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「無駄な時間」とは何か?

時間は有限であり、人生は限りがある。

そのようなことを誰もが言葉では理解している。

しかし、貴重な時間や人生を浪費してしまうことがある。

そして「あー、無駄な時間を過ごした」と後悔する。

「無駄にした時間があれば、もっと有意義に過ごせたのに」と自分自身を責めるようなことも考える。

もちろん、後悔したり自分を責めたりしたところで、過ぎ去った時間は戻ってはこない。

――― それにしても、「無駄な時間」と何だろう?

何の生産性もないことを、ひたすら行うことだろうか。

ゲームやインターネットなどの娯楽に興じているだけのことだろうか。

それは少し違うと思う。

なぜならば、何の生産性もないことや娯楽に時間を費やしても充実感を抱く人たちもいるからだ。

無駄な時間に限らず、時間の過ごし方というのは主観であり、個人的な価値観や人生観に由来する。

――― では、逆に「有意義な時間」とは何だろう?

社会的価値のある活動をすることだろうか。

勉強や運動などの自己成長につながる取り組みだろうか。

家族や友人、地域活動などの人間関係を育むことだろうか。

このように並べると、「有意義な時間」とは「無駄な時間」以上に人それぞれ異なることが分かると思う。

自分にとっては「有意義な時間」でも、他人から見れば「無駄な時間」ということだって往々にしてあるということだ。

また、自分にとっては「無駄な時間」であっても、他人から見たときに「それはやって良かったと思うよ」と言われることもある。

人生には無駄はないとまでは言わないが、実際、そのときは無駄骨に終わったことでも、どこかのタイミングで有効に作用することは時々ある。

「禍福は糾える縄の如し」という言葉があるが、「無駄な時間」と「有意義な時間」とは、まるで将棋の駒のようなあり方と言える。


――― 現代人は「有意義な時間を過ごさなければいけない」と脅迫観念を持っている傾向にある。

時間や人生は限りがある貴重なものだが、だからと言って時間を意識しすぎるのも時間の浪費ではないか。

無駄な時間を過ごしたと思っても、それで日々のストレスが解消されているということもある。

大切なことは、これから過ごす時間、意識的または何となく過ごしてしまった時間に対しての捉え方である。

さてさて、今日この後はどう過ごそうか?


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。



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