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与太郎が生きやすい世の中になれ

2019年12月に書いていた文章が出てきたので置いておきます。

「人生はサゲでは終わらない」

いだてんで、古今亭志ん生こと北野武が五りんこと神木隆之介にこのセリフを言いますが、本当にそうですね。サゲたところで人の人生は続くし、伏線回収やいい感じのオチもないまま、最終的には人は死にます。誰だって死ぬ。最終的に死ぬ。

話は変わりますが、わたしの恋人はUber Eatsのことが嫌いです。その理由は”素人の自転車乗りがマナーもクソもないまま道路を走るから”だそうで、一応自転車で東京から北海道まで走っている恋人としては「恵比寿とかでびゅんびゅん走ってるの見るとすげーイライラする。道迷って変なところに止まるから危ないし」という意見なんだそうです。

わたしはそこで初めてUber Eatsの存在を知って、「へえ、そういうサービスあるんだな」くらいだったんですが、最近の労働問題について新聞に掲載されていたので、そこでまた見ることになりました。

なるほど~っていうね。労働問題の話は深めないんですけど。

また話が変わるんですが、友人が「最近はご飯作るのもめんどくさくて、Uber Eats使っちゃうんです。でも手数料高いから、3食分一気に運んでもらうとかしてますね。手数料結構高いから儲かってるんじゃないかな」というので、なるほど~!と言いつつ、前述の「恋人がUber Eats嫌い」という話をしたんですね。

友人は「うーん、確かに、Uber Eats、たまにやばい人来ますね。どういう人かは言いませんけど、います。でも、落語で言う与太郎的な人ができる仕事って、最近あんまりないですよね。豆腐担いで歩くとか。そういうの。それがUber Eatsなんじゃないかと思いますけどね」という。

与太郎が生きやすい社会。

またまた話は変わりますが、ずっとフリーターをやっていた友人が就職しました。大学卒業後もふらふらして、「お金がない!」と言いながらもアルバイトで生活費と趣味代を賄っていた友人。金銭的・世間的な危うさはありながらも、わたしは純粋に「すごいなあ」と思っていました。

就職して、少し経ってから「どうして無意味な残業があるん」「終業10分前に仕事を頼む上司なんなん」というツイートが増えてきました。社会人っぽい悩みだなと思う一方で、とても身勝手だけど「この人にはこういうことを言ってもらいたくなかったなあ」という気持ちになりました。

おそらく、わたしにとって、彼は与太郎だったのでしょう。いつもふらふらして、たまに働いて、呼び出せばいつでも来てくれる。他の友人たちとは違う、一種の”自由”を彼は持っているように見えました。

またまたまた話は変わりますが、大好きな友人が亡くなってしまいました。彼女は夜職で働きながら、なんとか東京で必死に生きており、自分が人とは違う環境にいることを引け目に思いながらも、必死に、強く生きていました。

彼女は頭も、センスも良く、ユーモアがあり、表現力も抜群でした。けれど、夜職に勤めているから、家庭環境が他の人と違うから、いろんな人にいろんなことを言われていることもあり、そのたび怒っていました。”勝手に自分のことをかわいそうだと言うな”と。

どんな状況にいても強く生きている彼女のことがすごく好きで、ずっと応援していましたが、亡くなってしまった。その理由はわかりませんが、でも、死んだことには変わりはないのです。彼女はもういない。

「人生はサゲでは終わらない」

あらゆる落語に出てくる「与太郎」は、サゲのあとどう生きているんだろう。お代官様とかに認められて仕事を得るとか、嫁をもらうとか、なんだかんだ幸せになるとか。そういうのは語られない。もしかしたら、すぐ死んじゃったかもしれない。流行り病とかで。「あいつはバカだったけどいいやつだったよね」みたいな感じで、死後も人を笑わせているかもしれない。いや、落語なんて全部フィクションで、与太郎みたいなヤツなんてこの世に一人もいなかったのかもしれないけれど。

人生は、何があるかわからない。どうせならいい仕事をして、お金がいっぱいあって、友だちがいたほうがいい。けど、わたしはもっとたくさん与太郎がいてもいいと思う。生き方はそれぞれ自由でいい。定職に就かなくても、社会の”当たり前”の中で生きなくてもいい。好きに生きていればそれでいい。

頑張って生きる必要なんてなくて、なんとなく生きているだけで偉いと思うし、そういう人でも生きていける社会になったらいいなと思う。

じゃあどうする?みたいな具体的なお話はないんですけど。そんなことを考えました。はい。

応援があると人は強くなる。例外なくわたしもそのはずです。