ゼロ・オペレーション 2

 2014年。長引くデフレスパイラルの真っただ中、牛丼チェーン店は泥沼の価格競争を強いられていた。原料価格の高騰、安価な輸入食材の使用による健康被害。そんな逆風に逆らえず、多くの牛丼チェーン店が値上げという苦渋の選択による業績低下に悩む中、ある企業のみが独自の経営戦略によって低価格を維持し、業績を伸ばし続けていた。
 ワン・オペレーション。深夜手当によって人件費が上がり来客数も少ない深夜時間帯、アルバイト一人で接客、調理、清掃をこなすことで人件費を削減するという画期的な戦略。これにより、その牛丼チェーン店は売り上げトップの座を独走し、店舗数を拡大し続けていた。ワン・オペレーションには強盗などの犯罪被害の増加、労働者の負担の増大などの問題点もあったが、強盗被害は保険加入で解決できたし、アルバイトはいくらでも補充が効いたので辞めようが死のうが大した問題ではなかった。
 だがこの年、その栄華は潰えることになる。日に日に強まるブラック企業へのバッシングはその企業を見逃がさなかったのだ。ワイドショーではワン・オペレーションによる過酷な勤務状況の実態が連日報道され企業イメージは低下、株主からも抗議の声が上がり、ワン・オペレーションの中止を余儀なくされた。
 それからの零落は無残なものであった。人件費の増大に圧迫されて必然的に業績は悪化。牛丼の値上げ、回転率の低い店舗の深夜休業、様々な対策を講じたものの全ては他チェーン店の後手に回る形となり、深い谷間へと落ち込んでいった。
 そんな苦悩の中で生まれたのが『ゼロ・オペレーション』計画だった。それはマスコミに極限まで追い込まれた経営者の妄念が生んだ怪物だったといっても過言ではない。完全無人化された牛丼店という基本構想。当初はテイクアウト専用の牛丼自動販売機程度のものだったのだが、人件費の増加による外食産業全体の業績不振という時代背景を受けて計画は過激化し、最終的にはサイボーグ店員が全てのオペレーションを行う完全スタンドアロン牛丼店の開発計画となった。ブレインとして世界的なロボット工学、プラント工学の権威が招集され、すべての計画は極秘裏に進められた。
 数年後、すべての外食産業の夢を体現した完全無人型牛丼店の第一号店が西日暮里に開店した。
 その独立性は徹底されており、原料の安定供給と配達コスト削減のため、牛丼の材料となる米やタマネギは店内地下の植物工場で完全自動栽培され、原料のうちで唯一外部からの供給が必要となる牛肉もサイボーグ店員自らが屠殺、解体するというものだった。また、店内の動力は全てプルトニウム電池で賄われ、1万年の連続稼働が保障されている。(当初、動力源に関する情報は完全に秘匿されており、それが『西日暮里の悲劇』を引き起こすこととなった)
 奇策は功を奏した。原料価格の変動の恐れのない人件費ゼロの牛丼店。牛を模したロボットが店員を務めるという物珍しさも手伝って落ち込んでいた経営はV字回復を見せ、店舗数はたちまちのうちに拡大。1年後には国内の牛丼産業を事実上独占し、5年後には国内外食産業市場の実に半分を支配する一大帝国を築くに至った。
 だが、二度目の零落は急速で、より劇的だった――

 事件は開店から10年が経過した西日暮里一号店で起った。カスタマーセンターに牛丼の味がおかしいというクレームが数件続けて入り、不審に思ったテクニカルスタッフが店内に足を踏み入れた。究極のスタンドアロンを追及された店舗には定期メンテナンスすら不要であり、新店舗の開店以外でスタッフが足を踏み入れること自体、初めての出来事であった。

 地下の調理スペース。赤色LEDに照らされた植物工場を点検するが稲もタマネギも正常に育っており、異常はない。
――そうなると、問題は肉か――
 調理スペースは人間が立ち入ることが想定されていないため、照明は設置されていない。テクニカルスタッフは懐中電灯の光を頼りに食材の保管された冷凍室へと向かう。
 そこで、テクニカルスタッフは地獄を目撃することになる。
 冷凍室には皮を剥がされた肉の塊が頭を下にして(もっとも、頭部自体は血抜きのために切除されているのだが)幾つもぶら下がっている。
「おや――」
 暗くてよくわからないが、何か様子が変だ。牛にしては吊るされた肉塊が妙に小さい。買い付ける牛を判定するシステムにエラーが生じ、子牛を買ってきてしまったのだろうか? 彼は懐中電灯を肉塊にあてながら近づいていく。
「ひっ――」
 そして、気がついてしまった。足の関節の位置が四足歩行する獣とは違うことに。その手先に5本の指があることに。
 冷凍室には既に20人以上の人間が吊るされていた。

 通報を受けた警察の対応は迅速だった。ただちに機動隊が店舗を取り囲み、完全封鎖した。
 そこから数百メートル離れた荒川警察署では通報したテクニカルスタッフへの事情聴取が行われていた。
「警部! テイクアウトした化学分析の結果が出ました。牛丼に使用されている肉は人間のもので間違いないとのことです」
「よし、そいつはそのままDNA鑑定へ回せ。それから、他の店の分析も急げ」
 青い顔の新米刑事の報告を聞いて警部は爪を噛んだ。
「さて―― おたくのロボット牛丼屋さん。やっぱり勘違いじゃなく、とんでもないことになってるみたいだな。一体どういうことなんだ?」
「私にはわからない―― 本社に問い合わせてくれ」
 テクニカルスタッフは叫ぶように言った。精神的なショックから立ち直れていないようだ。だが、訳が分からずパニックなのはうちも一緒だ、警部は舌打ちして、彼の胸ぐらを掴んで詰め寄る。
「さっきからずっとやってるよ! 言うことはずっと一緒。『本件につきましては現在状況を確認中ですのでお答え致しかねます』だとよ。上から圧力がかかってるみたいで令状も取れねえ。なにも頭からケツまで教えてくれって頼んでるわけじゃねえんだ。知ってることだけで構わん。何人も人が死んでるんだぞ!」
 警部の怒気にひるんだ彼は、しばらく考え、慎重に口を開いた。
「たぶん、人と牛を識別するプログラムに何らかのエラーが発生しているんだと思う。人を牛と誤認し、捕まえて解体しているみたいだ」
「はあ―― なんでそんな馬鹿なことが?」
「わからない。10年間も正常に動いていたし、こんなことになるなんて―― 何か、プログラムのバグなのか。あるいは、何者かのハッキングなのか――」
「結局はなにもわからんということか――」
 そう言いながら警部は掴んでいた手を離し、覚めたコーヒーを一口啜った。
「大変です警部! 西日暮里の『クルー』が店の外へ出てきたとの報告です」
 先ほどの刑事が電話を耳にあてたまま、再び取調室に駆け込んできた。
「まずいぞ…… 客が来なくなったから肉の調達に向かう気だ」
 テクニカルスタッフが言う。
「つまり、また人を襲うかもしれないってことか?」
「それ以外に考えられない。奴が完全自立型店舗から外に出る理由はそれしかない」
 それを聞いた警部は刑事から電話を取り上げ、電話口にむかって怒鳴る。
「おい! そいつは人を襲いに出たそうだ。ぶっ壊せ! 対物ライフルを使っていい! 許可? 俺が責任を取る! 今すぐ撃て!」
「まずい! 『クルー』には――」
「うるせえ!」警部は突然飛びかかってきたテクニカルスタッフを突き飛ばし、もう一度電話口に叫んだ。「何してる! とっととぶっ放せ!」

 同時刻。牛丼店前――
 機動隊員たちは突如、店外へと出てきた鋼鉄の巨人に騒然となっていた。『クルー』は身をかがめて玄関をくぐると、自分を取り囲む機動隊員たちをぐるりと見渡した。同時に、ソナー機能を使って並んでいる”牛”たちの体格、骨格、肉質を診断する。
「対象ヲBos taurusト確認 『キャトルミューティレーション・モード』ヘ移行シマス」
 やがて、一人の隊員に目標を定めると、屠殺用マニピュレーターを稼働させる。
 見慣れない『クルー』の動きに、隊員たちに動揺が走る。
 同時に、電話を取っていた隊員が叫んだ。
「対物ライフルの使用許可が下りた! 撃て!」
「了解! 発砲します」
 既に伏せ撃ちの状態で照準を定め、許可を待っていた隊員が安全装置を解除し、引き金を引く。すさまじい反動とともに、12.7x99mm弾が放たれた。
 強盗対策に装甲を強化された『クルー』といえどスケール上、装甲強度には限界がある。対物ライフルから放たれた銃弾は胴体中央に直撃、胸部装甲を貫通し内部の燃料電池を直撃した。運動エネルギーを熱エネルギーに変換しながら炉心に食い込む銃弾は、体内に高密度に蓄えられていた70万立方メートルの水素ガスに引火した。『クルー』は小さな太陽となって牛丼屋と機動隊員を巻き込んで爆発する。クレーター状にえぐれた店舗地下には『クルー』と牛丼店を一万年連続稼働させるだけのエネルギーを秘めたプルトニウムが埋蔵されていた。爆発は地面を深くえぐり、プルトニウム電池の保存容器を溶解させ、プルトニウムを露出させる。空気と反応したプルトニウムは猛烈に燃え上がり、第二の大爆発を引き起こした。
 二度の爆発によって巻き上げられた酸化プルトニウムの塵は致死的な濃度で荒川区に拡散し、その日だけで2万人以上、最終的には57万人もの死者を出したと計算されている。未だに西日暮里店を中心とした半径5 kmは放射線防護服なしには人が踏み入ることもできない高濃度汚染区域のままだ。
 これが、世界最大の企業災害として世界史に残る『西日暮里の悲劇』である。

 しかし、悲劇はそれだけでは終わらなかった。一号店『クルー』の暴走からひと月ほどの間に、同様の『クルー』暴走事件が多発するようになった。暴走した『クルー』たちは人間を襲い、人肉で牛丼を作り始めた。いや、それはもう『人丼』といった方が適切であろうか――
 首都圏を中心にチェーン展開していた牛丼店はたちまち人間を食らうミノタウロスの巣と化し、『西日暮里の悲劇』の打撃に打ちひしがれていた東京都民は大パニックに陥った。
 暴徒と化した都民たちによって牛丼チェーン店の本社は爆破され、事件の真相のほとんどは闇へと消え、事態の収拾はさらに困難となった。
 人々は放射能に倒れ、『クルー』に牛丼に加工され、生き残った者は東京を捨てた。
 半年後、日本は首都機能の岐阜県への転移を余儀なくされた。

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