ゼロ・オペレーション 1

 午前3時。新宿。
 10年ほど前まで都心の歓楽街だったその街にかつての喧騒は無い。密集した高層ビルの面影だけを残し、荒れ果てた廃墟と化している。穴の開いた看板に生い茂った植物が絡み合い、夜風にそよぐ。そんな微かな音さえ聞き取れるほどの静寂。
 失われた首都、東京。
 そんな漆黒の闇に沈んだ街並みの中、一角だけが真昼のように煌々と明るく光を放っていた。3台の装甲車が一つの雑居ビルの前に並んでおり、設置された投光器がビルの一階に向けて光を投げかけている。
 特徴的なカラーリングの外観。ガラスドアから窺える内部には独特な構造のカウンターテーブル、直方体の紅しょうがの容器、壁に貼られた期間限定メニューの宣伝ポスター。日本人であれば誰もが知っている牛丼チェーン店だ。ただし、照明が灯り、店内放送さえ流れる清潔な店内は、廃墟と化した街の中ではかえって異質な存在であった。当然、店内は無人である。
 牛丼店と道路を挟んだ対岸。今はもう歩くものの居ない歩道を遮るようにテントが設営されており、20人ほどの自衛隊員たちが最終の作戦会議を行っていた。
「――作戦内容は以上だ。予定通り、作戦は0400より開始。敵装備および行動パターンの詳細はいまだに不明な点が多い。油断は禁物だ。首都奪還は君たちの手にかかっている!」
「はい!」
 指揮官の激励で作戦会議は終了し、特殊装備に身を包んだ屈強な隊員たちが敬礼で応える。
 午前3時30分。隊員たちは設営されたテントの中で装備の最終点検を行っていた。
「どうした中村、ニヤニヤして」
 肩を叩かれ、中村と呼ばれた眼鏡をかけた隊員は覗き込んでいた写真をベストの胸ポケットに仕舞いながら立ち上り、敬礼した。
「北郷陸曹長。お疲れ様であります」
 敬礼に応え、190 cmを超える巨躯の北郷は日に焼けた厳つい顔で不器用に微笑んだ。
「ん、何を隠したんだ?」
「実は――」
 中村は照れ臭そうに一度しまった写真を恥ずかしそうに差し出した。北郷はそれを受け取り、一瞬破顔したが、その顔はすぐに複雑な表情に変わった。
「カミさん、おめでたなのか――」
 写真には中村と並び、臨月に近いであろうお腹を通しげに抱える女の姿が写っていた。
「ええ、来月の予定です。まだどっちか聞いてないんですよ。自分は男の子だと思うのですが」
 北郷の動揺は伝わっていたはずだ。それでも中村は笑って答えた。
「それをお前、どうして――」
 写真を返しながら聞いた。本作戦の実行部隊は志願者のみで編成されている。北郷には彼の真意が分からなかった。
「自分が行かなくても他の誰かが代わりに行かなくちゃいけないですから。それに、自分は生まれも育ちも荒川の生まれなんです」
 荒川―― 今はもう地図に存在しないその地名に驚く。つまり、中村はあの『西日暮里の悲劇』の生き残りなのだ。彼の年齢であれば入隊は事件の後のはずだ。
「復讐か?」
「いいえ、違います。ただ、あいつと産まれてくる子供にいつか見せてやりたいんですよ。本物の日本の首都を。まあ、一班に配属になったのはちょっとついてなかったですけどね」
 そう言って写真に微笑みかける中村を見て、北郷は決意を新たにする。必ず、生きて帰らねばならない。
「なあに、俺たちの任務はあくまで陽動だ。牛丼をテイクアウトで買う。ちょっと受け取るのを忘れて店員さんに店外まで運んでもらう。ただそれだけさ」そう言って、細い肩をもう一度叩いた。「よし! 帰ったら一足早い出産祝いだ。首都奪還の前祝いも兼ねてな」
「はい! ぜひ宜しくお願いします」
 そう言って、二人は固く握手を交わした。


 北郷、中村、黒木の隊員からなる第一班は店の外壁に背中を付け、中の様子を伺っている。 最も入口に近い北郷は後続の二人を制止するように右手を宙に浮かせ、左手のミリタリーウォッチの秒針を凝視している。3、2、1、ゼロ。
「作戦開始だ」
 北郷が小さく号令をかけ、右手を振り下ろす。前に出た中村と黒木が二人で抱えた破城鎚をガラスドアに打ち付け、扉を粉砕する。入口は二重になっている。さらにもう一枚の扉も同様に打ち砕く。
 はじめに自動小銃を構えた北郷が店内に突入。続けて黒木、最後に中村がしんがりを務める。クリア。
 店内は一点を除いて、かつてどこにでもあった牛丼店そのままだ。マッサージチェアのような形状の充電用ターミナルに座った牛頭の鉄巨人を除いては――
 隊員たちの突入を感知し巨人が立ち上がった。データによればその身長は3メートル、巨漢の北郷が子供のように小さく見える。綿密なブリーフィングによってその姿は頭に叩き込まれていたはずなのに、そして10年ほど前までは街に溶け込んでいた姿のはずなのに、隊員たちはその異様に圧倒されてしまう。巨人はカウンター越しにこちらに近づいてくる。
 店舗のイメージカラーと同色のエプロンに覆われた胴体からは阿修羅像のように左右3対のマニピュレーターが突き出している。エプロンの下から突き出す脚はその巨躯を支えるのに相応しく、丸太のように太い。そして、頭部には冗談のようにデフォルメされたぬいぐるみのような質感の牛の頭が載っている。標準的な『クルー』だ。資料によれば正式には『汎用牛丼給仕機・クルー SKY-Ⅱ型』 比較的初期のモデルで機動性に欠けるが、その分装甲が厚い。分析の結果、陽動が主目的となる本作戦においてはこのタイプが最も成功率が高いと判断され、この新宿歌舞伎町店がターゲットとして選ばれたのだ。
「イラッシャイマセー コチラデ オ召シ上ガリデスカ?」
 『クルー』は巨体に不釣り合いな女の声を模した合成音声で北郷に話しかけてきた。こちらを認識すると同時に、お冷補充用マニピュレーターが稼働し、三つのプラスチック製のコップを取り出している。流れるような一切の無駄のない動きだ。
「テイクアウトで、牛丼並みを三つ。あと――」
 緊張で笑みが引きつるのを必死に隠しながら北郷は作戦通りに行動する。だが、彼の歴戦の勘が脳裏で警鐘を鳴らし続けている。かすかに軋むような音。視線を上げるとお冷補充用マニピュレーターが細かく震え、握られたコップには細かな亀裂が入り始めていた。
「状況Cだ! 各自散開!」
 いち早く異変を察知した北郷が叫びながら飛び退り、窓に向けて自動小銃を掃射する。ガラス窓が砕け散り、投光器の光を乱反射させる。同時に、『クルー』のマニピュレーターの中でコップが砕け散る。
「ゴチュウモ…… モ、モー……」
 合成音声は途中からレコードの針が飛んだように不自然に引っかかり、途切れた。
 最悪の事態だ。いくらなんでも『キャトルミューティレーション・モード』への移行が早すぎる。この10年でさらにAIの損傷が進行しているのか―― 北郷は歯噛みする。
 黒木が窓から飛び出し、北郷もそれに続こうとするが、背後から聞こえた悲鳴に振り返った。
「中村!」
 もっとも『クルー』に近い位置に立っていた中村が2本のメインアーム、接客および牛丼配膳用マニピュレーターに両肩を掴まれていた。彼の腕は力なく垂れ、肩の骨が砕けていることが分かる。北郷は反射的に小銃を構えるが、撃つことはできない。
 店内での『クルー』への攻撃だけは避けなければならない。それは本ミッションにおける至上命令だ。まず、『クルー』の対強盗用タングステン合金製の装甲を通常弾で貫くこと自体が困難だが、万が一それに成功したとしても、彼らの動力源である水素燃料電池の水素貯蔵合金に蓄積された70万立方メートルの水素に引火した場合、周囲50メートルを吹き飛ばすほどの大爆発が起きる。もし、爆発が店内地下にあるプルトニウム電池にまで及べば、『西日暮里の悲劇』を再来させてしまうことになる。今度こそ、東京は完全に人の住めない土地になってしまうだろう。
「ぐ……」
 機械に威嚇は通用しない。小銃を構え、対峙するこの時間がなんの意味も持たないことは分かっている。だが、彼には仲間を見捨てる決断ができずにいた。
「北郷さん! 自分のことは気にしないで! 逃げてください!」
 中村の絶叫が店内に響き渡る。
「対象ヲBos taurusト確認 『キャトルミューティレーション・モード』ヘ移行シマス」
 合成音声のアナウンスに続き、牛の目に仕込まれたLEDランプが赤く発光する。と左右各三本のマニピュレーターを保持する基部が稼働し、最も太い腕が前方へとせり出す。完全自立型牛丼店に求められるもっとも根源的な機能の一つ。つまり、牛(Bos taurus)を屠殺すること。そのための戦闘態勢が『キャトルミューティレーション・モード』だ。
 遊底をスライドさせるような音とともに、せり出したマニピュレーターの前腕部がスライドし、刃渡り1メートルほどの牛刀がせり出す。『クルー』はそれを無造作に振るい、中村の首を切断した。切断面から心臓の鼓動のリズムで血が噴き出す。
 北郷は絶叫し、破られたドアから外へと身を躍らせた。

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