帰り道

20年間慣れ親しんでいる、駅から徒歩10分の帰り道。

たった数百メートルの、高低差もなく、ほぼ直線の道に、ドラマがいっぱい詰まっていた。建て直される家、毎日お客さんが途絶えない繁盛店、なかなか開かない踏切、小さくてたくましいアリの行列、春を祝う満開の桜、太陽に恋してピンと背を伸ばすひまわり。

小さい頃、最寄駅の公衆電話で今から家に帰るよ、とお母さんに電話した。走って、疲れたらトボトボ歩いて、ひまわりの下に、たくさんのアリを見つけた。せっせと餌を運んで、列をなしていた。アリはどこにいくんだろう、と思って観察しているうちに、すぐそばにダンゴムシがいることに気づいた。チョンチョン、と触ってみると、コロンと丸まった。手のひらの上で転がして遊んで、解放してあげるとまたアリの行列を観察した。巣に戻るアリを観察していると、たくさんのアリは一体どこまでいくんだろうと気になって、出かけるアリを追いかけた。

教科書でいっぱいのランドセルも、重たく感じなかった。気づいたら日が傾いて、お母さんが作ってくれていたホットケーキはもうとっくに冷めていた。

毎日がドラマのようだった。同じ道の景色は日々移り変わっていて、私も大きくなって、ランドセルを背負わなくなった頃、もう虫が大嫌いになっていた。

帰り道にドラマなんて感じなくなって、暑いなぁ、家に着いたらアイスを食べよう。とか、はやく宿題終わらせなきゃ。とか。帰り道は、家に帰るだけの道になっていた。

気づいたら、知らない間にアリの行列を観察していた花壇はなくなっていて、レンガが積まれたオシャレな塀になっていた。誰が住んでるのかもわからない、ちょっと古びた家は取り壊されて、新しい建物が出来ようとしていた。小さなイルカの噴水は、ただのオブジェとなっていた。

新しい街に生まれ変わっていく、その刹那に私は生きているんだと思う。ドラマがいっぱいだった帰り道は、帰るだけの帰り道になってしまったけれど、たくさんの思い出たちはまだ宝石箱にしまってある。きっとこれからは優雅にカフェでカフェインレスのコーヒーを飲んだり、話題のケーキを食べたりして、また少し違うドラマを紡いでいくんだと思う。もちろんそれは悲しいことではなくて、寂しいけれど、きっと大人になった証だから。そのドラマもまた、愛しいものだと、そう抱えてまた、家に帰るんだと思う。


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