまさに「コミュ力」にまつわる話。何らかの資格や実績があれば証明できる能力と違って非常に定性的なものですからね。
また個人的には、「私はコミュニケーション力が高いです」とおっしゃられたときに、その最たる発露の機会であろう面談・面接をどう攻略されるのかワクワクしちゃう側面も少しあります。


さて皆さんはコミュ力が高い・低いということをどのように判断されているでしょうか。陽キャ的な外交性でしょうか。それとも立板に水のトークスキルでしょうか?

ちなみにcommunicationという単語はラテン語のcommunis(共通の・共に・分かち合う)から派生した言葉のようです。接頭辞co-/con-/com-の単語は同じニュアンスのものが多いですね。
つまりコミュニケーションは相手と"共に"形作るものなんです。決して自分自身のみで発揮できるものではないのですね。

ではどうやって形作るのか。
ここで重要なプロセスは思考過程の共有だと考えます。

私個人としては、「何を考えるのか」よりも「なぜそう考えるのか」の方に人の本質が出るように思います。本来、何をどう思おうと自由なんです、思想・良心の自由ってやつがありますから。
だからこそ背景・文脈に切り込む。意見のすれ違いの根本に到達し、共に矛盾の解消に取り組む。その過程で胸襟を開いて仲間になる。
contextをcommonにしてconflictを解消できたらcolleagueとcompanyになれる。なれなくてもなんとかcompromiseする。
それがcommunicationである、と。

特にグローバルビジネスだとお互いの常識がかなり異なりますから、数式レベル・グラフ理論に近いところまでシンプルにしていくとよいです。
「まあ言うても1+1=2やん?」みたいなところまで戻るのが有効なときもあります。

例えば、よくある管理部門と現場の諍いなんかもそうですよね。
「締切守ってくださいよ」「無理だよこっちは忙しいんだよ」と。ここで止まって言い合うのはあまりにももったいない。

管理部門はなぜ締め切りを守ってほしいのか。何件くらいまとめる必要があるから。さらに上位部門に提出するための加工が必要だから。頼りのAさんがお休み中でどうしても作業日数を多めに取りたいから。B部長がとても締め切りにうるさいから・・・
現場はなぜ締め切りを守れないのか。別に緊急の仕事が2つも3つもあるから。他の管理部門にも似たようなこと言われててワケわからんと思っているから。担当のCさんが出張中でどうしても詳細がわからないから。D部長が管理部門のこと嫌いなもんで後回しに・・・
ここで「そもそも締切って何のためにあるんだ?」となればまさにアウフヘーベンですね。


ということでまとめますと、コミュ力が高いということは思考過程の共有が上手であるということ。
話す方ならそこまでの文脈の共有を。
聞く方なら「なるほどなるほどそれはなぜ?」と話し手を促せると素敵。

私はよく「コミュニケーションしにくい人ともコミュニケーションできることがコミュ力が高いということ」と冗談で言っています。ちょっと定義ループしてますけどね。
おあとがよろしいようで。

p.s.
弊社、社名の由来が"Do Communications Over the Mobile Network" であることご存知でしょうか 笑

ということでコミュニケーションを大事にするドコモで働いてみたい人はこちらにぜひ!


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