実況プレイがゲーム文化を補完する

ゲーム実況がネット上の定番コンテンツとして普及して久しい。かつてのニコニコ動画やYouTubeなど動画サイトの発展と連動し、喋りながらゲームを遊んでネットで共有するスタイルはごく日常的な光景になった。
 一般的には「ゲーム実況はゲーム文化に付随するもの」という認識が強いかと思う。当然だがゲームを開発する作り手がいなければ実況者は存在できず、著作権的な意味でも基本的にはメーカー側の立場が強いと言っていいだろう。

ただ、長年開発者の目線でゲーム実況を眺めてきて思うことがある。実況プレイは単なるゲームの楽しみ方の一つというより、ゲーム文化にとって不可欠な存在になりつつあるのではと。
 実はゲームには弱点が多く、ゲームがゲームである限りどうにもならない「癖」を抱えている。ゲーム実況がそれを補完することでゲーム文化はより強固になる、という話をしていきたい。

ゲームを遊べない(遊ばない)人たち

ゲームにはほとんど触らないが、ゲーム実況は見ているという層は少なくないと聞く。自分で購入して遊んでほしい、と考える開発者やゲーマーにとっては微妙な温度差を感じる相手かもしれない。
 こういった人々は単にゲーム機などを買うきっかけがないだけで、将来的にゲーマーになってくれる可能性もある。ただそれ以前に、世の中には少なからず「自分でゲームを遊べない人」が存在する。

アクションゲームがどうしても苦手で自力ではクリアできないとか、対人戦は緊張するが観戦は好きとか、動画を見る側にも色々なニーズがある。他にも障害があってコントローラを握れないなど、ゲームと根本的に体質が合わないケースもあるだろう。
 ゲームを遊ぶことはゲーマーが思うより遥かに難しい。自分には無理だと先入観を持っているだけの人も多いだろうが、軽く遊んでみてゲームに苦手意識を持ってしまうケースはよくある。

ちなみに僕の場合、昔からホラーゲームが苦手で自分では滅多に触らない。だが実況者のリアクション付きでホラーゲームを見るのは好きだ。遊ぶのと見るのとでは根本的に楽しみ方が異なるジャンルも存在する。
 ゲームを遊んでいる人を後ろから眺めるのが面白い、と感じる人は昔からいるらしい。こういった価値が実況プレイから生まれたというより、ゲームがもともと持っている「周囲を巻き込む力」がゲーム実況によって可視化されたのだろう。

ゲームは能動的な娯楽だが、能動的ゆえにどうしても遊べない人がいて、能動的でない部分に強く惹かれる人もいる。直接遊ぶ以外の価値を実況プレイが広く補完している。

実況はゲーム文化そのものをアーカイブする

ゲームソフトが抱える最大の弱点が、個々のハードやデバイスへの依存度の高さだ。コピーして新しい環境に移せる文章や映像コンテンツと異なり、古いソフトはいずれ遊べなくなってしまうため、いかにしてゲームの記録を後世に残すかが課題になっている。
 昔のソフトを最新のゲーム機などに移植するのが1つの策ではあるが、基本的には手作業なので移植できる数に限界がある。増え続けるゲームを全てそのまま保存するのは実質不可能で、一般には遊べなくなってしまったソフトも多い。

こういった問題を間接的にカバーするのがゲーム実況だ。ゲーム内容を動画データに置き換えることで、ある程度の情報量を維持しつつ長期的な保存を可能にする。
 実況はあくまで自発的な楽しみ方なので、特別な組織運営などがなくても自然に大量のアーカイブが積み上がっていくのが強み。古今東西のゲームに広く触れられる場所は動画サイトの他にはなかなかない。

恐らく、ゲームは直接遊べる状態で保存しなければ意味がない、と主張する人もいるだろう。もちろん現物を維持できるに越したことはないが、ゲームのプログラムなどを保存するだけで十分なアーカイブと言えるだろうか?
 例えばオンラインゲームはサービス終了と共にほぼ消えてしまうため、後でソフトだけ動かせる状態にしておいても完全な保存とは言い難い。ネットワークを用いた仕掛けが盛んな現代のゲームは、単にデータを残すだけでは不十分だ。

それに対し、ゲーム実況とはいわば「体験の保存」である。プレイヤーが操作した内容を動画で、その時感じた気持ちを言葉で残していく。そこに視聴者のコメントが加わり、その時代にプレイヤー達が感じていた空気がそのままアーカイブされる。
 そもそもゲームはプレイヤーによって選択や結果が異なる娯楽であり、ソフト自体には残らない体験の積み重ねに価値がある。そういった多様性を保ったまま記録できるのは実況プレイだけだろう。

実況プレイがゲームの真価を掘り起こす

ゲーム文化に深く関わるゲーマーや開発者ほど、ゲームは自分で操作すべきだという認識が強いのではないだろうか。能動的な体験こそがゲームの強みで、動画による受動的な楽しみはその一段階下にあるものだと。
 僕はむしろ、ゲームの真価は多様な掛け算にあると考える。プレイヤーの発想によって楽しみ方が無限に広がり、遊ぶ人と見る人の全てを魅了する。その可能性を最大化するのが実況プレイなのだと。

ゲーム文化は実況文化とセットで完成すると言っても過言ではない。今まではゲーマーの輪の中で閉じがちだったゲームの世界がオープンになり、時代と共に消えていくゲームの歴史も動画が保存し始めた。
 実況文化がゲーム文化の中でどのような役割を果たしているか、できれば実況者にも一緒に考えてほしいと思っている。広く意義が認識されることで、単なる趣味に留まらない実況プレイの価値も深まっていくはずだ。


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 今回のオマケでは、ゲームが動画視聴でタダで消化されてしまうことに開発者はどう向き合うべきか、軽く持論をまとめています。

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