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おかねのはなし

大学の時分は、最低賃金スレスレの格好ばかりのバーのバイトバーテンダーだったわけで。どの年の私にも、たいした収入はなかった。

他にももう2店舗同じようなバーで掛け持ちバイトをしていたけれども『同業種で同じエリアだからねえ』と各店のオーナーに告げられ、結局最初の最低賃金バーだけで大学時代の私の生活は支えられていた。
繁忙期の年末。アルコールで喉がへしゃげるほど飲んで働いて、月に10万円くらいが限度だったと思う。奨学金があったからあの時はそれでOKだったけど、今になって痛い目を見ている。

それでもふと、アルバイトメンバーの顔ぶれを思い出すこともあるし、今になってもお酒でやらかしたバカな過ちを笑みを浮かべて悔いることもある。
そののち大学を中退し、飲食事業を立ち上げてからは限界だった月収の4、5倍ほどの額を手にできたのだけれど、限界バーテン大学生だったときの楽しさ幸福さを味わうには、またそこへ舞い戻るほか手立てはないのだった。

振り返ってみれば、手元に満足のいくお金がある時なんていっときもなかった。

各国の政府や企業だって毎日毎年、資金繰りとお金の出入のことをいつの時代も考え続けているんだから、いち個人の私にしたら全然たしいたことじゃないように思えないかなあ。ちと楽観的すぎか。

そんなこんなでフィリピンや東京で暮らしてきたけれど、いつになってもお金は貯まらなかった。
物欲がすごいのでもないし、何かのコレクターというわけでもない。浪費癖がないかと言えばうそになるけれど、それは使う量に緩急があるだけ。(払うべきものをいっつも遅れてまとめ払いしてるのもあるかも…)

そういうお金の感覚が、もう、一切合切になくなったのは明確なタイミングからだ。それは間違いなく「写真」が始まりだった。

撮るための機材がその殆どなんだけれど、カメラ自体やレンズだけでなく、最近になってフィルム、現像、そしてプリントまでもその範疇に当然の顔をして入り込み始めた。国内旅行の3,4万円なんかをしぶるのに、6万円のプリント代や40万円のカメラを買うのに躊躇がないのはどういうことか。ましてやそれをものの数ヶ月で不似合いと言い売り飛ばしてはまた20万円近くのカメラやレンズに手を出すのは、一体どうしたことか。

そのせいで、結婚とか老後に向けた将来の貯蓄だとか、留学や大学入学を新たに考えての貯金とか、そういうことができないししようとも思っていない。
いやしようとは思っている。実際に今月は実に8年ぶりくらいに普段使いとは違う口座にお金を入れ込んでみた。

預金をした月、給料日の1週間前になる。

すると、どうだろう。摩訶不思議なことが起きたのだ。
口座に残ったお金は、預金しなかった月とさして変わりがなかったのだ!

要は、「あればある分だけ使うし、ないならないで質素に暮らす」という家計のスタビライザーが財布をコントロールし、同時に其奴が、資金不足による精神ストレスや行動制約を軽減させているのだった。

もちろん決して負担がゼロというわけではない。
『〇〇県まで2,3日撮影に出かけたかったのになぁ』とか『いつも使うあのフィルム、買い溜めできないなぁ』とか、多少の制約は避けられない。ただその分、家での写真作品の制作やマガジンへの写真のサブミッションなど、手持ちのもので完了できる行動に自然と身が移るのだ。
恐るべきかな我が家計スタビライザー、そうも狡猾に私を誘導させていたとは…!

実は今、密かに国外脱出を企てている。
「何も考えてない」みたいなフリがあったけど、本当に自分にだって長期スパンで思案していることだってあるのだ。そして、それに差し当たってはビザやら語学学校やら、結構ガチな額面が必要になってくる。

この家計スタビライザーがどうにかならないうちに、きっかし目標額を貯めなくてはな〜。

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