見出し画像

ぬるっと現れる恐怖心

目的地の設定は完了した。
すっきりした気持ちの裏側にある、かたいしこりが何故か剥がれない。

Googleマップで目的地を設定すると、いつものガイド音声が流れる。
進行方向、右。到着地まで15分です」みたいな。

いま私がぶち当たっている問題は、そこからどういうルートを選び取るか。
下道で行くゆったりコース?高速を使ってすいすい進む?行き当たりばったりにあっちこっちに寄り道するのもいい。Googleマップはその時その時で最適なコースを提案してくれるから、行き当たりばったりでも安心して進めるかも。

「何もしなくたって目的地まで送り届けてくるバス」

ただ、「どう生きるか」に迷った時、残念ながらそんな便利なナビは存在しない。
転職サイトやカウンセリングサービス、自己分析なんかの方法はあっても、それは一瞬で目的地にまで連れて行ってくれるテレポーテーションのようなもの。目的地点と実際の到着地点には絶対に誤差が生まれる。そういうわけで、明確な道筋がつくれない以上、目的地までは点を地道に繋げていくことの他に手はない。

今のところ、そのプロットすべき点も少しずつ分かってきた。

お金とか、コミュニティ、仕事、理念、そして、次の点へどうジャンプするか…
そういう現実的な問題が、頭の中でとぐろを巻いててずーっと居座ってるけど。そこは、ちゃんとアクションを取ることで解決できるはずなんだけど、
そうなんだけれど、気が付いた。何か動けない。たぶん、そういう問題1つ1つに影のように隠れてる感情、つまりは恐怖心と戦えてないのかも、とふと思った。

「ぬるっと現れる恐怖心」

無感情になれば、その恐怖心を無視できるのかもしれない。

でも、それだとちゃんと恐怖心と向き合っていない。向き合わず無視するだけだと、絶対にまた後でぬるっと現れてくる。そしてまた、無視する、現れる、無視する…。小さい頃からキライな食べ物を箸で避け続けてきたら、大人になってもそうし続けないといけないように。
私なら、そんなふうに攻防戦を続けるくらいならハナっから打破しておきたい。

何でなのか分からないけれど、そう思う反面、「その攻防戦も楽しいものなんじゃない」とか超絶楽観主義な気持ちも共存させてる。この場合だと、もうそもそも考え方が恐怖心と戦うとかでさえなくって、トムとジェリーみたいに茶番のようにやり合う関係性になってる。うざったいと思いながらも、居なくなったら寂しいな、みたいな。

「トムとジェリーのようなやつら」

結局そんなふうに考えあぐねていると、恐怖心をどうこうすることよりもさっさと動いた方が早いんじゃないか、と結論に至る。あれ、でもそもそもの動けない理由が恐怖心だったんじゃないっけか?これはつまり…

恐怖心によって動けないけど、それを打開する方法は動くこと

感情と行動が「トムとジェリー状態」になってる。片方が足を踏み留まらせて、もう一方が無理くり進ませる、みたいな。もうこうなってくると、ナビや方法論なんて頼らず、丈夫な20代の足があるんだから、あとは好きに使って動かせば良いってことなのかもね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?