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コーヒーと熱気と写真

東京レインボープライド2022。
幸運なことに開期最終日に予定のめどが付き、なんとか参加することができた。

余裕を持って日程を調整しておけばパレード参加者やプレス記者としてもっと深くイベントに入れ込めたかも知れなかったが、気ままな当日参加者としてでもきっと楽しむことができるだろう、という予感はしていた。

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最終日にだけは必ず参加したいと思っていたのは、東京レインボープライド2022の事前申し込み者によるパレードを見てみたかったからに他ならない。

レインボープライドの会場の様子

残念ながら確実に参加できる保証がなかったため、パレード参加の申し込みは控えていた。でもこうして来場できたため、この日は報道記者さながらに、走って走って走りまくってパレードを追いかけては写真を撮り続けた。
写真好きな友人と2人で撮りに行ったけれども、2人とも走り過ぎて、しばらくするとお互いどこにいるんだか分からず、でもそんなことよりも良い写真を撮りたい気持ちが脳内を占め切っていて、我に返り再会するまでしばらくの時間を要したほどだった。

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友人と再会した後、熱が冷めないうちにと思い、雨宿りも兼ねてカフェに向かった。

カフェにて

彼はMacを、私は現像した写真をカバンから取り出し、2人して各々の写真を見せ合った。
日頃巨大なスタジオでモデルや商品の撮影をサポートする仕事をしている2人は、こうして自分たちの足を使って汗と雨水に濡れながら、シャッタースピードや絞りを気にすることなくとにかくこの瞬間を切り取ろうとする体験は、毎日の撮影行為とは180°違い、新鮮そのものだった。

レインボープライド参加者によるパレード

一緒に写真を見ていく度に手が止まり、話が膨らむ。私のコーヒーと彼のチャイラテは冷めていくばかりだった。

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面白いことに、彼の撮る写真は人物が、私のものは全景を映し出したものが主だった。確かに、パレードの行進中、ハイハイみんなこっち見て!と参加者に向かって大声を張り上げていた彼と違い、私はと言えば淡々と脚を走らせシャッターを切りまくっていた。自分の写真を見た彼はピンボケや露出オーバーが多いと残念そうにぼやいていたけれど、撮っている姿はあの会場にいた誰よりも楽しそうで活き活きしていたと思う。
私の写真にももちろん、無茶苦茶なシャッタースピードで撮っていたものやピントが大外れしたものが数多くあったし、知らない間にシャッターを押していて、なんでここを撮ったんだろうと2人して首を傾げるものも見つけられた。

パレードを離れる人々

もとより人物を好んで撮りはしないけれど、こうしたイベントごととなれば否が応でも人物が画角内に入り込むことになるだろう。それにも関わらず、私の写真には人物の表情がハッキリと映ったものはごくわずかしかなかった。
ポートレートでもなければランドスケープでもない、強いていうならば、偶然そこに居合わせていたからシャッターを切ったような心地で、これに近い感触といえば、日頃のストリートスナップで感じるものに他ならなかった。

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彼のように人物を中心とした写真になるのはイベント撮影が故に避けられないことだと思うし、それ以前にイベントを構成する主要素である人物は撮らざるを得ないとさえ言える。そんな中でさえも撮る対象が "人 / 物" でない自分の写真は、まるで "現象" を切り取っているようだと感じた。

現象というといささかオーバーな気もするし、現象というほど壮大な写真を撮っているとは到底思えない。が、人物でもなく風景でもない景色を切り取っているところから、その形容が正しいようにも思える。
彼にはまだこの話はしていないが、次もまた熱気盛んな風景を、汗を拭いつつ撮ることになるだろうから、その熱が冷めないうちに、今度はその話をしてみようと密かに考えている。



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