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長女との時間

昨日は仕事終わってからそのまま、20歳になった長女の住む横浜へ。
GW中ということもあり、東名高速道路は混んでいて、ノロノロと進む状況。
途中、とても眠くなってしまったため、SAで30分間だけ仮眠をとってからまた横浜へ。いつもは1時間半で到着するのに、混雑もあり、仮眠時間も追加して4時間かかった。

到着しても長女はバイトからまだ帰ってなかったため、先に寝支度をして眠りについた。

今日は長女の引っ越しの手伝いだったため、ニトリやイケアで買い出し。
以前は家具付きのロフトへ1年半住んでいたが、部屋が狭いという理由で
同じ最寄りの駅の近くに単身用のマンションの1kのお部屋を借りていたのだ。

洗濯機やベット、机と椅子など、とりあえず必要最小限の買い出しをした。
大学生ではあるが勤労学生でバイトを2つ掛け持ちして、今はは自立して暮らしている。

私は長女の大学費用の支払いや次女の高校費用やこれからの大学に向けての貯蓄、2世帯の家のローンの支払いもあり、長女の一人暮らしの仕送りは困難な状況なのである。

思えば、長女は生まれて7ヶ月で保育園へ入り(次女も同じく)、私はずっとフルタイムで働いていたた。だから、ゆっくり長女と過ごす時間というのは、これまでの生活からも思い出せないくらいなくて、とても貴重な時間だなと買い物をしながら考えていた。

今までの自分は仕事も忙しく?なのかいつもイライラしていたと思う。
だから娘たちは、いつも気を遣っていたのではないかなと考えていた。
土日も仕事があり、家にほとんどいない母親だったから
いわゆる機能不全家族と思う。

夜勤は最小限にして、当直を月に2回行っていた。
一時的に、前夫と別居生活の時期は、3人でアパートで住んでいたこともあった。当直の日の私がいない夜は、低学年の小学生の二人で家にいた。隣のマンションに
私の弟が住んでいたため、何か困った時などは弟が駆けつけてくれるようにしてくれていた。両親も子どもの歩きで10分くらいのところに住んでいたため、学校から帰り夕飯は祖父母の家で食べてから、車で送ってもらい2人で過ごしていた時もあったのだ。

子どもたちは、物心ついた時から、お母さんはいつも仕事で家にいない、働くお母さんだったと思う。
仕事に行く時も、あまり泣かずに、グズリもなく、本当に物わかりよく育っていた。

寂しいとか、そういうことは一切口にしていなかった。
かなりの我慢をさせていたな・・・
振り返れば、もっと子どもたちとの時間も作って、色んなところへ行きたかったなと反省と後悔をしている。

そんな長女が、買い物を終わった後、
今日の買い物を終えて
「たくさん買い物をした後で、これからバイトがあるって安心するね」と言った。

仕事があるって幸せなことだねと。
早いうちから、半ば強制的に自立をしている長女。

買い物を終えて、バイト先の最寄りの駅に長女を下ろして、
駅に向かう長女の背中へ「色々とごめんね」と自立していることの感謝
と頑張っている娘の姿にエールを送った。


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